釈正輪老師講話会 5月7日(火)東京開催

次回、釈先生の講話会in東京は5月7日
「うつくしいいきかた」をメインのテーマに、折々の話題を交えて老師からお話しいただきます。

というくらいに親日で

統治した後の時代でも、タミーの前の大統領は

クニオ・ナカムラさんという方(日系人)

実際に現地だと、おそらく日本人以上に日本のすばらしさを語れる人がいて、ぺりりゅーやインドネシアで日本の歴史を学ぶ!みたいな事をした方が心に響くのでは??と思うところです(笑)


今回から多少運営体制が強化される形で、より濃くWEBの方を行う予定であります。

現在は、釈先生の回顧録見ながら、用意しながら

神仏習合をお坊さんという肩書がありながらも形式に縛られることなく続けられていて
実際に現地に行って見て話して研究してシェアする
そんなサイクルをもし自分も行うことが出来れば、書物の言葉ではなく自分の言葉で発信できるかなと。

いつも、経験、体験談を基に話をされるので、そこが学ぶべき点として大きいなと感じます。

場のエネルギーや体感するものを武道礼法はじめ、ゆくゆくツアーも!と思いますが
高野山や恐山などは

行った経験が無いとあの恐山の雰囲気は画像や動画だけじゃ伝わらないなぁと。
特に、恐山に着くまでのライトの無い、くらーい山道の不気味さ
の後に
辺り一面真っ白の恐山に、血の池があったり。。

高野山も、自分が行くときは難波から行くことが多いのですが
ワイワイガヤガヤした場所から大木と静けさ一面の高野山はまた何とも言えない雰囲気で

セドナもそうだし、ブッダガヤもアーグラもそんな場所なんだろうと。

釈先生が仰る「興味を持つ!」事の大切さというのが
場所から
本から
人から

いろいろ角度を変えて興味を持つチャンス、きっかけを作る事が
何かを教える以上の教育になるのかなと思うところで、また、知覧やぺりりゅー島、宮古島の地に行きたいと思うのでした。

ぺりりゅーは統治であっても教育を行い、学校を作り、現地の方の識字率が上がったなどなど
海外に誇れる人間性があったのが日本人で、八百万の神の様に
富の神
愛の神
健康の神
幸せの神
運の神

がいました。
写真の真ん中がしあわせの神様です。

そして、たまに日本人観光客のお出迎えにタミー、トミー?大統領がきてくれます。

というくらいに親日で

統治した後の時代でも、タミーの前の大統領は

クニオ・ナカムラさんという方(日系人)

実際に現地だと、おそらく日本人以上に日本のすばらしさを語れる人がいて、ぺりりゅーやインドネシアで日本の歴史を学ぶ!みたいな事をした方が心に響くのでは??と思うところです(笑)

他にも、徳川家光の時代に
タイと貿易していた(当時はアユタヤ王朝)朱印船貿易
山田長政をはじめ、3千隻、述べ1万8千人が行き、植民地支配ではなく文化を教え、技術を教えていた。

戦後のチリ、アルゼンチン、ペルーなど
60万人近くで現在は4世の方々が多数いる
プランテーションでの小作などが主であったが、初期の移民は白人地主に搾取される事も多かったため、成功に至れずに潰えてしまった者、帰国した者も少なくない。
日本人の特質とも言えるきめの細やかな管理が重要となる養鶏や果実栽培等の分野を中心に徐々に成功する者も現れ、ブラジルでは大地主になる者も現れた。これらの成功者の功績等により、日系人は移民受け入れ国内でも一定の評価を得るに至り、”nikkei”と言う単語が認知される程になった所が多い。と

釈先生の回顧録からは、マザーテレサとの出会いが衝撃的とのことで

私は来訪の目的を、自分が師匠を失いどのように生きたらよいか迷っていて、ここに来ればなにかわかるのではないかと思ったと告げた。マザー・テレサの言葉はこうだった。
「あなたが日本という素晴らしい国に生まれ、男性であり、いま僧侶であるという事実は変えようのないことでしょう。ならば、その運命を受け入れ、出来ることを坦々としなさい」
ミルクティーを頂きながら話した時間は二十分程度であったろう。しかしこの出会いは、私に大きな覚醒をもたらした。それ以来、私は宗派にこだわらずに自分の道を行こうと心に決めた。

出会いがきっかけで、その後を決める!というのを見させていただきました。

自分に当てはめると
そんな釈先生と自分がなぜ出会って、今も続いているのか?

