イケメン漁師|第3話 「みゅるるで検索」


 「高齢化社会のニーズに合わせた新しいサービス、ってとこかな。」
スマホで店の外観を撮りながら片山が言った。適正な価格であるならば、と続きそうなところを、片山は大きなあくびをしただけだった。

 会社からの帰宅ラッシュの電車はいつもさほど混雑していない。乗っているだけで疲弊するような状態になることがないのは、今の仕事の大きな利点だった。ターミナル駅からはそれなりに混み合い始めるが、それまではたいてい座席は空いていた。
 亮太はドア近くの席に座り、乗客の多くがそうするようにスマホを手に取ったが、画面を開くことなく車内の広告を眺めた。熱中症予防の豆知識、脱毛エステ、転職案内、消費者ローン、深見東州の新刊、特に変わりばえのない風景だった。
 途中の停車駅で傘とバッグを抱えたお婆さんが乗ってきたので、亮太は席を譲った。それは条件反射的なもので、いつからか亮太の身に付いていた自然な行動だった。スマホに見入る乗客は気付かず、優先席では若い男女が喋り続けていた。
 吊り革に掴まり、自分の仕事と相反するその行動を、亮太は奇妙に感じた。『食うためには仕方ない』という正論で言い訳するまでもなく、それら全てが当たり前のこととして自分が捉えていたからだった。たしかに中間のボンヤリしたラーメンだ、と亮太は思った。
 中吊り広告の週刊誌の見出しに、新堂美羽の文字は見当たらなかった。明日発売の女性週刊誌があるなら、おそらく大きな扱いになっているのだろう。津波で両親を亡くし、性風俗で働きながら大学を卒業、社会人1年目にして殺害された悲劇のコスプレ美少女。しかも俺ん家の前で。
 そんな新堂美羽にも夢があったんだろうか。これからメディアがそれを語っていくだろう。けど本当のことはわからない、本人は死んでいる。
 亮太は未来のことは考えないようにしていた。憂鬱になるからだった。新堂美羽もまたそうだったかもしれないし、誰もが似たようなものなのかもしれない。日本という国に住んでいれば。
 亮太は3・11の時のことを思い出していた。学生寮にいた亮太は異様な揺れに慌てて部屋を飛び出し、同様に外に出た寮生達と鉄柵に掴まっていた。地面が大きく上下し、風景は歪んでいた。遊園地のアトラクションか、というのが最初に出た言葉だった。その後見たテレビの光景のどこかに、新堂美羽の家族はいたことになる。3日後に原発が爆発した。風景だけじゃなく、国そのものが歪んでしまった。亮太はそんなふうに思っていた。
 ゼミ生達の間で、被災地のボランティアに参加しようという話が持ち上がった。提案したのは佐藤という正義感の強い男で、亮太はこの男が苦手だったが、就活も控え点数稼ぎになるだろうという他の仲間の意見に同意した。現地で最も強烈な印象を残したのは、とてつもない悪臭だった。その現場で知り合ったのが平井だった。「ヒマだから来た」と言った平井を、佐藤は「不謹慎だ」と罵ったが、平井は全くその通りの男だった。
 あれから8年経ったのか。オレは何か前へ進むことが出来たのか。地を這うように働いて結局体を壊した。生活は苦しく、日々をどうしのぐかだけで生きている。そうして時間ばかりが過ぎて年を取っていく。
 電車がターミナル駅に到着すると、ホームは尋常ではない人の数でごった返していた。聞こえてきた駅のアナウンスが、人身事故によるダイヤの乱れと振替輸送を行っていることを繰り返し告げていた。亮太は車両の中ほどに移動したが、それでも車内はひどくひしめき合う状態になった。
 手にしていたスマホをポケットにしまうことも出来なかったので、亮太はそのまま画面を開いた。愉快な動物達の動画で現実から逃避し癒されようと思ったが、ポイントサイトがあと少しで現金1000円への交換が可能であることを思い出し、アンケートに答えることにした。これで西友の家計応援米2kgが買えるのだ。と思ったところでバナーが表示された。平井からのLINEメッセージが届いた。
