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「墨子よみがえる」 半藤一利 著 平凡社新書

春秋時代が終わり、戦国時代に入った頃、紀元前5世紀後半に活躍した墨子は、徹底した非戦論、平和論を唱えた人です。生涯をとおして、官につかえることを欲しなかった自由人と見た方がいいと半藤一利さんは言います。

 

墨子の主要な主張の一つである兼愛とは、心情的個人的愛ではなく、自他の区別なく人を広く同等に愛しいつくしむというものです。その墨子の理念を、あのトルストイが「墨子は世の人びとに、権力に対してでもなく、富に対してでもなく、また勇気に対してでもなく、愛に対してのみ、尊敬を払わなければならない」と、「人生の道」という本の中で書いているのだそうです。

 

半藤さんによれば、「墨子は、人類みんなが平等に愛し合い、差別することなく認め合い、お互いの利益のために汗水流して尽くし合いさえすれば、この世から愚かな戦争はなくなる、と説き、それを実行したのである」とのことです。まさに、これ、21世紀の今の世界に必要な姿勢ですね。利他の精神を持たなければ、限りなく広がる格差と分断は無くならないでしょう。

 

また、為政者や経営者が、縁故関係、財産や身分のあるもの、容貌の優れたものなどのつまらぬ基準で人を用いて高い地位につけるようなら、やがて大混乱に陥るだろうと墨子は言います。これは当たり前のことですが、2500年たった今も、同じ失敗を繰り返すリーダーたちが後を経ちませんね。

 

天下の治乱は政治家や官僚たちの判断・決断により決まります。運命論・宿命論は、怠け者の言い訳にすぎないと墨子は断じます。

 

墨子は「義」を重んじます。墨子の言う「義」とは、徹底的なヒューマニズムです。ひろく天下の人びとすべてに福利を与え、そして幸せにするために奮闘努力することなのです。そして、その考えからすれば、全ての戦争は「不義」になります。

 

墨子のことを理想主義的だと批判する人もいるでしょう。しかし、墨子は、実際に東奔西走し戦争を止めたりしています。「私は平和主義者なのですが、権力の側が無理解で私たちの主張を取り上げてくれません。私たちは覚醒しているものの無力な被害者です」というような軟弱なファンタジックな平和主義者ではありませんでした。実際に動き、結果を出した人なのです。

 

この本は、2010年1月から2011年6月までに書かれた墨子についてのエッセイで、東日本大震災の直後に刊行されました。一番最後の章が東日本大震災の直後に書かれたものです。そこからは、半藤一利さんの危機感が強く伝わってきます。

 

と、内容はいたって、硬派なものなのですが、途中、半藤の御隠居さんは、間違いなく確信的に脱線しまくります。この本の編集者であり半藤さんの姪であるおろく相手に、講釈をしまくるのです。話は春秋戦国時代の中国から、太平洋戦争時の政府・軍部の愚かさ、黒澤明の映画、夏目漱石の小説、明治維新あたりの勝海舟や坂本龍馬などなど、まるで落語を聞いているような面白さです。

 

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