麻織真也は彼が距離を測る

その一

 アパートは同じ造りが向かい合って建っており、手前にはスーパーマーケットがあって路地から大通りを背にして左手に入ったところにタイル張りの小空間というか前庭スペースで向かい合っている。路地を背にして右側の棟の奥の二階、階段を見上げて右手側の部屋は厳密には1Rではなく七畳半の部屋にロフトというよりは九畳という屋根裏部屋が付いて部屋を選び始めたがらんどうの時点では、中々広い所だと感じる者もいたはずだが実際に住み始めてからは狭いといえる。タイル張りの前庭へ専用の銀色の自転車カバーとセットで同じショッピングモールの同じバイクショップで購入した自転車を止めるのは屋根がないために雨ざらしになるからだったが掛けているとはいっても毎日かけることはやっぱり億劫だと思うためか、始めは三日に一回くらいを億劫がっていたのを今では掛けるのが三日に一回くらいになっていたかもしれない。その自転車が黒い「スポーツタイプ」と購入時に書かれていたものをそれが専門的な型の名称なのか知らずギアが六段ある(以前使っていた物は友人から「変速ギア付きは故障しやすい」と聞いていたため無変速の物だった)ために故障しやすいのではないかと疑うしギアチェンジの際にはガチャガチャと不安を催させる音が点検に出してもいまだに改善されたことがないのを麻(ま)織(おり)真(しん)也(や)は気に入って購入したし、今も気に入っている。
 自転車を出して(前庭と路地との間には段差がある。アパートの方が一段、十センチくらい高くなっている。その段差には直方体とかそれを斜めにカットして角を丸めたようないびつな形のコンクリートブロックがいくつか置いてあって、自転車で乗り上げるたびにガタンガタンとなる)春先から異動して働き始めたいわゆる特別養護老人ホームへ出かけるのだが細い路地を縫うような道を敢えてでもないが結果的にそう選んで職場まで直線となる大通りへ出る方法を選んでいるというのも、このルートはかつて住んでいた2LDKがあるアパートへつながる道でもありそのアパートが名残惜しいのかもしれない麻織真也はただ、狭い路地が好きなのだと思う。
 路地は途中に自動車教習所で習ったことがあるようなクランクがありその角にはウメのような花を二月頃には咲かせていた木で進むと雑草の茂って色々のスクラップに見えるものが置かれていたが物干しに時々衣類が干されている日本家屋があって、晴れた日の昼過ぎなどは日差しに黄金色というか小麦色に、家屋とか、枯れた雑草とかが光るのが生垣の隙間から半分から三分の一くらいに見えた。クランクを過ぎると左手に小さなY字路があってちょうどその又の部分に建っているのは「道祖神」と書かれた石碑を通り過ぎ、右手に畑、左手に住宅とアパートという隘路がある方へ進入して五十メートルばかり進むとその前まで住んでいた築二十年くらいはそのときには経っていたアパートだった。壁は青く塗られて傍から見れば若干悪趣味かもしれないその二階の202号室に二年間ほど暮らした。今になってそれほど嫌ではなかったとあくまで彼は思うのだが、「住めば都」と自分に言い聞かせながら暮らした隣室(アパートに向かって左手。それが201なのか203なのか、じつははっきりわかっていなかった。たぶん何度か確認しているのだがすぐ忘れてしまっていた)の暮らす住人が麻織真也は得体が知れずきっと男性一人暮らしだと考えていたのは時々時間帯にかかわらずひどい怒鳴り声が上がることがあった。一度若い女性がその部屋を訪問したのは夜の仕事帰りにたまたま目撃した彼は、部屋からは男性とテレビらしいもぞもぞとした音しか普段聞こえないのに彼女が普段その部屋に住んでいるものだとも思えない。反対側の隣室には四十代後半~五十代くらいの女性が一人暮らししていて息子とは別居しているらしくて一度彼女の元を訪ねてきたことがあったのも顔を見ていない麻織真也はその時部屋の中で彼の声だけを聞いていた。彼はきっと高校生くらいだと彼が思ったのは彼にとっては若そうな声で、しきりに「ババア」と連呼している。彼が彼は高校生だと思った理由はもう一つあるのは彼の暮らしていた202号室へ一度彼に身に覚えのない封筒が配達されてきたそれはもう覚えていないが『○○高校』と書かれた封筒をつまりはと彼はどこかの高校の資料らしく、隣室の女性のその息子の元へ届くはずだったものできっと誤配されたのだと考えたからだ。麻織真也がその女性とは顔を合わせればあいさつを交わしていた程度のつきあいは部屋を出た通路や、あるいはベランダで洗濯した衣類や布団を日干ししているときなどだった。
 通路沿いに設置されている給湯器の彼女の部屋のそれは管が劣化していたらしく、彼女は日中シャワーを浴びることがしばしばあるらしくその音が部屋の中にいる麻織真也の耳へ届いた。そうしたときに通路に面しているその給湯器からは湯が漏れることがあったので越してきたばかりの頃に麻織真也は一度彼女へ伝えたことがあったはずだし、管理会社の修理がそれ以降二度は入っていたのを見ているが、しかしその後も管にまかれた補強テープの隙間から時々漏れていたのだったが、今となって麻織真也はわからない。そもそもは烏が居た。アパートの前に日中両足の折れたカラスが飛べずにへたり込んでいた。目を丸く見開いて何もせず(出来ず、)周囲をキョロキョロとやっていた。こいつはいずれ死ぬだろうと麻織真也は思い、どうやら他のカラスも集まってきている。俺はかかわりたくないと自室へ逃げかえった。そのアパートの202号室の扉へ向かう後ろから、そのカラスか別のカラスの鳴き声が、ま近にカァカァと聞こえた。
 夕方になり、麻織真也が用事があって外へ出てみるとそのカラスはきれいサッパリいなくなっていた。あの後のことだが人声もしたから、だれかが片付けたのかもしれない。あるいは脚の折れたと思っていたのは、俺の思いちがいかもしれないのだが、帰宅してしばらくの三十分間くらい、ともかく、そのカラスをどうすべきだったのかと彼は悶々としていた。助けて治療してやるべきだったのか? 近くに麻織真也は動物病院がある。自腹を割いてそこへ運び込むべきだった? と俺は考えていた。しかしいや、それは余計なお世話に麻織真也は思えた。カラスにはカラスの社会がある。関わりのない野生動物にそんな事をするのは、偽善とも麻織真也は言えた。カラスにはカラスの倫理がある。人間ではなかった。いやしかし。彼はそう言い訳をして、実際のところ責任を負うのが麻織真也は面倒なだけだったかもしれない。いずれにせよ逃げ帰って見ぬ振りを、するのではなく他にもっと良い選択肢があると麻織真也は思えた。
 ところがカラスは綺麗に居なくなっていたのだから(居た痕跡も無かった、)誰か人手が、麻織真也はあれから後に介されたと考えるのが普通なのだろう。結局の所麻織真也は「野生生物の倫理が、云々」とかうそぶいて、逃げたのだ。と麻織真也は思った。
 翌日。海辺へ散歩に出かけると麻織真也は体を痛めて飛べなくなった海鳥が波打ち際に漂泊していた。こういうことをセレンディピティとか共時性というのだっけと麻織真也は、しかしこのときはカラスが瀕死のそれを目ざとく見出し、それに攻撃を加えていたのを見た。彼は遠目でよく見えなかったが、目玉か何かをつつき出していたように思われた。それからカラスは、それが息絶えるのを待つつもりだったのか一旦、その元を離れたから彼が近寄って見に行くことができた。それはまだ息はあるが空洞を思わせるみたくに目を半開きにして死なんとしているようだったが、カラスはこれをついばむのだろうかと麻織真也は思ったから、少し離れた場所に退いて事のなりゆきを観察しようと思った。しかし近くで見ているためだろうか、カラスはそれから中々それに近づこうとはせず、何度かの接近があったものだが結局カラスはそれをついばむことはせずにそれは瀕死のまま彼はその場を離れた。ボロ布の塊みたいに波に打たれているのを見た。
 少し時間が経って同じ海岸をめぐり歩いてきて、先ほどとは別の浜の方向を眺めている麻織真也は、今度は(いや、三度目というだろうか)カラスが明らかに何かけものをついばんでいるのだった。その足元の黒い塊より鮮やかな赤いものをくちばしで引きずり出してもぐもぐとやっている。肉片にちがいない、それも新鮮なものだろう。少しするとカラスが離れたので俺はそれを見に近づいて行った。それはやはり鳥だった。首の無い鳥の死骸が、まだ新しいらしく、蛆も沸いていない、きず口というより首の部分が、赤々と咲いたばかりの華のように開いてじくじくとしている、羽毛におおわれた体はきれいなものでその一点を除いては目立った傷も見えない。
 俺はカラスの食事の邪魔をしないようにその場を立ち去ったが、彼は妙な二日間だったと思った。彼もやがてはああいう風になるのかと思う。別に悪い気持ちはその時しなかったがなんとも言いようが無い。ただ食事は、生と死との接する場であった。海もまた、幾多の死骸のスープと言えた。そうそう、俺はその少し前に岩場へもぐり込んで小さな巻貝の殻を砂からうずもれていた奴を手に入れたら中には砂と一緒に蛆が、湧いていたのだ。生きている巻貝かと思ったのは生きているのは蛆で、本来のは腐肉になっている。麻織真也は考えても見れば当然の事だが、食事は死を食っている。それだから生きるのだ。
 最後に、といったのは帰り際でその浜辺で麻織真也が拾ったのは骨片だった。それはおそらく何かどうぶつの脊椎の一つで、さらさらと、清潔っぽく乾いていた。人差し指と親指との間にちょうど収まり彼が手のひらによくなじむ。手の平に転がしてひとしきりそれに、あいさつ、をした俺は少し浜辺とその陸地側の土手の間を散歩してそれを海の方へ片手から放った。軽く、それは彼の投擲力では五メートルも飛ばずに目の前の砂と土との間へと落ちた。麻織真也はその青いアパートの202号室へ帰った。翌日は首筋が日焼けでひりひりと痛んでいる。そして麻織真也がその当時いつものように通った接骨院へと入ると、その今でもといっても今は半年ほど通っていないそこの院長からどうしてそんなに日に焼けているのかと聞かれた麻織真也は、一人で海に言ったと半ば空笑しながら話していて、院長の男性は麻織真也には半ば呆れ半ば感心したように見える表情で軽く笑った。

