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noteを書く時のマイルール①本音で書くこと②社会を見つめること。広告/コピーライター…

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noteを書く時のマイルール①本音で書くこと②社会を見つめること。広告/コピーライター志望/マーケティング,ストプラ,SP等もやってみたい。広告屋さんですが、書いてる内容は広告ではなくほとんどがエッセイ。気負わずいきましょう。ひとつよしなに。

最近の記事

厚顔無恥な人間の方が生きやすいという社会システムのバグはいつ修正されるんだろう

    • 不幸を望むな

      連日の騒ぎのせいか、よくないことが立て続けに起きている!との声が多い。 それ自体は仕方ないかもしれないが、中にはこの不幸の連続をエンタメのように消費している空気を感じさせるものがある。 遠くで起こった不幸をエンタメにしてはいけない。自分が関係ないことを前提に他人の不幸を望むなよ。

      • 呪文

        これは僕が社会人になる前の話。 僕は、内定者合宿を断った。 内定者合宿とは何かというと、入社直前の3月、大学最後の長期休暇期間に、弊社の内定者が集められ、何泊何日か寝食を共にしながら、課題に取り組むというもの(らしい)。 僕は主に給料が出ないことを理由にして不参加を表明した。 合宿を企画した会社の人たちに思うところは多々あるけれど、今回の論点はそこではない。 一番モヤモヤしたのは、僕が断ったと知った時の周りの人達の反応だった。 僕が内定者合宿を断ったと言った時、みんな参加さ

        • ピザの皿がジャストサイズだと耳が切りにくい

          みなさんは床に落っこちた食べ物を口に入れられますか。 僕は余裕です。3秒ルールとか関係なく、何秒経っててもいけます。 そりゃあ、時と場合によって食べるのに抵抗がある時もありますよ。たとえば汁っ気の多い食べ物なんかはホコリまみれになっちゃいますし、床がめちゃくちゃ汚れてるときなんかはさすがに食べる気が起きません。 でも、たいがいの場合いけます。他の人の許容範囲と僕のそれを比べてみれば、僕の方がはるかに広いはずです。 人によっては皿からテーブルにこぼれただけで諦めちゃう人

        厚顔無恥な人間の方が生きやすいという社会システムのバグはいつ修正されるんだろう

          社会人として

          今年の二月を最後に、今まで書くことをサボっていました。理由は特になくて、なんとなく「書く」ことから離れてしまった。そんな感じです。 学生時代に書いていた記事を改めて見返すと、めいいっぱい力んで力んで、なんとかいいこと言ってやろうとか、新しい切り口見つけてやろうという気合が伝わってきます。 気合十分はいいことですが、なーんか読みにくい。文章がスッと頭に入って来ない。偉そうで賢そうな文体で、これじゃあ読んでもらえないよね、共感してもらえないよね、と思います。 だから、「だ・

          社会人として

          コロナにまつわる社会のアレコレを見ていると、コロナ以上に厄介なウイルスが、それこそ取り返しのつかないぐらいに蔓延しているのではと思わずにいられない。

          コロナにまつわる社会のアレコレを見ていると、コロナ以上に厄介なウイルスが、それこそ取り返しのつかないぐらいに蔓延しているのではと思わずにいられない。

          それでもやっぱり比べてしまう

          SNSは幸福度を上げてくれなかった。可視化された「他人の生活」は日常を豊かにするどころか、無意味な対抗意識や自分との無意味な比較を生んでしまうことになった。SNSを純粋に楽しんでいる人もいるのだろうけど、そうは見えない人が大半で、かくいう僕も楽しめているとは言えない。 「SNS疲れ」なんて言葉も生まれて、”他人との無意味な比較をやめよう。自分の生活に集中しよう”というのが最近の風潮だ。マウンティング合戦、キラキラした生活への嫉妬心、空虚な優越感。これら全てを捨て去って、自分

          それでもやっぱり比べてしまう

          劣等感と自己肯定感

          アメリカに留学の経験がある僕は、「アメリカどうだった?」と聞かれるたびにこう答える。「日本の方が快適だし、やっぱり日本人が好きだよ。」と。飲み会なんかではアメリカの悪いところをあげつらったり西欧人とのうまくいかなかったエピソードを話すこともある。 公共施設のトイレが清潔で、安くてうまい飯屋がそこかしこにあって、人どおりの少ない道を何も警戒せずに歩ける日本が好きだ。銃社会で、ホームレスが多く、大麻で頭がおかしくなってしまった人がいるアメリカは、自由を堪能するための負担がかなり

