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【百年ニュース】1921(大正10)9月18日(日) リーフ共和国が建国される。第3次リーフ戦争(スペイン・モロッコ戦争)で侵攻してきたスペイン軍をリーフ族が破り,スペイン領モロッコから独立。スペイン軍のシルベストロ将軍はアンワールの戦いで敗死。初代大統領にアブド・アルカリーム就任。

リーフ共和国が建国されました。正式名称は「リーフ部族同盟共和国」、スペイン領モロッコから独立して誕生しました。

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首都は北モロッコにあります「アジール」という小さな都市、人口は55万人ほどでした。当時は第3次リーフ戦争、すなわちスペイン・モロッコ戦争の最中でありました。北アフリカにはベルベル人と呼ばれる民族が古くから住んでおり、この地域にアラブ人の人口が多数になって以降も、文化的な独自性を保つとともに一定程度の人口を保っています。

ベルベルという名称は、かつてギリシア人やローマ人がアフリカの先住民族を呼んだ言葉で、野蛮人や未開人などを意味する「バルバリ」、英語で言うと「バーバリアン」という軽蔑的な別称が語源になります。よってベルベル人自身は、自らを「アマズィフ」と呼んでいます。現在でもモロッコやアルジェリア、チュニジアといった地域に900万人ほどが住んでいます。

17世紀以降アラウィー朝として独立を保っていたモロッコは、1912年にフランスとスペインの保護領として分割されます。第一次世界大戦においてアラブの反乱がありましたが、モロッコには特に影響はありませんでした。ところが戦後の1920年に、ベルベル人の部族のひとつであるリーフ人が反乱を起こし、スペインからの独立を目指す第三次リーフ戦争が始まりました。

独立戦争を指導したリーフ人の族長は、アブド・アルカリーム(Abd el-Krim)、あるいは、アブド・エル・クリムと呼ばれています。リーフ人の戦力は3000人前後の民兵、対するスペイン正規軍はマヌエル・フェルナンデス・シルベストロ将軍が率いる2万人近い軍勢でした。

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非常に不利な形勢で始まった独立戦争ですが、アブド・アルカリームの巧みな戦闘指導と、ベルベル人が狩猟で鍛えた高い射撃能力、また旺盛な戦闘意欲のため、徐々に部族側に有利になっていきました。部族側には志願者が相次ぎ、もともと3000名だったのが最終的には8万人に膨れ上がったとの説もあります。

1921年の7月から始まったアンワールの戦いでは、スペイン軍が全面的に敗北し、マヌエル・フェルナンデス・シルベストロ将軍は行方不明となり、13,363名の死傷者を出して退却、残る軍隊も降伏しました。結果としてスペイン軍の2万丁以上のライフルと400丁の機関銃、129門の野戦砲が部族側に奪われました。

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アンワールでの大勝利によって名声を得たアブド・アルカリームは、100年前の今日、1921年9月18日に占領地においてリーフ地方ベルベル人の独立とリーフ共和国の樹立を宣言し、大統領に選出されました。優良な資源を持つリーフ共和国はソビエト連邦から国家として承認を受け、また物資援助を約束されるなど国家としての体制を急速に整えていきました。リーフェンという通貨も発行し地域で流通しました。

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しかし4年後の1925年末にはフランス軍とスペイン軍が合同で50万人の兵力を送り、数百台の戦車、また毒ガス兵器をも用いてリーフ共和国を攻撃し、1926年5月27日についに崩壊しました。

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