 麻織真也は現在彼が暮らしているアパートは屋根裏部屋は以前暮らしていたアパートの本棚に詰めていた本と、その他置き切れなかった雑貨と、衣類を置いている。その屋根裏は空調設備はついておらず小窓が西向きに一つと(この部屋の窓は全て西向きで、それは東側には民家、北側には部屋へ昇るための階段、南側には後述することになる他の部屋が隣接している)はじめから点灯しなかった豆電球が一つあるだけだったので、冬は寒く(彼がそこへ越してきたのは十二月の初頭だった)おそらく夏は湿気って暑くなる可能性があったけれども麻織真也はまだそうなることを知らないのだが、そこに大量の段ボールと入れた書物、衣類を置いたままにするのは俺の不安を催した。
 彼の暮らす、つまりその下の七畳半は南側の壁が一面オレンジの壁紙になっていて俺はそれが気に入っているから越してきた一因にもなった。そのオレンジの壁の向こう側は隣室でありそこにはおそらく彼と同じ世代の男性が一人暮らししていると彼にはわかっている、というのも壁の反対側から声が聞こえて来、それはしばしば罵声あるいは悪態であったが、またかと麻織真也は思い以前住んでいた202号の青いアパートを連想しないではいなかったが、しかし声は以前のそれよりも若く彼の年齢に近く感じられたからそれは年齢が若いためだろうか、それとも単純に気性や性格の問題なのか知らない彼が比較すると穏やかに思えた。年齢が若いためというよりは彼に彼の声の年代が近く感じられるからかもしれなかった。彼は時折テレビゲームをプレイするようでピコピコというささやかな電子音が伴って彼に聞こえてくることがあった。その彼の声に脅かされているという表現はあまり適切ではないかもしれないが心の中では脅かされていたといってもいい。麻織真也はその夢を見たのはここへ越してきてから半月ほど経ったその日はこれからだった夜勤のその昼間に布団を敷いて眠っていた彼が隣でだれかが寝ているようである。すぐ間近で寝息が聞こえる。誰かが背中合わせに一緒の布団にもぐりこんでいる! 侵入者、空き巣の類だろうか? と恐怖した。彼は自分と同い年くらいの男だった。活発な印象。彼はこのアパート一室一室を訪ねて回って住人を誘い、何か新しい革新的な活動を始めようじゃないかと誘いまわっているのだというような説明を彼へする。彼は、俺はその話と彼に興味を惹かれ、恐る恐るながらその話へ賛同する。彼は他にも何人かの賛同者がいるのでこれからこの部屋で集まって話し合いをしようじゃないかと提案して、皆を呼び集めるために出ていった。
 彼はしばらくして人が俺の部屋へ集まってきた。住人全員ではない。男二人と女一人くらいがいずれも同年代くらい。特に女性は積極的というかせっかちな様子に彼は感じて、階段から(この室内に階段があった!)飛び降りるようにして部屋へ急ぎ入ろうとする。彼は、俺は彼女にも好意を持った。俺たちは部屋を奥へ進んだところで打ち合わせしようと廊下を奥へと進む。そこは彼の実家の縁側とそっくりの場所につながっていて、片側が外に面した板張りの廊下で突き当りになっている。突き当り向って右手側が外、左手は座敷でそれは実家と同じ造りで、廊下は外は雨が降っているらしく激しく雨漏りしておりぼちゃぼちゃと大きな水たまりになっている。俺たちは構うもんかとそこへ直接車座になって彼は彼らとあぐらをかいた。隣の座敷では何か法事か葬式の最中で、親戚一同や彼の職場を利用されている人たちが和装の式服をまとって集合している。厳かな様子だがあまり重苦しいあるいは堅苦しい印象は彼はない。彼は、皆も親切な様子で俺たちのことを気にしてくれていた。
 実家に似た家屋の中で、俺と男女数人で共同生活を営んでいる。年代は全員同じくらい。ここはタレントで女優でもある中川翔子の実家兼事務所で、俺たちはその住み込みのスタッフである。中川翔子は仕事で忙しくほとんど外出していて居ない。俺たちはその留守を預かっていた。いずれ近いうちに中川翔子が仕事から戻ってくる予感というか期待があり彼は、俺たちは食事の準備などしながらその帰宅を待っている。
 広い実家の台所で彼のいとこや叔母であるその母親たちと料理の準備を彼はしていた。何か大事な式だろうか、行事が実家で行われる直前の様子で他の親戚も徐々に集まり始めておりややあわただしそうな様子。しかし雰囲気にはなにか充実したものがある。彼は、俺は部屋部屋を歩き回ったり外に出て親戚を迎えたりしている。段々と集まってきており、一同大集合といった雰囲気だった。中に一人彼の職場を利用されているおばあちゃんでKさんが親戚ということになっているのだが、重い足を引きずって遠方からいらっしゃっていて彼は、俺は幼いころに彼女の家へよく遊びに行って過ごしていたことを急に思いだして懐かしい気持ちになった。
 夢の話は油木(ゆき)青(しょう)へSkypeを通じて話された。関心を示して彼女は「大事な夢だね」と彼の夢を彼へと印象付ける。麻織真也は彼は彼の夢はいつもと違う感じを持っていながら他人に言われてみれば確かに彼が考えている以上にそれは大事な夢であるようにその時から感じられた。その侵入してきた彼が隣室の男から想起されたことは間違いないように彼には思えて、彼女へ対しても彼はそのように説明し、隣室の男についても彼が知る限りについて補足をしたはずだった。彼は切羽詰まっていたのだと彼はそれからも度々この夢の記憶、記憶の記憶、を契機として彼自身へ対して思い返す。油木青とはそれ以前からももちろんだが、その後も、回数こそ麻織真也は昔と比べれば明らかに減っていると思うが、他の話を日常的な悩みとか話しているし、時には彼が聴いた。その間に彼の部屋に居る彼の身辺は彼が屋根裏スペースから降ろしてきた幾つかの書物によって立て込んでいったし、それだけでなく彼は外からも買い込んだ。それはほとんどが漫画の単行本、あるいは文庫本だった。彼は大島弓子を段ボール一つ分持っていたのを降してきて、十キログラムを超えるであろう重量でロフトの急な階段を下りるときには彼が七年前に椎間板ヘルニアになっていた彼の腰椎をいまは大学を卒業し就職してからの五年ほど前に治療して今は前の夏から疎遠になっている接骨院で指導を受けて改善しているとはいえ、かばうことに細心の注意を払った。その階段を彼は荷物を持って上がるときには姿勢の関係から腰椎への負担は少ないことを感じたが、降りるときは動作が逆になるのだから落ち着いて考えてみれば当然のことである。麻織真也はそうやって大島弓子は狭い彼の居室の中へと配置されそれはさらに立て込んだにもかかわらず、彼はBOOK‐OFFとかAmazonから購入した『藤子・F・不二雄大全集』の『ドラえもん』のちょっとした辞書程の厚さが全二十冊あるその全巻や阿部共実をその上と周囲へと積み上げたために、彼女の段ボールは上から段々とひしゃげていって麻織真也はそれが本だけでなく彼の足置きの為へと手近なその段ボールを使用していたことにもよるのだが、しかしその中身は彼女の漫画でほとんどいっぱいになっていたからそれ以上はひしゃげず、麻織真也は中の本も本の中ですらいま特に影響は受けていなかった。
 俺にとってはこの上さらに異動して一年目であることを思ってしまうと麻織真也は初めての変則勤務によって迎える年末年始であったから当たり前のように勤務表には大晦日にも年明けにも、むしろ非常勤職員が休んでいることを思えばなおのこと彼の勤務は組まれていたから悶々とした気持ちを抱えたまま大晦日を迎えた彼は特に紅白歌合戦を見るというわけでもない(そもそも彼はTVを持っていなかった)。
 帰り道のコンビニで蕎麦を買い家に帰る。彼はなるべく年末年始の事とか、祝日気分ということを考えたくなかったのかもしれないけれど傍から見てもどういう気持ちなのか麻織真也は周囲を見てもよくわからないしそもそも彼自身にとってだって、自分自身の気持ちは推し量りたくもなく億劫だとも思った大晦日は歌をうたった。

