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ラーメンが好きだと吠える山羊

みなさん、こんにちは。「オオカミの皮を被った羊」いや、「羊の皮を被った山羊」こと黒柳能生です。

7月11日はラーメンの日だったそうですな。
7がレンゲで11が箸という、なかなか強力なこじつけと、ラーメンを日本で初めて食べたとされる水戸の黄門様こと水戸光圀公の誕生日に懸けて2017年に認定されたという、かなり新しい記念日?ですな。

ちなみに毎月11日は「めんの日」で、あらゆる麺の記念日で、11月11日は年に一度、最大の「めんの日」らしいが、何をぬかす!ベースの日だろ!!
俺は麺好きではあるがこれだけは譲れん!…嘘です。ごめんなさい。
※11月11日は54件の記念日が集中する日です。(2023年7月現在)

ラーメンは昔から大好きだったけど、昔のラーメンと言えば中華料理屋の1メニューに過ぎないものが普通だったよな。他の料理にも使うため、アッサリ目の万能スープに醤油ダレ、ネギとチャーシューとメンマという中華料理の材料だけで作られる、沢山ある料理の中の1つだった。“札幌味噌ラーメンブーム”があったけど、野菜炒めと味噌ダレという味の組み立てのシンプルさから、すぐにどこの中華料理屋でも食べられる様になって“定番商品”となったもんな。
それが今みたいな超多様化したラーメン文化になるとは予想もしなかったな。

1987年なんでんかんでん開店、荻窪ラーメンブーム、1992年のTVチャンピオン「ラーメン王選手権」放送、1994年ラーメン博物館が開館…と、じわじわラーメンブームが盛り上がっていったけど、それでも俺の持っている1994年頃のラーメンガイドブックには東京88店とか、最大でも100店くらいしか紹介されてなかったし、掲載店の半分近くが「町中華」の醬油ラーメンだったのさ。
それでも「東池袋大勝軒」「永福町大勝軒」「中野大勝軒」「春木屋」「ホープ兼」「ラーメン二郎・三田本店」は必ず掲載されていたね。当時、「家系や佐野実氏の「支那そばや」は都内になかったから都内限定の本には掲載がなかったのも面白いね。
あと、今は爆盛りで有名な二郎だけど、当時の二郎はモヤシなんかスープに浮かぶ程度しか入ってなかったし、「ヤサイニンニクアブラマシマシカラメ」なんて誰も呪文言ってなかったし、あんなに並んでなかったよ。
※ちなみに俺が1994年に上京してすぐラーメンガイドブックを買ってコッソリ全店食べ歩いていたのは君と僕だけの秘密だ。そして、俺が今でも二郎を食べるときは「ニンニクメンマシマシカラメ」(ニンニク沢山、麺4倍、味濃いめ)を注文している51歳ということも君と僕だけの秘密だ。

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