自分自身含め、人間そんなに強い訳ではないと思うので、何かしらの指針を求めている。

それが昔は、有名な会社に入って。資格を取って。公務員になって。安定した生活が送れてというモデルが崩れ親も先生も示すのが出来にくくなりつつある。

となると自分で探すしかなくなり

何を基準に探せばいいかが分からない

そこを無理くりにでもチャンスと捉えれば自分らしい生き方が出来る時代になってきたという視点で見る事が出来ると思います。
ただ、最近はそんな見えないものの重要性が言われる事が多いと感じながらも、それが夢なのか、心理学なのか、〇〇学なのかの様にあふれて情報過多の中で、自分が何を選択すればいいかに迷ってしまうというのも多いと思います。なのでいったん頭だけで完結するものを停止して違う角度から見てみようと。

釈先生も当時40歳前後の頃、

自殺寸前までいった自身の体験から知人や信者7人が相次いで自殺し、名をかたった詐欺で多くの人が被害を受け、さらに生命保険を解約した日にがんの宣告を受けるなどの不運が重なり、自ら命を絶とうとした時、首吊りから引き戻したのは、偶然帰宅した娘の声。

以来、閉ざされた孤独な人たちへの声掛けを続けていらっしゃいます。自殺すると言って死んだ人は少なく、自殺者は自分の殻に閉じこもる人に多い。自分を卑下するあまり、周りから断絶してしまう。

釈迦の悟りの境地は「今を生きる」。世は無常なのだから、取り返せない過去にも、分からない未来にも縛られず、今を誠実に生きる。今に集中していれば、魔が差すことはない。

乗り越えただけではなく、乗り越えたからこそ語れる内容なんだと思います。

マイナスと思える事でも、それがきっかけでその後の進むべき道が創られた。そこには仏教、神道、宗教ではなく、人の出会い、環境状況の変化の方が大きくて、以前話頂いた阿闍梨になる為に山にこもって何年も修行するよりも、その時間をボランティア活動に費やした方が価値があったのかもしれない。という言葉が今でもずっと覚えてて気になっているところで

本当に素晴らしい〇〇学や〇〇さんの教えであれば、もっと自殺者が少なくなるはずで、救えるはずにも関わらず未だ、2万人、3万人という数が続いているのは、教えよりも1人1人に寄り添う姿勢の方が大切で

それをお釈迦様はやっていたとの事で釈先生が仰っていた、本当に救えるのはお釈迦様の教えの原点に立ち戻って、歩いて歩いて人の悩みに寄り添う姿勢が大事とのことで、畑違いで若輩者の自分でも、毎回丁寧に諭し教え、こちらがへましても怒ることなく温かく受け入れてくれるのであります。



なので、いくら頭で理解しようとしても、それ以上に行って話して感じる!、文字よりも心を持ってる目の前の人を重視し、頭じゃなくて体で心で実感できる事もありじゃないかと。

まずは、いろんな背景(経緯、歴史)がある日本だというのを日本人自身がまず知る事が第1のスタートで
自分たちのルーツを知る、他人のも知る。その差異を認めながら新しい文化、文明を創る事が必要で
「日本人が世界に旅立つ事。そして日本の文化が世界に誇れる人材がどんどん海外に出て尊敬される事」

また、受け入れるという所は釈先生の講義でも何教に縛られる事無く、キリスト教、イスラム教、仏教とそれぞれ良い悪いの批評も無く、それぞれがどんな経緯を辿ってきたのかどこに素晴らしさがあるのかを教えてくれます。


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山本善武

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