  肉片の恋   

 覚えておいて
 あなたはマーケットに良く行くっていうけど
 牛肉って安くないのよ
 豚肉だって
 鶏肉だって(ササミですら!)
 結構するのよ

 あなたにはウィンナーがお似合いね(業務用!)
 ミートボールもいいかしら
 生肉なんか1・9・8年早いのよ(イチキュッパ!)

※ああ肉片の恋
 それは女の子だって一緒
 あなたに生身の彼女なんて
 2.5年早いのよ(拡張現実しましょっ!)

 覚えていなくちゃ
 今日もマーケットに行ってくるっていったけど
 お肉は二十九日が安いのよ
 国産品だって
 アメリカ産だって(貿易自由化!)
 結構違うわ

 あなたまるでBSEみたいな脳みそね(狂牛病!)
 うつろな瞳は鳥インフルエンザ
 死体を食べて暮らすわ1・9・8年(殺処分!)

  ※《リフレイン》

 ああ肉片の恋
 どんな女の子だって一緒
 味気のない非現実の妄想で
 私は腐ってしまいそう(バイオハザード!)

 早く私を食べてよね

 麻織真也は油木青の夢をベースにしたプロットを基にした漫画を描こうとしたのが昨年だとしてその時にその漫画の主題歌に考えられた。アイドルグループが地方公演の公民館におけるステージから始まるその話はグループの少女の一人が主人公つまりは夢見ていた青本人でさびれたアーケード商店街を通って家に帰る。精肉店を営んでいる彼女の実家は扉を開けると父親がたった今屠ったばかりの牛の頭が目の前に転がって来た。その肉の塊がさばくように言われて血も滴っているからさばいたばかりのものであることがわかるのを病院の手術台のような場所へ運んで大きな肉切り包丁で真っ二つに切り込みを入れるのだが、切り開いてみると中はぐじゅぐじゅと腐って虫が這いまわっている。ぎょっとしてしげしげと肉の内部を観察すると虫は卵を産んで子が孵っていたから、指でそれをひとつ潰すと親虫は動転したように肉の中をぐるぐると走りいつまでも走りまわっていた。
 歌ったのをスマートフォンにその内の三回分録音した麻織真也は彼が細々とかすれた声を音程が合ったり外したりしながらゆらゆらとスマートフォンから鳴っているのを繰り返し聴いた。蕎麦は夕食に啜った。
 元日は仕事の終わりにアパート近くの神社へ初詣に出かけた麻織真也は二礼二拍手一礼というしきたりは知っていたが一体どのタイミングで賽銭を投げ鈴を鳴らすのかが判然とせず結局二礼二拍手一礼を終えてから行ったのだが、その帰路は参道の中央は神のお通りになる道だと聞いたことがあったから一休さんよろしく端を通って歩くのだが、こういうときは普段はしようと思わないおみくじを引いてみようと思ったから参道外れに設けられた台の上の箱の中へ一回分二百円を入れて引いた『末吉』は「失敗を怖れず、挑戦し続けること」という格言めいた一文が冒頭に添えられていた。麻織真也は彼のおみくじを境内の端に設けられた柵へ結わえ付けることによってそれは何のしきたりに依っているのか知らない彼が、しかしどこかで見聞したかもしれない情報というか記憶に依るとそれは一層おぼろげだが、くじの厄をはらうというかその言い方も何だか変だがくじに書かれた内容に対する執心を断ち切ると言った意味があるのかもしれない。
 迎えた三日はどうやら三日月の様である。麻織真也はイオンモールへ夕食を買いに行った帰りは寒くここ数日の間ごまかしていたわびしい気持ちが再び沸々と湧いてくるようだったので空を見て、

 さみしい正月三日月つらぬいた



その二

「今日ピュグマリオン的な夢をみた。一メートルくらいの少女の人形を二体、夜更けに実家の茶の間で弄んでいる。家人は寝静まっているようだが、飼い猫が一匹、そこらあたりに居る。人形は始め裸でいるが、なんだか羞恥心か罪悪感を感じて服を着せてやる(専用の服が用意されている)。内部は糸とか歯車とかが張り巡らされており、自動では動かないようだが、からくり仕掛けの精巧なもののよう。機構は壊れかかっていたかもしれない。内側には赤い布が張られており(塗られており?)確か歯や臓器を模した造りもありグロテスク。外見は、よく耽美系の雑誌にあるような感じの艶っぽい美しさ。ラブドールのようでもあったが、後ろめたさがあり、いやらしいことはしない。二つ使ってお人形遊びのようなことをやっていたと思う。人形は始めから実家にあるもの(母親の持ち物? 手製?)だった気がする。たぶん、離れの二階の屋根裏のような物置になっている部屋におかれていて、それを持ち出して遊んでいたようだ
「たぶん母親との結びつきが強いんだと思う。その意味ではやはり『囚われている』……? ただ、いままでこうした『二体の人形』という形で現れたことは無かったはずなので、俺の中の何らかの認識の変化の表れなのかと思った
「空気感は、ひんやりとしていて、湿度は高いような感じ。人形遊びは、内密的で、どこか儀式的な感じ。やっていて満足感があった。その人形を扱うことになんとなく厳かさがある。きちんと正式な服を着せて、扱えることに満足感を感じていたと思う。あと、猫の存在は結構気にしていた。あるいは猫がこちらを気にしていたのか、その両方かもしれない。関係は悪くない感じ」
 麻織真也は油木青にそのように語った。
「少女失踪のニュースがやっている。十~十二才くらい。俺も興味を持って見ている。テレビで、失踪した近辺の畑を映している。少女はすでにレイプされ、殺されている確信があり、皆すでに死体探しの雰囲気。その現場付近の畑が一番怪しいように思われる。するとその畑に植えられているキャベツ(レタス?)の葉に、赤いラッカーのようなもので、少女がここに埋められていることを告発する匿名の落書きがあった報道がある。俺も捜索する大勢の人たちと一緒に現場にいる。畑を掘り返そうという話があるが、そこの農家のおばさんやおばあさんたちが、収穫まであと六ヶ月(六時間?)ほどあるからと反対する。少女の死体探しと野菜の収穫と、どっちが大事なのかと、俺は頭の中で天秤にかけてみるが、何となく農家のおばさんたちのいうことにも一理あるような気がして躊躇する。しかしそこで、そんなこといっている暇か! とばかりに誰かが(誰かは忘却)強く押し切り、畑の野菜を(後で植え直せるように根は傷めないように)どんどん抜いていく。はじめにトマトを抜き終えたところで俺も参加して残りの野菜を全部抜いていく。全部抜き終えると俺の父親がシャベルで掘り始める。俺は緊張と恐怖を感じながら見守る。やがて、おーい、出たぞーと声が上がる。畑の道路側の一番端に三~五メートルくらいの長方形の縦穴が父親によって掘られており、覗くと、横向きに埋まった服と少女の白い腕と脚が見える(半袖ブラウス、ホット・パンツのよく女の子がきているような服装)頭部はまだ土の中に埋まっており顔は分からない。これから頭の方を掘り出すらしい。犯人はマダワカッテイナイ
「目覚めてから犯人について考えてみたけど、夢見ている俺自身の意識が、殺して、夢の中へ埋めたような気がした」
 油木は、
「むむむ
「なかなかすごい夢だね」
 と言って、
「なんか、いままでの夢とは違って迫真に迫るようなリアルなところがあるね。現実ベースというか。去年の千葉の事件を思い出したけど。麻織君も現実と向き合ってるのだろうか……」
と言った。表情は分からない。

