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”思いつき”定義集Ⅱ㉟「よ」

【欲/欲求/欲望】堕落への入り口。いや、自己を高めてくれる原動力か。いずれにしても折々に湧き出てくる、あるいは舞い降りてくるもの。食欲や性欲、睡眠欲など生理的なものから、モテたい、金持ちになりたいなどの願望まで。
 やっかいなことに、欲をとことん満たそうとすると失敗する。旨いもの、好きなものだけを食べ続けると、スマートな容姿を望む欲求から遠ざかる。悠々自適を優先すると仕事は疎かになり、欲を満たすための原資を損なう。詰まるところ、ほどほどに理性を働かせなくてはならない諸刃の剣。欲を制御する力の度合いが人の品性の基準の一つとなるのかもしれない。ただし幸福度との間に比例関係はない。
◆注:何事にも例外はある。

【よいしょ/ヨイショする】①口から発せられる「よいしょ」:青春の終焉を裏づけるとともに、中高年化を着実に歩んでいる証し(ひとりでに発する場合に限る)。「よっこらせ」「どっこいしょ」など地域や個人によって異なるが本質は同じ。
②「ヨイショする」:要するに媚びへつらうこと。無自覚な人もいるが、家庭生活内で多々見られるらしい(伝聞)。うまくいっていればそれに越したことはない。多少気になるのはヨイショされる人の気持ち。心底嬉しいものだろうか? だとすれば気持ち悪い(個人的感想です)。

【余裕】人間社会で常に不足しているもの。物理的には食料不足や資源不足も深刻である。しかし精神的な余裕のなさも同様である。
 連想されたのは、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス(人間=遊ぶ人)」。欲に忠誠を誓うことではない。「遊び」こそが人間の文化を育み続けてきた神髄という話。
 連想なのでかなり離れてしまうが「遊び」それ自体に多くの含みがあって、余裕にも関連付けることができる。例えば、馬車の時代から遊びのない車体はすぐに壊れてしまう。完璧こそがマイナスなのである。今の自動車のハンドルにも遊びが必須である。このわずかな隙間(すきま)こそが要。
 完璧という思い込みを「遊び」でもって相対化してみる――合理性と効率性を優先しがちな近代人の余裕のなさについて省みることがあっていい。
◆注:生存それ自体が危ぶまれる事態(主として飢餓と戦争)はそこかしこにあって、そこに物理的余裕など存在しない。それでも誤解を恐れず敢えて言えば、そこにさえ「精神的余裕」の余地はあり得るのだ。もとよりそれらの事態を放置していいということではない。

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