『みゅるるでぐぐ』
意味不明だった。平井のメッセージは常に短文だが、必要最小限を書いてくるのは知っている。『れ』ぐらい書け、と亮太は思った。みゅるるでぐぐれ。何だそれは。
 進行方向のドア付近から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。ぐずる泣き声は次第に大きくなり、車内に響き渡るようになった。亮太の隣に立つ中年の男はツイッターの画面に何か書き込んでるようだった。男があからさまに舌打ちをするのが聞こえた。
 亮太は平井のメッセージを放置し、アンケートの回答に集中した。クリックするたびに表示される広告がサイトの目的であり、真面目に答える必要はない。あなたの年齢は? 19歳。個人年収は? 1000万以上。同居する方は? 孫。アンケートそのものに意味はない。書かれた質問の文章にも意味はない。個人情報が抜かれるにしても、そんなもんは今やどこからでもだだ漏れだろう。抜かれて困るような大した人間でもない。わずかな金さえ入ればいい。
 電車が途中駅に停車したが、車内の混雑は変わることなく再び発車した。窓の外を通り過ぎるホームに、抱っこ紐の若い母親が赤ちゃんをあやしている姿が見えた。車内は電車の走行音だけが聞こえていた。隣の男はやはりツイッターの画面を眺め、何かの投稿に笑っているようだった。
 25ポイントを獲得したところで亮太は電車を下り、待ち合わせの各停に乗り換えた。そういえばあのお婆さんはどうなっただろう、とふと思ったのは電車が発車した後だった。
 最寄り駅を下りると雨はすでに上がっていたが、外は蒸し暑かった。商店街を抜け、高速道路の陸橋を過ぎ、街道沿いに15分ほど歩いてコンビニの先の角を曲がると、亮太のマンションが見えてくる。昼間のテレビでの様子から、マンション前は報道関係がうろついているのではと思っていたが、意外にもいつもと変わらず静かだった。あの監視カメラがどこかにあるのだな、と周囲を見上げながら歩いていると、マンションの入口付近に大量の花束が献花されていることに気付いた。
「こんばんは。」
と背後から突然聞こえた声に、亮太は驚いて振り返った。いつの間に現れたのか、すぐ目の前に昨日の二人の刑事が立っていた。お仕事帰りですか、と例のまとわりつくような目で見据えながら年配の刑事が言った。ご苦労様です、と亮太は軽くお辞儀をし、会話は続くことなくマンションの中へ入った。エレベーターはなく、4階までは階段を昇っていく。亮太は思った。殺された階下の女の子、新堂美羽の部屋では、警察の立ち入り調査が行われただろう。あれもこれもと晒されていくんだな。亮太は初めて新堂美羽が可哀想に思えた。
 カギを開けて部屋に入ると熱気と湿気が息苦しく、亮太はすぐさま窓を全開にした。扇風機のスイッチを入れ、服を脱ぎ捨ててシャワーを浴び、トランクスを穿き替えてバスタオルで髪を拭きながら、冷蔵庫からグラスと発泡酒を取り出し、狭いキッチンで一息に飲み干した。晩飯には作り置きしておいた冷凍チャーハンをレンジで温めて食べることにした。冷蔵庫の中身と食料をチェックし、数日後の給料日までは余裕であることを確認した。
 今の仕事はそこそこ良い給料が出る。生活は順調に上向いてる。ついこの前までは発泡酒すら飲めなかった。そう思うと亮太は気が楽になった。
 食事を終えて食器を洗い、脱ぎ捨ててあったスーツを窓横のハンガーにかけた。窓の外の遠くに鉄橋を渡って行く電車の明かりが見える。そこは市の境目になる大きな川が流れていた。
 亮太は窓を閉め、エアコンのスイッチを入れた。バッテリーが切れかかっていたスマホを充電器につなげたところで、亮太は猛烈な睡魔に襲われた。なんとか歯を磨き、部屋の電気を消して、無造作に広げた布団に倒れ込むように眠りに落ちた。