「場所は実家のようである。(しかし実家という感じではなく、どこかよそよそしい)なんとなくアパートのようになっているようでもある。俺と、複数のおじさん(三人くらい?)、そしてそのおじさんに関連のある?(親族?)女の子たち(八~十一才くらいの)が三~四人、その家の近所に暮らしていました。(おばさんみたいな人も中にはいたと思います。)それがある日、何だかとっても悲しいことがあり(何かは忘却、災害や例えは今まで家を支えていた男性が複数不慮に死んでしまうなど、何かカタストロフの後日談みたいな雰囲気だった)悪い大人たちがそのアパートの二階(実家の離れの二階。悪い大人たち、はヤクザのような男性三~四人が中心だが、事務的協力を請け負っているらしい女性も一人以上含むようだ)にやって来、住み着いてしまった。男らは、いずれもはっきりした姿はわからないがいずれも四十~五十代くらいの印象。女は容姿は完全に不明だが三十~四十代くらいのようである。容姿は完全に不明というのは、女は電話口で指示を出してくるだけの存在だからです
「さて、男たちは少女を要求してきた。男たちは彼女らを女郎のように扱い、彼女らを囲い混んでは連日レイプと暴力にふける。指示は全て電話を通して行われ、男たちの部屋の具体的な様子はわからないが、逆らえば確実に殺されること、そして彼女たちは殺されるような内容のレイプを連日被っていることはわかる。彼女たちは心身ともに傷ついて生ける屍のようになっている。俺たちは何とかしたいと思い悩むが、呼び出しがかかれば『頑張ってくるんだよ』等という他人事の残酷な言葉を投げ掛けながら彼女たちを送り出さざるを得ない。帰ってこない少女の中にはもう殺されてしまっている子もいるのではないか……。絶望感だけが広がる。そんな日々の中で、少女たちを救出しようと行動をついに起こす。おじさんの中で大工が得意な人たち? が、母屋から離れをつなぐ脱出経路みたいなものをつくる? ちょっと詳細は忘れてしまった。ただとにかく、何か男たちに対して抵抗の行動を俺とおじさんたちはとろうとする。しかし男たちにかんづかれてしまい、彼らは遠距離から唐突に一斉に発砲してくる。俺たちは物陰に隠れてやりすごすが、発砲は続き、何人かは凶弾に倒れてしまったようだ」
 その日は夕方から東京に数年ぶりに二十センチを超える積雪があるとどこでもニュースでは報じていたから外に出ると、麻織真也はもう夜の暗さでひらひらと大きな雪がどんどんと降り続いていた。夏から履き続けていたのと変わらないクロックスの薄い黄緑のシューズをしかし履いていた麻織真也はアパートのタイルで滑らないように、靴底全体で着地することを意識しながら慎重に歩き、道路に出た彼はもう二十センチほども新雪が積もっている中をやはり靴底全体を意識しながら、それは滑らないようにというよりは滑っても大丈夫なようにだったのだが、べたべたと、両手を広げながら走った。
 上りの上野東京ラインはスマートフォンで確認したとおり麻織真也は、遅延していないようで粉雪がびゅうびゅうと吹き込むプラットフォームに彼は風を避けるためにエレベータ扉の前に立ちしのいだ。幸い新幹線も遅延しておらず、当日切符を買い求める列には少し辟易したものの十九時にはすでに長野へ向かう特急列車の中に麻織真也は居た。
 毎年夏季と冬季の長期休暇には帰省するのが当然のようになっていたとはいえ、三十を間近にした一人暮らしの男が疑問を感じないではいられなかったがともかくもと、辿り着いた地元の駅は当然のように降雪で、何年ぶりとニュースが報じていた関東の雪の事はどうでも良くなってしまえるというのは陳腐な言い回しにすぎない麻織真也には実際どうでも良かった。到着した車でも七~八分、歩けば一時間はかかる(雪が降っているし夜だったからそれ以上もかかったかもしれない)地元の唯一の最寄り駅に麻織真也は母が車で迎えに来ており実家の玄関をくぐればやって来たカカオが吠え、父が重心の低い足取りで「おう、雪はどうだった」と歩きながらこちらに来るから「うん」と横を通り抜けるとリビングへ続く扉を開けると荷物を降ろしてジャケットを脱ぎコタツにもぐりこんでコタツに当たり、何かのバラエティ番組が映っているテレビを一瞥したかしないかで朝までまどろむ。

