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初女先生命日

2月1日は佐藤初女先生の命日。

初女先生の存在自体は子どもの頃に母親から教えてもらい
その後けんちゃん先生との出会いにより
素晴らしさを知る事が出来ました。

いつも思うのは、たくさん大好きな方々いらっしゃって
初女先生を魅力的に思っていて、でもお会いするきっかけが無い方がいる中で

何の興味を持っていなかった自分自身が住む場所が近く(初女先生の出身高校は姉の出身高校であり、母親がいのちの電話相談員の時の講師が当時弘前イスキア時代の初女先生)
生前に何度もお会いしお話させて頂き、おむすび講習会も参加させていただいた事は有難い事だなと改めて感じます。

なかなか男性の場合だと、何かを成し遂げた!とか世に名を残した方!が惹きつけられ興味を持つんだと思いますが、むしろ男性こそ初女先生の素晴らしさを知って感じる事が出来れば、男に優しさ、いとおしさが身につくのかな??と最近思う所です。

何かを成し遂げなくても、心傷ついた方や、人生に苦しみを感じている方に寄り添う事、それはマザーテレサも同じく、偉業を成し遂げるよりも身近な人、特に貧しい人のそばに寄り添う事こそが大切なのかなと。

初女先生曰く「おいしいものを楽しく食べると生きる意欲がわく」「おいしいと感じた時に心の扉を開いてくれる」

それは、白装束?黒装束?で訪れた方の話が印象的で、自殺をすると決めて、最後の最後に親に諭されてイスキアにこられた方の話、心を開かなくても一緒に食事の時間、話を聞く時間を共に過ごしている中で心を開いてくれた方がいた事。

だからこそ初女先生は「言葉を超えた行動が魂に響く」をモットーにされて
今を生きるで生きていて、そこで何があってもまた切り替えていくから、後悔はない

との事で、まずは目の前のことを精一杯やって生きていきましょう。希望や夢などいいことを考えてまっぐに進まないよりも、もっと心を向けて生きたい。今、このときを感謝しながら真実に生きていると、必ず目的に通じます。

自分には待つことの大切さの言葉を頂きました!

佐藤初女先生について
訪れた人とはまず手料理で食膳を共にします。春でしたら、ふきのとうやたらの芽、わらび、うどなどの山の幸、そして北国ならではの海の幸が食卓に賑わいをもたらします。岩木山の麓の澄んだ空気と豊かな緑に囲まれて、自然の恵みを与えてくださった神様に感謝しながら一緒に食事をいただくと、緊張もほぐれて、ゆったりした気持ちになっていきます。そんなところから、苦しみの中で閉ざされていた心の扉が少しずつ開きはじめることもあります。

訪れた方は、「心のふるさとにたどりついた気がする」「生きることの原点を教えてもらった」「人生の岐路を乗り越える勇気が湧いた」など様々な思いを抱くようです。共通するのは、皆、休息と安らぎを得て、元気を回復していくということです。

悩みに押しつぶされそうになる人、心を病む人というのは、もともと心が純粋で、繊細なのだと思います。心に傷を負ったとき、すぐに家族や友人たちの中に支えてくれる人を見つけることができればいいのですが、それができないと、どうしたらよいのか自分ではわからなくなって、精神状態が大変不安定になってしまいます。

このように、人生に悩み、精神的に屈しかかった人たちを、自宅に受け入れ、食事と生き方との間には神秘的なつながりを感じます。食べることと、その人のそのときの心境とは一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません。

なにも受けつけなかった人が、少しずつ食べられるようになるのを見ていると、やっと心が動きはじめたのだなあということがわかります。

「食べる/食べない」ということは、「生きる/生きない」ということと、相関にも似た、深い繋がりがあるようである。