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1月23日釈正輪老師講和会開催します。

開催日:2019年1月23日(水)
時間:19時~21時
参加費:¥3,000円
場所:ゼン・カフェマリーナ
東京都千代田区麹町4-8高善ビル1階



前回1月16日開催時

いじめ、自殺問題、これからの時代と価値観などについての内容の質疑応答で釈先生のお話の中では死についてを深く考えさせられる話が多く、そして壮絶すぎる先生の体験談を基に話をしてくれるのでその話だけでも興味深く聞けるかもしれません。

また、普段あまり話されないと思いますが、ご自信の体験談も含めてお話いただきました。

40の頃に自殺をしようとして寸前で留まった時の話。

共感というか、凄くしみじみと感じるのは自分に原因があって問題が生じる際は、まだ努力や行動で乗り越えれるという気持ちが残されていると思うのですが、自分が原因ではない問題が生じて自分が対処しないといけない際に

何が問題なのか分からない、けれども日々追われる生活
不安とプレッシャーが10分に1回位のペースで心が沈んでいく

というのを経験する機会があると、視野が狭くなりちょっとした事でも心にグサッと来たり、人間関係が壊れたりと、常に不安に襲われる日々を過ごす毎日というのを耐えれるのは、ちょっとした前向きな言葉だったりするのを思い出します。そういう間はプラス思考の本読んで話を聞いても頭の片隅にどこかマイナスな感情があって、何かあるとすぐそれが出てくるみたいな。

釈先生もご自身以外の問題でいろいろと苦しい状況が続く中、今は素晴らしいお坊さんの領域に行かれた方ですが、自分と同じ年齢の頃は壮絶な経験をされていて、今の自分には耐えられない様な経験を通じて今があるのだと感じます。

お父さんの残した膨大な借金のため商売の道に転進。
再び仏教の道に戻り、千日回峰行を成就。
千日回峰行を達成した人は大阿闍梨の称号を得ますが、宗門へのこだわりのため称号は得られず。
千日回峰行にしても、負のエネルギーで出発した、と語られています。自分を罰したかった、といった強い思いが根底にあった、と。

その後もご自身の体験談を通じて

40歳の時、自殺寸前までいった自身の体験
知人や信者7人が相次いで自殺し、名をかたった詐欺で多くの人が被害を受け、さらに生命保険を解約した日にがんの宣告を受けるなどの不運が重なり、自ら命を絶とうとした時、首吊りから引き戻したのは、偶然帰宅した娘の声。

以来、閉ざされた孤独な人たちへの声掛けを続けていらっしゃいます。

自殺すると言って死んだ人は少なく、自殺者は自分の殻に閉じこもる人に多い。自分を卑下するあまり、周りから断絶してしまう。

今年改めて書籍を読んでいて、ご自身の経験とお釈迦様が説かれた内容を照らし合わせて、釈先生の言う和の精神を考えると

「使命があって意味があって生まれてきている」

幸せになる為に私のことを認めてくれる人がいて、私の周りにいる事が大切とお釈迦様が説いている。

仏教は仏道であり、宗教ではない。言い換えると仏教は思想である。本当の仏教と言うのは、超ニヒリズムで、現実的お釈迦様(ガウタマ・シッダールタが本名)の誕生から亡くなるまでの内容を事細かく教えて頂き神様、仏様と手を合わせて拝むのを望んでいたのではなく、自分自身の心に向き合う事を説いていた

私と相手同じ目線で見てくれる、認めてくれる人がいる時にカルマというのが浄化され
ブッダになっていく(なお、ブッダは誰という事ではなく誰でもなれるとの事で悟りし者の名前)
その為にも対話説法を重視して行っていたとの事です。つまり、絶対的な権威があって、これでなければいけない!という事ではなく、その人その人に合わせて同じ目線で見ていたという事かなと思います。

そして和の精神は
単に仲良くという事ではなく、争い耐えないこの世の中にあって、たとえ相手がどのような者であれ、それを赦し、受け入れ、認めるという事。責め裁き、恨み憎み、否定することではなく、許し、祈り、活かすことそして、これこそが正に私たちが先人たちより受け継いできた、和の精神の基である事なのかなと。感じます。