 通話を終えた父親が、罠にイノシシがかかったって。秀吉ちゃんが運ぼうとしてるんだけども、すげえでかくて、手伝いに来てくんねえかってせうから、これから行ってくる。真也も行くか? 身体をコタツで横にしていた真也は寝不足の怠さを感じたが重い荷物を持ち上げるような気分で彼の身体を起こすと、行く! とそのときは出来る限りの語気を強めて言い、汚れるからと父親が用意した厚手のレインウェアと、撥水性の手袋を身に付けて裏の山へと続く雪道を父親の後について登った。未圧雪の畠と山の斜面の雑木林との境界は膝近くまで雪に埋まりながら百メートルほど登ると、秀吉と猟友会の男性二人が父親らに向かって大きく手を挙げ、その足元には黒黒とした塊のようなイノシシの死骸が横たわっている。河原の小石のようにつるつると黒い目は見開かれたまま微動だにしないらしいし口元には血糊がこびりついて全体が血と泥で汚れた頭部には何本も紐がすでに彼らは結わえ付けていた。「こんなでっかいの見たことねえ」「町猟友会始まって以来の大物だ」「三発も弾をぶちこんだんだけど、見えなくなったから、俺ァ達逃げたんかと思って来てみたら、こいつ穴掘ってそん中に居やがったの」彼らが口々に言うのを麻織真也は聞いた。もうすぐもう一人応援が来るらしくて、一人の男が携帯電話に向かって事情を話していた。
「さて、じゃあやるか」と猟銃を担いだ男が言い、麻織真也は彼らはめいめいに紐を手にした。「よっこらしょ!」一斉に張り上げ紐がぴんと張ると、まず獣の死骸の頭部が持ち上がり彼らの脚は沈み込むが、ゆっくりと二三歩進み間の雪塊も巻き込んで死骸の全体もわずかに彼らと共に前進した。「あー、こりゃいけねえや」「重てえ重てえ。普通三人も居りゃ充分なんだけどなあ」「ブルーシートでも持ってくりゃ良かったな。そうすりゃもう少し、いくらか滑ってた」「いいよいいよ。このまま行っちまおう」
そのうち麻織真也の父親の友人の男性はもう一人が合流して計六人になったものの、麻織真也は大の大人の男が六人がかりで「よっこらしょ!」と一斉に引き続ける死んだイノシシの体躯はまるで動こうとせず、ともすれば引き戻されそうなその塊には例えば綱引きで二十人も三十人も相手に頑張っている時のような印象を与えたが、彼は男たちは確実に登ってきた畠の入口へ向けて死骸を引っ張っており、それの後ろには正しく何か重たいものを引きずった様なと麻織真也に思われた跡が一本の道のように続いているのを彼は見た。「よっこらしょ!」
 足元が下りの斜面に入って少し楽になった男たちは「止まるな!」と声を張って「よっこらしょ!」「よっこらしょ!」「よっこらしょ!」
ズズ、ズズ、ズズと体躯を勢いに乗せて一気呵成に引きずる。辺りはしんと冷え込んでいたはずだがなんだか獣の臭いが立ち上りまとわりつくような麻織真也は気がした。畠の入り口目前まで下った彼らは小休止をとるために立ち止まり、麻織真也は持って来ていたスマートフォンを撮りだしてイノシシの体躯を撮影した。「人間が入らなくちゃ大きさがわからねえか」と彼の父親がその様子をみてイノシシの隣に立ち並んだのを彼は撮ったし体躯は画像の中でほとんど黒く沈んでどこが何やらわかり難く見えたが、麻織真也は続けてそれの頭部を撮影していると「どれ。牙がどうなってるかわかんねえだろ」と秀吉さんが麻織真也へ死骸の口元をめくって手の平ほどもある牙が覗いたのをその手ごと近づいて真也は撮った。レインウェアの膝に血糊がこびりついて麻織真也は雪の塊をこすり付けてそれを拭った。血糊は一度では完全には拭い取れず彼は続け様に二三度繰り返して拭うのは強迫的な感じがした。舗装道のおしまいには男たちの一人が乗ってきた軽トラックが彼らの方を向いて止めてあったのを彼らの一人が運転することで逆向きに移動し直して彼らは最後に一斉にイノシシの遺骸を荷台へと引き上げた所で男たちは解散し、麻織真也は家へと戻る。
 夕方になって秀吉さんがさばいたロースを持って来てくれたその肉は、「触るのが嫌だ」と言いながら母親が切ったが興味をそそられていた麻織真也も切った。肉はぶよぶよとしていて固く一度別の新しい出刃包丁に替えてみたが、やはり固かった。父親が最後に皮の残っている部分を切り分けたが彼も固そうにそれを切った。
 彼の両親と麻織真也は、ホット・プレートでそれらを野菜と一緒に(焼肉へと)調理することでそれを夕食に食べた。カカオにも麻織真也はそれを与えようとすると、
「そんな大きいのは駄目。噛み切れないから。詰まらせちゃうからあげないで
「一度口に入れて、よく噛み含んでから与えないと食べられないんだよ」と 母は彼の息子に言った。
 母は言った通りに、肉を一切れ口に入れるとくちゃくちゃと咀嚼し、しばらくしてそれを取り出すと「カカオ!」と呼び、足元にやってきた彼にそれを与えた。彼は食べた。実際肉は固く、分厚く切られた一片はよく咀嚼しないと飲みくだせないのだった。麻織真也の父親が注いだ日本酒を彼は飲みながら、
「それでもやっぱり豚肉に近いね。触感と味が」と喋った。
 食べ終えてリビングで彼は、彼の家族と団欒しているとふいにカカオが片足を上げてコタツの座布団の縁へ、放尿を始めてジョロジョロと音がするのを麻織真也は見ていた。
「あれっ。ちょっとちょっとおかあさん。カカオのやつおしっこしてるよ!」突然彼は中央のソファでテレビを見ていた彼の母親に声をかけた。彼の母親はおもむろに立ち上がると「えっ、あれー! どうしたのカカオこんなところでおしっこしてー!」とひじょうに大きな声を上げて、「あーもうなんでー? カカオー」とカカオのいるコタツの方へと歩いた。排尿を止めてカカオは麻織真也の母親とは反対方向の、リビングの入り口付近へと移動した。
「いまは、普段はこんなことしてないんでしょ?」と麻織真也が言ったのは、以前というのは家をリフォームする前のことだがカカオはそのころ座敷であったいまはリビングであるその襖や柱へとオシッコをつまりマーキングを襖や障子の木枠が変色してぼろぼろになる程に彼は所かまわずやっていたからで、リフォームしてからこっちはそういうこともほとんど無くなっていたはずで実際に彼が彼が屋内でそういうことを目の前でする様子を見たのもリフォームしてからは初めてだったはずだった。麻織真也の母親はそれにしかめ面で同意したがそのときふと彼は思った「イノシシの肉を食べて興奮しちゃったんじゃないの」と言った。そのアイデアはなんだか至極もっともらしく彼と彼の両親との中で響いたから、結局それはそう言うことになった。庭へカカオは母に用を足しに連れられて出て行った。
 麻織真也はメッセンジャーを通じて油木青に日中撮影したイノシシの死骸の写真を送信した。
『猪! 200kg近くあるみたい!』『裏の山で罠にかかったのを父親たちと運んできた。6人がかりでやっと!』すると油木も、『おおお』『これ、少し夢とリンクしてる?』と返信したので麻織は、『この猪は雄だったけど、山から父親等とともに死体を発掘するというモチーフね。 猟友会の人たちは、こんな大きなイノシシは初めてと言っていた。』『あと複数のおじさんと協力するというモチーフも共通している。野生のイノシシも、俺にとっての少女も、共に無意識の世界に属するものか。シンクロニシティだねー。』『少女も猪も、共にグレートマザーの眷族という点では共通項かな? 同類のものと考えると、夢の「少女」の持つポテンシャルの高さや多義性を考えさせられる。』それで油木が、『猪と少女が2つでひとつのモチーフなのかもしれないね。無意識界の少女を意識界に登場させると、それは猪であったという。』『無意識界の蛙を意識界に引き出すと、それが王子や姫に転ずるように。』『それ、食べれるのかね?』と送ってきたので、
『美味しくいただきました』と言った。