 真夜中だった。それが夢ではないとわかった時、亮太は全身が総毛立ち硬直した。部屋の中に誰かがいる。強盗か? 背中の向こうに一人、いや二人?亮太は息を殺して耳を澄ませた。だがまるで音はしない。亮太は意を決し、飛び起きると同時に枕を盾にした。
 何だこれは。そこには何もいない。だが、いる。目には見えないが、いるのだ。人のようで人ではない何か。『それ』としか言いようのない何か。強烈な気配で、『いる』ことを発しながら部屋をうろつき回っている。
 亮太は部屋の電気を点けようとしたが、『それ』はスイッチの手前で回転している。円錐形の物体のようにも、顔から手足が生えているようにも思える。幽霊なのか。これが幽霊ってやつなのか。なんか夏だし、たぶんそうだ。亮太は窓際の収納ケースにお守りをしまっていたことを思い出し、猛スピードで取り出した。振り返ると『それ』は目の前まで接近していた。亮太は悲鳴を上げながらお守りをかざした。そこには『交通安全』と書いてあった。やがて『それ』は方向を変えると、一瞬でキッチンに移動していた。やはり人のようにも思えた。そして消えた。
 しばらく放心状態だった亮太は、いつの間にか眠ってしまっていた。気が付くと外は明るく、起床時間の1時間前だった。変な夢でうなされてしまった、と亮太は思った。枕元の交通安全お守りを見て、我ながら呆れて笑ってしまった。何を考えてるんだオレは。亮太はそのまま起き上がってトイレに行き大量の小便をして、コーヒーを淹れることにした。
 亮太はオカルトを信じていない、というより全く興味のない人間だった。変な夢を見たのは疲れているのか、新堂美羽の事件が無意識に何か影響しているのかも、と思った。仮に成仏出来ない新堂美羽の亡霊だったのだとしたら、線香の一本でもあげてやればいいだろう。しかし猫耳の美少女とはほど遠いもんだった。違うだろうなそれは。
 亮太は充電されたスマホを手に取り、キッチンでコーヒーを飲んだ。平井のメッセージを放置していたことを思い出した。
 みゅるるでぐぐ(れ)。
 トップのニュース表示の見出しに『被害者は「みゅるる」か』とある。他に表示されたのは『みゅるる(@myululu)|Twitter』のアカウント。そこからはまとめサイト、保守速報、ネトウヨのブログらしきもの。亮太はニュースをクリックした。
 『刺殺された新堂美羽さん(23)は保守系SNSや右翼活動団体のアイドル的存在として知られていた「みゅるる」と同一人物とみられ、ツイッター等のネット上は騒然となっている。』
 デモの旭日旗を背景にポーズをとる、猫耳コスプレの女の子の画像が紹介されていた。
 亮太はツイッターの検索画面を開いた。トレンドの1位『#みゅるる』をクリックし、『話題のツイート』が表示された。
『差別主義者は叩いてもいいって言うクソリベどもは、津波で両親亡くしてがんばって生きてたみゅるるも叩きまくってもらおうか』
『みゅるるを殺した犯人にも人権ガー言い出すであろうパヨク乙w』
『ツイッター社はなぜみゅるるのアカウントを凍結しないのか。たしかに悲劇だが放置してよいものではない。』
『【速報】みゅるたそのHな画像まとめてみた【眼福】』
『LGBTの私から見たみゅるるという女の子についてnoteに投稿してみました。ぜひ読んでください。』
そして何よりも、みゅるる本人の過去ツイートが大量にRTを重ねていた。猫耳コスプレの自撮りセクシー画像は間違いなく新堂美羽だった。そして亮太は新堂美羽の夢を本人の口から知った。
『安倍ちゃんは悪くないんだからね!』
『日本もHも大好きだよ♡』
『天国のお父さんお母さん☆無事卒業したよ~ 』
『みゅるるの夢は美しい日本!まずは在日の大掃除から!』

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