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「日露戦争史1、2、3」半藤一著 平凡社

とても興味深い本でした。日露戦争は、ギリギリの戦いの中、ギリギリの外交交渉の末に終結しました。日本には、もう戦い続ける余力がなかったのです。6:4ぐらいでかろうじて勝利したといえるでしょう。

また、日本はとても運が良かった。そして、ロシアはついていなかったのです。

確かに、このころの政治家と軍幹部はとても冷静でした。しかし、戦後、日本国民は、熱狂し(それは自然なことだと思いますが)、神話を作り上げ、東郷平八郎、児玉源太郎、乃木希典らのエピソードを過度に美化し、必要以上に神格化していきました。

特に、東郷平八郎は、日露戦争後、カリスマになり、海軍の人事に大きな影響力を持つようになり、それが太平洋戦争に突入してしまった遠因になります。


そのほか、印象に残った部分をメモ
・日露戦争開戦2週間後には、ハーバードでルーズベルトの旧友だった金子堅太郎が渡米し、アメリカの世論操作を始めている。非常に戦略的です。開戦とともに終戦のための作戦を開始しているのです。
・また、政府首脳、軍首脳がそれぞれ、自分の意見を主張しています。イエスマン的な人が多かった日中戦争・太平洋戦争時とは違います。
・むしろ、好戦的だったのは民衆の方でした。
・戦争中、新聞は部数を伸ばしました。
・黄海海戦で、総指揮官ウィトゲフト少将「運命の1弾」によっって奇跡的に戦死(P.136)。
・マカロフ中将、座乗していた旗艦ペトロパブロフスクが日本軍の敷設した機雷に触雷し爆沈と共に戦死。
・コンドラチェンコ少将が二八センチ榴弾砲の直撃を受け戦死。
・日露戦争で、すでに白兵肉弾攻撃が始まっていた。兵は、勝つための消耗品のように扱われるようになっていった。
・南山要塞攻略では、ロシアが土嚢を積んだ上での機関銃攻撃だったが、日本軍は原野に姿をさらしながら攻撃前進した。ロシアの退却(戦術的?)により、要塞は結局日本軍が奪ったが、日本兵死傷者4,387人、ロシア兵死傷者1,336人。
・旅順要塞の攻撃での白兵肉弾攻撃。
・児玉源太郎が乃木希典から、指揮権を一時的に譲られ203高地を奪った戦いの前に、すでに旅順艦隊は鉄くずになっていた。つまり、あれほどの犠牲を強いてまで、203高地を奪う必要はなかったのではないかと考えられている。しかし、この事実は戦後巧妙にふせられ、むしろ、203高地の戦いは美談となっていった。






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