その三

 彼は部屋を出てその階段を降りると隣棟の丁度左右対称になっている階段の下の北側に当たる部屋のドアがひしゃげている。ノブの充てられるべき位置はノブが外れ(外され?)て円盤状の穴としているために麻織真也は、彼が越してきたときからひしゃげてノブを見ていないはずだがそれについては正確な記憶でない。しかしいまの部屋に暮らすようになってからのある時を境にさらにそのドアはひしゃげてしまったように麻織真也は感じているが、長らく彼はその部屋は当然無人だと判断していたのは表札も無かったからだが、ある時を境にそこにはテープで代替したものによって『新藤』という表札がそのドアに貼付されたことは驚きを与えた。『新藤』と、余計にひしゃげてしまったドアの感覚とに関連があるのか麻織真也は知らないが時々大きく軋むような音を彼が部屋から階下から聴く度に彼はそのドアが開閉されて誰か、おそらく男の体が、出入りしていると言ってもその顔は想像できない彼はその足元やぼんやりとしたシルエットだけを想像し、まるで台風に打ち付けられているようにぶらぶらと動くドアを考えるのだが実際に彼は何も目撃していない。ただ銀色の折りたたみ式自転車が『新藤』のドアの前にある。脇だったかもしれない。麻織真也はその横を通って出かけ、横切って帰宅する。『新藤』の部屋の窓には黒い厚手のカーテンがかかっているがその窓辺には液体洗剤のボトルが置かれていて、彼が覗くカーテンの隙間からは家具らしきものがあるように見えたから、一体なぜそのようなドアを修理しないままの部屋にどんな人間が住んでいるのか彼には分らない。『新藤』は彼の夢には現れなかった。横切って麻織真也は展示に出かけた。それは三月の十五日に埼玉県立近代美術館でその月の二十六日まで開催されていた企画展で、彼の父親が三月に入った彼にLINEでメッセージを送ってきたのがきっかけだった。父親は齋藤春佳は知っているかと書き、見覚えがあった麻織真也はしかし前後が分からなかったために「誰?」と送った父親からは彼の母校である県立高校出身の美術家(アーティスト)であるという返答が来て、彼は彼の先輩の話題を彼が挙げていることを知った。彼は地方紙に彼女の記事が掲載されていたことで彼女と彼女の展示の開催を知り彼へと連絡していた。彼は彼女が美術家として活動していることを聞いたことがあったがその展示を観に行ったことはなかったけれど、たまたまその美術館には一度足を運んだことがあった。麻織真也が出かけたのは夜勤の明けた曇りの日で、電車を乗り継いで一時間以上かかる車内で仮眠をとって美術館へと向かった。彼がその美術館は建築が好きだったからだが、齋藤春佳の展示は2Fの一室で開かれていた。
 『飲めないジュースが現実ではないのだとしたら私たちはこの形でこの世界にいないだろう』という展示のタイトルが、意味がわからない麻織真也は繰り返し口の中で反芻しながら彼は展示の詳細について調べた。同名の大きな絵画がありそれは入口の正面に展示されていたので、麻織真也はまずその作品を視野に入れてから向かって左手のキャプションへと読み進めることになった。おそらく彼の1Rより広い部屋があって、キャプションの奥にはもう一室で『影の形が山』というインスタレーションだった。その部屋は照明が落とされて、十七分以上かけてその展示を見ることに決めた彼が、というのは十七分の音声付きの映像が壁にプロジェクションされているという説明を読んだからだったが、しかし最初は十分ほどで部屋から出てもう一度絵画を見学して、正午を回っていた彼は美術館外へ出てミスタードーナツで点心を食べようとドーナツも食べて展示のリーフレットを読みながら一時間ほど過ごしてから再度展示に戻った。
 『飲めないジュースが現実ではないのだとしたら私たちはこの形でこの世界にいないだろう』と、『なにもない部屋』と題された二つの絵画はそれぞれが麻織真也の1Rを占める窓程な大きさの白いキャンバスにどうやら油絵具らしい絵の具で描かれたその白い空間を背景に煙のような線描の幾つものイメージが手前に細い描線で敷き詰められている絵画で、彼は懐かしいと思ったのは彼女は彼の先輩であった高校生の頃からこうした繊細な絵を描いていたことをぼんやりと思いだしたようで、彼女は記憶の煙のような移ろいをテーマにしているのだろうかと思った麻織真也はそこで初めて十七分以上かけて鑑賞することになる『影の形が山』と題された彼には広い暗い空間の中には、天井から天秤がつるされており部屋の奥向かって左手には二メートルほどのベニヤが二枚連なって吊るされてその板と部屋の奥の壁とへと投影されて、天秤の影越しに光っては陰ったりした。音声はくぐもった女性の声で喋っていた彼にはそれが何と言っているのか聞き取れなかったが、手に持ったリーフレットにそれは全文写されていたし、それを読みながら、部屋の中にいる彼はベニヤ板の彼からすれば裏側で壁により近い側には電飾で山の形なのか、くの字を時計回りに九十度したような形で掛けられていてピカピカと光るが、それは投影された二つの映像とは同時には見えないつくりだった麻織真也が、室内を歩き回りながら音声はおそらく作家であろうか誰かの祖母の話を喋るのを聞き、「常念岳」という(これはリーフレットで知った)地名が出てくるのがおそらく、それは麻織真也はしかし知らないが彼の彼女の地元というとやはり長野県の山の名前なのだろうか。彼は天秤の透明なガラスかアクリルでできた平たい皿の上に透明なあるいは不透明な小石がいくつも載せられては落っこちては上下に大きく揺れる映像を通して、その手前の実際の天秤とその上におかれている小石たちも見、不思議なことにと麻織真也は思うが、それらの天秤は彼がそばを通過しても微動だにしないようだったが、彼はなるべく振動とか、風を起さないように気をつけようと思って室内を歩いているからかもしれない。平日で周囲に彼以外の人間は学芸員らしいと彼が思った女性を数えたとしても、一人、二人ほどしかおらず、その学芸員すらどこかへといなくなって麻織真也は居た。その時作家はきっと彼女のアトリエに居るのかそれとも別の場所で別の仕事をしているのか麻織真也のいる場所にはいないらしいのは彼は感じているが、知らないで、彼は映像に光が明滅している様子と映像ではサインペンで映像の中の映像の山(これが常念岳だろうか)の輪郭を手がなぞって線が震えながら伸びていくのを映している。彼は、回遊する魚のようにと麻織真也は思ったかもしれないが、展示の中を歩いているのでふとした拍子に設営されている天秤に身体が触れて小石を乗せているプレートを揺らして落としてはしまわないかと恐れながら俺はしかし、立ったりしゃがんだり間近まで近寄ったりしながら彼の部屋より広いであろう部屋の照明の落とされた中を歩くがぶつかることはない。朗読する音声は「私」と繰り返し言うがそれが祖母なのか祖母の話を聴いているものなのか判然としないように、天秤を映す映像とそれによく似た天秤を展示するこの部屋も同じく判然としないようにみせかけているので入れ子になって大事な部分は曖昧なままにされていてほしいのは、じつは作家の意図なのだろうかと麻織真也はリーフレットで音声の言葉を写している裏の面に書かれている文字の中で「祖母から聞いた話を元に語っていることは、過去の事だから私自身は全く知りません」と読んだから、文章はそこから続けられて「私が知ることもなく、祖母が知ることもなく、あなたが知ることもないことを、本当に、現実として、空間が思う」と結ばれているが、麻織真也はこれから二年ほど前に職場の近くの駅へと通じる交差点へと向かう道を職場を利用されている一人と散歩しながら通り過ぎた右脇の家で、そこは通りに面して大きなガラス張りの戸が立っている個人経営らしい洋裁店だったがそのガラス戸の中に猫がいたので「猫だ、かわいいね」と言ったのだけど、彼女は、
「猫はかわいいけど、すぐかぐるから嫌だ。犬の方がいい」ということを言って、
「猫はひっかくけど、犬はなめるだけだから。でも凶暴な犬なら噛みつくよね」って話をして、それで、そのまま彼女が昔自分の家で飼っていた犬の話になって、それは「おとなしかったよ」ということだったのだが、それはもういつだか知らないけれどもだいぶ前に死んでしまった犬のことで、
「でももう死んでしまったけどね」と残念そうに言うから、
「でもきっと天国でも元気でいるよ」と俺はかなりありきたりの、まあ浅はかとも行ってしまえばそんな適当なことを口にしたのだが、彼女はそのまま受け止めてくれて、
「ウチのこと覚えててくれてるかな」ということを言った。
それで彼はあれって思って、つまりそれは話が逆になってしまった。だって、死んだもののことを忘れずに覚えているのは生きているわたしたちの側の責任で、死んだものにとって「覚えている、いない」なんてことはそもそもなくて、これはそもそも俺がある意味死者を擬人化(擬「生」化?)して「天国で~云々」なんてことを言ったから相手もそれを受けて「死者が記憶している云々……」的な話をしだしてしまったはずなのだが、しかしその時その着想は面白いと思われた。
 そうか「そうだね。きっと忘れてないよ。覚えていてくれてるよ。Kさんだって、覚えているでしょ?」といって相手も「うん」とうなずいたのだが、そもそもこういう風に「死んだものたちが覚えているのだ」ということは、一種の逆説なのだがどこかしら真理めいたものに感じられた。
 死んだものたちが覚えていて、わたしたちはむしろ記憶される側に過ぎず、結局死んだものたちによって記憶されている限りにおいて、わたしたちはその死んだものたちのことを思い出すことができるのではないか? 彼女は「覚えていてくれるといいな。忘れてたら悲しいもの」ということを言ったかどうかはっきりとは思い出せないが、しかしそういう方向性のことは確実に言っていたわけだけど、死者が忘れるということがあるのだろうか。死者が覚えているとしたら、死者が生者のことを忘れてしまう、生者がその死者のことを覚えているにもかかわらず! という話は考えてもみるとわりによくある話で、そもそも例えば「うらめしや~」とでてくる幽霊は確実に覚えているのだが、『バイオハザード』とかのゾンビはきっと覚えていない。いや、言いたいのはそういう話ともちょっと違って、そもそもここで喋っていた「覚えている、死んでしまったもの」というのは、具体的にどのような存在を、彼と彼女とは、仮定しつつ、喋っていたのだろうか。それは幽霊とも違うし、観念とも違う気がする。しいて言えば「直感そのもの」みたいなものに限りなく近い、存在、というか。「直感そのもの」によって感知されるその幽霊でも観念でもない存在というのは、しかしおそらくこうした会話などによる「記憶の共有」を介してしかたちあらわれない、すごく「関係性の上」にしかないものである意味また「関係性そのものの記憶的触媒」とでもいうような気がする。ごめん、かなり適当な造語を作ってしまったのだけれど、ようするに人と人とのかかわりの上での、その瞬間瞬間にのみ組織されてその時のそのかかわり(会話とか)の中限定で働くその人たちのみ共有の「記憶」もどきみたいなもので、全然要していないのだが、その中で「死者」が泡のようにその都度彼らの間に想起されてその死者が「記憶する」。その死者が記憶することが、つまり生きている私たちがその死者を介した私たち間のかかわりの中でその死者について「思い出し」たり、「考え」たり、要するに「偲ぶ」「悼む」ということなのか。つまり私たちが偲び悼んでいるとき、わたしたちは死んでしまったものたちに記憶されていることをよりどころとして、死んでしまったものたちをおもいだしているということ。死んでしまったものたちは、生きている私たちが日々つくる関係性の延長にあって、そこからわたしたちに「覚えている」ことを送っている。ということ。ここにいなくなってしまったものたちは空洞だが、わたしたちはその空洞を中心にして渦を巻く竜巻のような形できっと関係性を構築しているのだということ。ここにいないというときに、それがいいたいのは、「ここ」には「いない」というだけである。(しかしこれは「どこかに」―「いる」という関連性を導き出す為の言葉ではない。)「ここ」には「いない」というのは、「ここには、いない」というだけだ。むしろ「ここにはいない」、外側に運動する関係性の方だ。
 そのことがわたしたちのものをしている。

