見出し画像

アントニオ猪木が最後に見ていた風景

2022(令和4年)年10月1日にアントニオ猪木が「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」で亡くなりました。享年は79歳でした。私も含め昭和を生きた多くの少年にとって、アントニオ猪木は唯一無二のスーパーヒーローでした。ひとつの時代が終わったという、大きな喪失感を味わっています。

アントニオ猪木の略歴

1943(昭和18)年2月20日にアントニオ猪木こと猪木寛治は神奈川県横浜市鶴見区で誕生しました。猪木の生誕地は当時の住所で鶴見区生麦町1687番地、現在では横浜市鶴見区岸谷3-18-35/36にあたり、岸谷公園のすぐ近くになります。

13歳で一家でブラジルに渡りサンパウロ近郊の農場で働きますが、1960(昭和35)年4月に興行で同地を訪れていた力道山にスカウトされ帰国、同年9月30日に台東区体育館で大木金太郎を相手にデビューします。ジャイアント馬場のデビューと同日でした。

力道山の付き人として3年半を過ごしますが、1963(昭和38)年12月に力道山が死去すると翌年米国に武者修行に出ます。この間米国で活躍していたジャイアント馬場が帰国し日本プロレスのエースとなりますが、1966(昭和41)年猪木は豊登の誘いに乗り東京プロレスを旗揚げ、3か月で破綻に至ります。

日本プロレスに復帰したあとはジャイアント馬場とのタッグチーム「BI砲」で活躍します。しかし1971年「密告事件」で日本プロレスから追放処分を受けると、翌年新日本プロレスを旗揚げしました。ストロングスタイルを標榜し、異種格闘技戦も行うなどのちの総合格闘技の基礎を築くとともに、その後のプロレスブームを牽引しました。

1989(平成元)年、スポーツ平和党を結成し参議院選挙で初当選。1990(平成2)年には湾岸危機の最中にイラクを訪問し、サダム・フセイン政権と交渉し人質解放に尽力しました。

1998(平成10)年4月4日に現役引退。その際の「この道を行けばどうなるものか」のスピーチは多くに人に記憶されました。2005(平成17)年には新日本プロレスの株式(51.5%)をユークスに売却し新日本プロレスの経営から身を引きました。

2013(平成25)年に日本維新の会から参議院選挙に出馬し当選、18年振りに国政に復帰しました。その後政党は移り変わりましたが、最終的には「国民民主党・新緑風会」に入会、2019年の参議院選挙に出馬せず政界を引退しました。

アントニオ猪木の最期

長年人知れず糖尿病と戦っていたアントニオ猪木ですが、2019(令和元)年に最愛の妻田鶴子たづこ(ズッコ)さんを亡くしたのに続き、2020(令和2)年には「心アミロイドーシス」という難病におかされていることを公表し、悲劇が続きました。

2022(令和4)年5月22日には、青森県十和田市の蔦温泉旅館の近くに「アントニオ猪木家の墓」を建立するとともに、猪木田鶴子さんの納骨式が営まれました。同年8月21日には日本テレビ『24時間テレビ45』に車いす姿で出演しました。

そして同年9月21日、死去の10日前に、Youtube公式チャンネル「最後の闘魂」のための動画撮影がアントニオ猪木の自宅で収録されました。撮影は元TBSの映像クリエーター坂田栄治と、インタビュアーは格闘技関連クリエーターの大谷泰顕でした。

最期の姿をカメラの前に晒す決断をしたアントニオ猪木。筋力が衰え、自力でストローの水を吸い込むことさえ出来ない弱いアントニオ猪木。そんな弱い自分を、あるがままでいい、同じような道をみんな辿るんだ、しょうがないじゃん、と公開したアントニオ猪木。強い衝撃を受けました。

アントニオ猪木は、結局は「ありがとう」という言葉のなかに全部が含まれている、その一言に尽きる、と語りました。感動しました。どうか静かに眠ってください。アントニオ猪木はこれからも私の心のなかで生き続けます。

多くの人を勇気づけ、波乱に満ちたアントニオ猪木の充実した一生は、横浜市鶴見区で始まり、港区白金台で終わりました。猪木はこのインタビューのなかで「いつも天井を見ている」と言っていましたが、ときには自宅の窓から眺望を楽しむこともあったでしょう。猪木が最後の日々で見ていた風景のなかに、自分のよく知る場所があったのは嬉しいことでした。

アントニオ猪木が最後に見ていた風景

アントニオ猪木が亡くなる2か月前の8月、愛弟子である藤波辰爾が猪木のもとを訪れました。病魔と闘いながら、自筆サインと自作の詩を渡しました。

「生きる」

花が咲こうと咲くまいと
生きていることが花なんだ
今いくつもの年を重ね
川の岸辺に目をやると
きれいな大きな大きな
花が咲いている
今日も1日いくぞ
1,2,3,ダー

79歳
アントニオ猪木

NHK「クローズアップ現代:アントニオ猪木とは何者だったのか」2022年10月5日放送


よろしければサポートをお願いします。100円、500円、1,000円、任意のなかからお選び頂けます。いただいたお金は全額、100年前の研究のための書籍購入に使わせていただきます。サポートはnoteにユーザー登録していない方でも可能です。ありがとうございます。