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大阪開催リニューアル 第1回釈正輪老大師 講話会

大阪開催、3月29日にリニューアルしての開催になります。

日時:2019年3月29日(金) 19:00~

場所:Flamingo Cafe(珈琲久禮)
    大阪市住之江区中加賀屋3-1-26
    地下鉄四つ橋線「北加賀屋駅」徒歩7分
料金:3,000円(懇親会にご参加の方はご希望により 軽食1,000円+ドリンク代実費)
定員:20名

第一回目お話は
「捏造された近代日本史」

今までも テレビや新聞では 知ることのできないこと、裏側のお話など
老師だからお話いただけることをたくさん伺ってきました。
改めて 日本の事を 知ってください
もちろん 老師がお話くださるので、楽しくわかりやすく お話いただけます。

釈先生を近くで見ていて、

歴史から学ぶとは何だろう?
と自分自身に問う機会が多くあり、興味はあるけど、学んで活かすとは何なのか?が

何となく大切な様で具体的に何か?というのはなかなか見えず状態なのですが、昔から親に教えられたのは色々見て自分で決めろ!という事。

たまたま、実存系が好きな父親がいて、今の実家の金木町は太宰治がいて、人間のニヒリズムを追求した様な環境がありながらも、また反対にお爺さんからは生命の実相と甘露の法雨を渡され神想観を毎日唱えるのでありました。

そんな環境下だったので、歴史に興味を持つきっかけは多かったなと。
いい悪いの前に、興味を持てる箇所、分野ができればいろいろ考えるきっかけができて、自分の軸を持つことが出来る。

だからいろいろ知ることが大切というのが父親の教えで、何がいい悪いは自分で決めろという人でした。

釈先生のHPを作った時に考えたのがこんな文章でして、やっと今となってですが釈先生の大切にしている和の精神を学ぶというのは、今までが幕末、第二次世界大戦から見る武士道、昭和1桁世代の言論人の方々を基にした和の精神だったのが、意外と縄文時代における和の文化も学ぶべき点が多いのではないかと。

「闘争心の無さ」

縄文時代が長い間続いたのは縄文遺跡には争いの形跡がない。人 間が得た糧を皆に平等に分け合い、十分に幸福に暮らしていれば、争う必要はない。争いが始まったのは、大陸から渡来した弥生人が、縄文人の土地に入り込み、農耕を始め、農作物の貯蓄により権威者を作ったことで、縄文時代が終わった。

なので、ひとえに歴史から学ぶというのは特定の時期だけではなくて広く見ながら、大切にすべき点が何かを持つ事とそれに合致した時代に何が行われていたのかが重要なのかな?と思うところ+いろんな見方を批判せずに受け入れる事が大切なのかなと思います。

人の成長やステージにより学ぶ人学ぶ内容が変化してもいいと思っていて、個人的に大好きな天風先生も人によっては、ヨガの先生、スパイ、フィクサー、心の先生、といろんな見方があって、いろんな解釈があるなと。

母親から教えてもらったのはヨガの天風先生で、思想まで深く見なくても、ストレスたまった時にお尻の穴をしめるクンバハカ!正確には心身統一法「神経反射作用の調節法」ですが、子供のころの自分には天風先生の思想や歴史を聞かされても多分興味持つことはなくて、でもイライラしたときやストレスある時、落ち込んだ時に役立つ内容だった。また、子供でも分かりやすい「日常心得集」は見てやってみる事が子供でも理解できる内容で

そんな子供のステージには子供なりの解釈、理解ができる内容で十分ではないかと。

仏教でも
小難しく心理や教えから入るよりも
きっかけ、興味を持つ事から入るなら
今東光を知るだけでOKかもしれないし。。
酒井雄哉氏の出家する前の夜逃げ、廃業、借金、奥様の自殺

人生どん底までいってもその後尊敬される人間になった方もいて
そんな人間臭いヒストリーが興味を持つきっかけになるのでは?と思うところで

自分の場合だと、〇〇学や〇〇の教えよりも
その人、個々人のストーリーに興味を持つ事が大きくて

極端な人が好きなのか?(笑)
人生どん底を味わっても、それを乗り越えた経験を持つ人に興味を持つことが多く
自分がつまづいた時に「何のために生きてるのか」「人生の目的は?」などを考えるときに
そんな極端な方を見ていることが多いです。

きっと釈先生にお会いしてから今も身近にいるのは
釈尊の教え以上に、釈先生の人なりの所に興味を持っているのが大きいのかなと。自分なりには
歴史というか、歴史を通じて人の歴史(生きざま)を学ぶということかもしれません。