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【百年ニュース】1920(大正9)9月3日(金) 貴衆両議院議長主催の米国議員団歓迎会が帝国ホテルで開催される。徳川頼倫貴族院議長が英語で挨拶。当時はカリフォルニア州を中心に増加する日本人移民への排斥運動が激化。日本政府も写真花嫁への旅券発給停止等対応するが収まらず。1924年排日移民法成立へ。

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原敬は1908-09米国訪問で国際社会での米国台頭を早い時期に予測し、それに適応する構想を展開した(伊藤之雄『真実の原敬』2020)が、首相時代は米国の排日運動への対応に苦心した。

当日の日記によれば「今回フィリピン支那等を遊歴せし米国上下両院議員一行、昨日来京、本日その代表者4名来訪せり。晩に両院議長主催となり帝国ホテルに一行を招待せしにより余も出席したり。閣議(官邸)、内田外相より米国の加州問題は到底緩和の望みなきにより、相当の決心を要すべしと云うにつき、余も一考すべしとして閣僚にも考慮を促しおけり、困難の問題なり。」『原敬日記(1920年9月3日)』

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