「とうとい仕事ですねえ」と葭切(よしきり)群子(むらこ)さんは言った。葭切群子さんは、もうなくなってしまったが、俺が勤めている老人ホームの短期宿泊サービスを利用していた九十八歳、今年九十九歳になるおばあちゃんで、先日急逝されてしまったのは多分心臓が弱かったからなのだけどとても明るい良いおばあちゃんで、自分ではほとんど歩けなかったので車いすを足で漕いで移動されるのだけれども、トイレの時は自分で立ち上がって用を足すこともできたことはできたが何分そういうことだから不安定で危ないので、職員が付き添って下着の上げ下げを手伝ったのだが、そうしたときに彼女はそういうことを何度か仰るのだった。彼は最初はおおげさなことよなあでも悪い気はしないわねははは。思って居つつも彼は「ありがとうございます~(満面の笑顔)」みたいな対応で対応していたのだが、しかし利用される人本人から「とうとい仕事」(それもトイレ介助の時に! ですよ!)なんてことを、仕事の一般論として「君たちの(私たちの)やっているこの仕事は、尊い仕事なのだ」ということを聞かされたことは覚えてないが何度もあったけれども、言われたことはなかったので、なんだかすごくびっくりして、ほんとうにとうとい仕事なのか、葭切群子さんは、どこまで本気で、(あるいはお世辞で?)どのような実感を持って、自身の紙パンツを上げ下げする俺たち職員のことを「とうとい仕事」をする人たちだといったのかということはこのあともずっと心に残っていて、そんな葭切群子さんが急になくなってしまって訃報だけを聞かされたので、涙は出なかったが残念だなあとは思ってそれからもやっぱりそのとうとい仕事という言葉は彼女の上ずったような震えた声と一緒になってずっと記憶の片隅に残っていたのだが、今日交差点で信号待ちをしているときに爆音を響かせて曲がっていったスクーターに乗った運転手の男と後ろにしがみつく女性との多分十代後半カップルのいかにも不良っぽいというか学の浅そうな様子を見たときに今なぜだがふっと思い出してああ、おれの仕事はとうとい仕事だな。だってもし、あの二人のカップルに俺がなんでも無いことで難癖をつけられたとして詰め寄られたときだって、俺は胸を張って「こういう仕事をしていますよ俺は。できますか? あるいはできるでしょう。できるなら、一緒に頑張りましょうね」ということを言えるもんなあ、これが普通のサラリーマンの事務仕事だったら、なかなかそういうことはいえないよなあ、なんてったって、排泄介助だもんなあ、ウンコと、おしっこと。あと食事や横になる世話、本人が生活を送れるように、日々体で体を使って、世話をしている仕事なんだもんなあ、人間が、人間に対して。というようなことをもちろんこんなにはっきりした言葉ではないものの思ったので、ちょっと葭切群子さんのことをおもいだしてやっぱり、泣きそうになったのだけれども、やっぱり涙は出てこなかった。
 家に帰る自転車をこぎながら思ったのは、さっきBOOK‐OFFで立ち読みしてきた保坂和志の『生きる歓び』に関することで、というと葭切群子さんのこともその考えの延長線上に思い出されたことのように思えるのだが、ともかくそんな風に私たちいや少なくとも俺の日々は、こうしてとうとい瞬間や、様々な考えや、子細に眺めれば小説の様な小説に描かれるような小説に描けるような出来事にあふれて、生活しているのだからわざわざフィクションを立ち上げてそこにフィクションの装いをかぶせてわざわざ日々の生活の中で遭遇したり体験したり感じたりしたとうとい出来事や考えの数々を装いをして提出せずともそのまま、そのままの体験の語り口として感情として飾らずにただ文章に描いてまとめればそれはそのまま小説になるし、あるいは詩にも漫画にもなろうから、保坂和志が『生きる歓び』の中で言おうとしていたことは、そういうことなのかなあと思った。
 彼は、恥ずかしいけど、今まで自分の感情を直視してこなかったのは俺だし、自分の感情を直視することから逃げてきたのも俺だし、自分の感情が恥ずかしくて、それを隠して、自分でも見ないようにして生きてきて、世の中不条理だとか、俺は不利だとか思って生きてきたけど、俺が語りたいことは山ほどあって、でも、いざ語ろうとすると、君とかあなたを目の前にして直視すると、何もできなくなってしまうんだ。怒られるとか、恥ずかしいとか、自分を隠すことばかりで感情がいっぱいになって頭が真っ白になってしまう。でも俺は喋りたいことが沢山あって、喋り足りないくらいで、だから一人でいるときにひとりごとで山ほど喋って、今まで生きて来たんだ。聴こえない人とか、直前の自分自身に対して、山ほど言葉を費やしてきたんだ。結果として俺は「無口」だし、「何考えているかわからない」し、結果として自分自身でも何考えてるんだかよくわからなくなっているんだ。でも俺は感じていることがあるし、喋りたいことだらけだし、口うるさくののしりたいし、擦り切れる程に褒めちぎりたいし、もっとたくさん、くだらないことも、大事だと思えることも、もっとたくさん喋りたいんだ。でも目の前にすると何を喋っていいかわからくなるんだ。誰か俺の独り言の記録を取っておいてくれていたらよかったのに、俺が今まで喋ってきた言葉は皆なくなってしまった。だれも相手がいなかったから。誰も聴いていないことを前提にしてしか、俺は自分の気持ちが喋れなくなっていて、それはもはや、自分自身さえも、耳を傾けることを拒んでしまっていたんだ。俺はもっとたくさん反抗したいし、自分の意見を言いたいし、やりたく無いことだってたくさんあるんだ。そういうことをかたづけないと、やりたいことがあらわれてこないんだ。というか、そういうことがやりたいことなんだ。自分を表現したいんだけど、自分を表現することに心理的に抵抗が強すぎて、自分を表現しようとすると、気分が悪くなるんだ。自分に対して冷めてしまうんだ。「お前は何を言っているんだ。くだらない。くだらないことを言うな。くだらないことを言っていないで勉強しろ」って。自分が、生のままの自分であることを拒むんだ。生のままの自分でいることを俺は心から軽蔑している。
 彼は「献身的でない」ということが理解できなかった。彼にとって献身とは自衛に他ならなかった。周囲から攻撃を受けたくないという目的のために、彼の献身は費やされた。彼にとって献身とは護符であり、盾であり、剣であり、いや衣服ですらあった。しかし彼が献身的に振舞えばふるまうほど彼は孤立を感じ、自身が周囲に迷惑をかけているのではないかという思いは深まった。「××さんは優しいから」という科白は彼への最も一般的な評価のひとつだった。その言葉をかけられる度に彼は身体にくぎを打ち込まれるような苦しさを覚えた。彼は人に迷惑をかけることを極度に恐れた。人へ迷惑をかけるくらいならば、人から迷惑をかけられた方がよほどましだった。献身的であるとともに彼は、耐えた。彼自身の感情は彼の衣服の下へ大事に包み込まれて姿を現さなくなった。さながら陰部を隠すかのように。彼はよく全裸で屋外を泣きながらさ迷っている夢を見た。怒りと不満の貯蓄高で生活ができるならば、彼は十分に裕福と言えただろう。彼の孤立はますます深まった。彼はよく「××さんは何を考えているのかよくわからない」という評価を聞いたし、いつまでたっても話題の最初に趣味を問われ続けた。それは何もしゃべらなかったからだ。いや、ちがう。彼は人並みにしゃべっていたつもりである。しかしそれは仕事の話とか、天気の話とかに止まって感情的には何の影響も及ぼさない内容ばかりだった。その意味で彼は緘黙者であるいって差し支えなかった。彼はたった一人のときの独語を除いてはまるでうわべの言葉の順列組み合わせを試行しているだけのようだった。じっさい彼はよく人としゃべっている自身を客観的に眺めている時があった。彼にはこうした乖離する感覚はよく付きまとったが(独語もそのひとつだ、)他人との会話の中ですら乖離を起こしていると自覚したのはごく最近だった。つまり彼は何もしゃべっていなかった。人との交わりそのものが彼にとっては乖離対象だったとは驚きだ。
 だから彼は目の前にいる同僚の言動がまるで理解できなかった。それは彼をいらつかせたし、その同僚としゃべっているとき彼の乖離感覚は助長されるようだった。彼はひとりの時によくしゃべった。直前の自分と応答しているというのが彼自身の見解だったが、彼はその独語のように他者としゃべれるようになるのが夢だった。夢ではあったがそんなに積極的に実現を望んでいたわけでもない。それを望むには彼の着る衣服は多く重く、留め具が多すぎた。
 もういやだ、迂回しながら、他人の言葉に自分の意見をかぶせながら、自分の意見を遠回しにしゃべるのは辟易するんだ。俺は他者の言葉とか、作品の引用という形でしか、自分の作品を作ったり、自分の意見を言うことができない。でもそんなのはもう嫌なんだ。他人に心を割いて、自分自身をおろそかにしてきた。本当は、相手の身になって考えるという立場を利用して、自分の意見をうまく隠して、親身になる、親切に、やさしく、という隠れ蓑。他者の作品のことをよく考え、じっと観賞し沈思黙考し、的確な意見とか批評とか分析を行うという態度。他者ありきのじぶんの立場。そんなのは全部、全部全部、自分自身で居ることを、自分自身が一人で立って自立してたった一人きりで自立していなければいけないということから、逃げるための、世間体の良い方便だったんだ。
 俺は自立することから逃げ続けて来て、そんなねぐらをみいだしてしまって、そこに安穏として、俺は自分について喋らなければならない。好きな作品は何なんですか? 好きな女性のタイプは? みんな、そういうことについて「俺は~」って喋らなければいやなんだ。
 生のままの自分はおぞましいくらい、卑しくて、未発達で、感情の整理がついていない、ほんの幼い子供なので、表に出すのははばかられる。でも表に出したいんだ。表に出さなくちゃいけないんだ。日に当ててあげないと、死んでしまうんだ。もう衰弱して、寿命が近いんだ。そしてそれは、たくさんの傷を負っているんだ。俺が自分自身だけに、というか虚空に投げかけてきた反射されない言葉の嵐に傷ついて、傷だらけで、しかし言葉そのものはもうどこにもなくて、喪われ閉まったから、俺はそれを必死で拾い集めないといけない。おれはもっと、自分の生の感情で喋りたい。でも生の感情をそのまま表に出すのがとてつもなく怖いし、それは厭なことなんだ。俺は自分で自分を軽蔑している自分がいる。その自分の抵抗をはねのけて、やっぱり生の、「くだらない」とおもう感情を、ことばと、意見とを出して、維持しなければいけないし、そういうことがしたい。その言葉をみんなに聞いてほしくて、みてほしいんだ。
 俺は、モモの聴くという能力は、時間を浪費するということを前提にしている。『モモ』では時間はお金のメタファーとして描かれてるといいますが、モモは大金もちならぬ「大時間もち」なのです。
「モモのところへいってごらん!」というのは、「モモのところで時間を費やしてごらん」ということで、時間の無駄こそがもっとも豊かな(心にとって)ぜいたくだということを話しているのです。時間を浪費することにびくつけばびくつくほど、灰色の男たちのようになり、時間貯蓄銀行と契約したおとなたちのようになって、余裕がなくなり、消耗していきます。そして反比例してお金は増えていきます。逆にモモは何にも持ちませんが、時間だけはたっぷりと持っています。この構造は、例えば『タイタンの妖女』とも共通しています。主人公のマラカイははじめ汲めども尽きぬばかりのお金をもった心の狭い男として登場しますが、終盤では一切を失い代わりにありあまる程の時間と穏やかな心とを得るのです。『タイタンの妖女』はある意味では、灰色の男がモモのように(あるいはベッポのように)なるまでを描いた話だと言えるでしょう。つまりそこにはとてつもない苦痛が間に横たわっていて、ラストシーンも結局悲劇なのかハッピーエンドなのか? よくわかりません。つまり『モモ』の要求している(精神的に)豊かな世界像とはそれほどの苦痛を通過儀礼として背後に求めるものだということを『タイタンの妖女』は示しているといえます。『モモ』の示す課題は、すくなくとも現代人――現代の先進国に生きる、文明的な、人々にとっては極めてシビアなものなのです。そして実の所、それは臨床心理学的なカウンセリングが理想としている地点でもあるでしょう。ただし、多くの臨床心理学はその理想と現実との間にそのように深いギャップが張り裂けていることを失念しているかあるいは示すことをしません。高々「内的な通過儀礼が必要だ」程度に暗示する程度です。臨床心理学はこの点に関して責任を維持し続けることができるのか? 臨床心理学のセラピストはクライエントに対してどこまで責任を持てるのか? あるいは自身の理想に対してどこまで責任を果たせるのか? 俺はその点が曖昧に濁されてきているような気がしてならない。その意味で臨床心理的カウンセリングは限度があり、その射程は(その責任を自覚したり果たさない限りにおいて)かなり狭く、責任転嫁へ容易に陥る危険をはらんでいる、あやうい、信用ならない、技法であるのです。
「だって、モモのところへやってきた灰色の男は煙になって消えてしまったわけだから。他でもない灰色の男たち自身である我々は、それじゃあどのようにすればいいのか? 救われるためには?」
「だって結局俺たちは死ぬんだ! 穏やかな心が得られたとしても、結局今の地位やお金や、すべて失ってしまったら、何にもならないじゃないか! そしてそのままなしくずし的に死ぬのだとしたら、ぜんぜん救いなんてないじゃないか! しかもその過程には身の毛もよだつような苦痛があるし! 最後だって、結局かれは悲しみや孤独からは逃れられなかった! それに何の意味がある?! それが『心の治癒』なのだとしたら、いったい何の意味があるんだよ!?」
 マラカイは彼は悲しみや孤独から逃れ切れなかったのではありません。悲しみや孤独こそがゆいいつよりそうものであることを知ったのです。悲しみや孤独こそがゆいいつよりそうものであることを知ることが治癒の本質であり、本質であり目的なのです。
 彼が、かなしみと孤独こそは本質なのです。
 