          劣等感と自己肯定感

          就活生へのエール

          就活生へのエールを僕なりの形で送りたい。 もうすぐ就職活動が本格化する。 今年就活を迎える人たちは今、なにを思っているだろう。社会で活躍する希望を抱いているだろうか。それとも、社会の歯車にならなければいけない自分への失望感にさいなまれているのだろうか。 何にせよ、就職活動はほとんどの学生にとってかなりハードだ。転職が一般的になったとはいえ、貴重な新卒カードを使えるのは1回きりだし、どれだけぼんやり大学生活を送った学生でも、就職活動にかける思いは大きくなるものだ。是が非で

          就活生へのエール

          書くことは玉ねぎの皮むきと似ている

          かれこれ半年以上、書いている。 三日坊主の自分からすればよく続いている方だ。 最初は別の媒体で“ちょっと気になるブログ”というタイトルのブログを書いていた。タイトルの通り、日常で気になった発言や人物に関してあれこれ考えたり文句を書き連ねていた。文章で説明するとすごくロクでもないことをしていたように思う。 時間が有り余ってしかたない方は読んでみてほしい。 “ちょっと気になるブログ”を経て、noteにたどり着いた。ここで少し変化があらわれる。 前述のブログが他者についての

          書くことは玉ねぎの皮むきと似ている

          自己満足と承認欲求

          自分の自己満足で始めたnote。でも気づけば「スキ」の通知を待ちわびている自分がいる。 自己満足と他者からの承認は対比的に考えられることが多い。 自分がそれを良しとすることで得られる自己満足に対し、他者がそれを良しとすることで得られる承認。 自己満足を求める人は承認など気にも留めず、自分の道を突き進む。 承認を求める人は自分のしたいことを一旦脇に置いて他人のニーズを探る。 自己満足が大切な人は承認を必要とせず、その逆もまた然り。 そんなふうに考えられているような気が

          自己満足と承認欲求

          親の離婚が想像力につながった話

          父親が”家族”から「脱退」した。今風に言えば「卒業」ということになるだろうか。 小学6年生の時の話だ。父と母の別居生活はその4年前から始まっていたので、「そりゃそうなるわな。」というのが正直な感想で、悲しさや驚きは全くと言っていいほどなかった。 別居生活が始まって、父が実家に戻った。健気な小学2年生の僕は近況報告に「早く帰ってきてね」というメッセージをつけたショートメールを毎週末父に送った。近況報告には反応するものの、「早く帰ってきてね」には触れない父の反応を毎週末見て、

          親の離婚が想像力につながった話

          「好きな理由」についての考察

          「なぜ好きなのか」を聞いた時に、「理由」ではなく「それが何なのか」を答える人が多い。 例えば腕時計。立派な腕時計をつけている人になぜ好きになったのかを聞くと、「その時計を買った理由」ではなく「その時計が何なのか」を懇切丁寧に教えてくれることがよくある。 「○○という有名なメーカーが作っていて」とか、「○○というデザイナーが設計していて」とか。「○○賞をとったんだよ」なんてことを教えてくれる人もいる。 どれも全て、「その腕時計が何であるか」の説明だ。僕が知りたいのは「その

          「好きな理由」についての考察

          個性に関する考察。

          個性、自分らしさ、アイデンティティ。自分が好きなように生き、好きなように死ぬ時代。いかに自分が自分らしくあるかをみんな必死に考えている。 親の言うことや世間の空気に従わなければならなかった時代を思えば、現代はよっぽど自由である。それにもかかわらず、自分らしさを大切にしている人ほど、不自由に見えることがある。 自分らしさとはなんだろうか。自分なりの生き方、あるいはスタイル。それは言い換えてみれば、「他人と違っていること」と言えるかもしれない。 他人と違っているためには、他人

          個性に関する考察。

          言葉は一撃必殺

          「すべての出会いに感謝」ヤンキーやねずみ講ネットビジネスマン、イケイケベンチャー社員はもれなくこの言葉が好きらしい。これを見るたび、この人とはうまく付き合えないだろうなと思ってしまう。見るからに出会いに感謝していなさそうな人ほどこの言葉をプロフィール欄に書き込んでいるのはなぜだろう。 「すべての出会いに感謝」している人の「感謝」を、僕は信用できない。 「感謝」と「好き」は、特別感という点ですごく似ている。「好き」とは、複数人いる中で特定の人物にだけ特別な感情を抱いていると

          言葉は一撃必殺

          才能はロマン、努力はリアル

          滋賀生まれ、滋賀育ち。母なる湖びわ湖。今年で24歳。来年25。四半世紀を生きてきた。職業、大学生。あと数か月で卒業(単位の計算が合っていれば)。某広告会社に入社予定。配属・部署ともに未定。 生まれてきてから今までの事実を羅列してみたけれど、ちっともおもしろくない。経歴や肩書を書き連ねるだけでは魅力的な自己紹介にならないらしい。考えてみれば、おもしろい!興味深い!と思えた自己紹介の内容は、プロフィール欄に書いてあることをなぞるようなものではなく、むしろそこには書かないような、

          才能はロマン、努力はリアル