 どうやら親子で座っている女性と男の子とはその女性が四十代前半ぐらいで男の子は小学三年生くらいが居て、隣で帰りの電車に乗っているときにとりとめもなく話をしていたらしいのだけど彼女が彼に「ママが居なくなっても大丈夫なようにしないとね」と言ったらしく、それは「ママが居なくなっても一人で暮らしていける?」というニュアンスだったかもしれないのだけど、それで子どもの方は「えー」とかあんまりというか全然深くも考えないのか考えられないような相槌しか打っていず、けらけらとわらっていたのだけど(というか雑談だったはずだったらこういう反応は当然かもしれないのだけど)そのとき母親が「たぶん、あんまりたいしたことじゃないと思うよー」と言ったのが、俺には全く不意の発言だったから、母親が息子に対して喋りかけたのか自らに対してつぶやいたのか判然としないように聞こえた。でも小三(推定)の子どもに対して母親が突然居なくなるという状況は全然たいしたことじゃないことはないと思うのだが、もし俺が(いつか)自分の子どもに対して似たような話をしたとしたらもっとおどしかけるというか、自分であるところの保護者不在の恐ろしさをおかしく誇張して喋って居はしないかとか思ったのだけれど、だからその母親のそのことばにはすごくなにか強い思想のような価値観のような、独特なそういうものを背後に持っているように感じさせたのだが、俺はつまりは意図が全然わからなくて凄いというかいっそ不気味というような感じがした。
 でもすぐに思い直したというのは、世の中は所詮そのようなものかもなーとか紋切り型を考えたこともあったし、また自分が今現に一人暮らしをしていることを考えてもしかしたらその母親は自分が親から自立したときのことを思い出しながら「たいしたことない」と言っただけかもしれなくてその意味ではたしかに俺個人的に考えても「ちょっと大変だけど、『たいしたことない』といえるなら、たいしたことはないことだ」と思った。そしてその母親とおれ自身とが全く他人同士であるのでもし本当にここでその母親が居なくなってしまったとしても少なくともおれ自身はその母親が言うようにたいして困りはしないよなとも思った。しかしこれは全然もとの発言の意味を外れている訳だが、俺が困らないのだからもしかしたらその小三(推定)の息子も困らないかもしれないとなぜか思ったのだったし、俺にはそれくらいのつよさの確信を想起させる程度の言い方がその不意の声にはあったと思うけれど子どもは「毎日『買い弁』(弁当を買って食事を取ること、だと思う)しちゃうよー」と言って、彼女も「まいにち買い弁だとおかねかかっちゃうねーどうしよっかー」と彼と一緒に笑った。

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