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【Voicy】#選挙に行こう 「議論による統治」こそ日本近代化の最大の産物(2021.10.26放送)

こんにちは、吉塚康一です。私は会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。本日はVoicy編集部が募集中の「#選挙に行こう」というテーマで放送を収録してみたいと思います。タイトルは「「議論による統治」こそ日本近代化の最大の産物」です。よろしければ最後までお付き合いをお願いします。

さて第49回の衆議院議員総選挙は今度の日曜日、10月31日の予定です。私は近代史を研究しております。日本で近代と言えば一般的に1868年の明治維新から1945年の終戦までを指します。封建社会だった日本が明治維新を経て近代化したわけですが、その過程は日本独特の要素が反映されており、そこを大いに強調する研究もあるのですが、やはりヨーロッパやアメリカとも多くの点で共通するものであったと言っていいと思います。

近代以前は「慣習」による支配、そしてその下で固定化された身分構造が存在していました。日本で言えば士農工商です。それが近代になると、家族を基本要素としながらも、個人が身分から解放されて、個人の自由の時代になりました。そして個人の自由は、選択の領域の拡大を意味しました。身分の時代から、選択の時代への変化。これが近代化の本質であり、歴史家のヘンリー・メインは「身分から契約への移行」と呼んだわけです。

別の言い方をすると「慣習による統治」から「議論による統治」への移行、ということになります。日本においては幕藩体制によるまさに「慣習の支配」から、明治政府の「公儀世論」つまり「議論による統治」への移行、という形で現れました。日本の近代化の行く着くところは第二次世界大戦であり、失敗であったと批判的に捉える考え方がつい最近までかなり強く残っていました。しかし戦前の日本において、当時世界でも先端を行った明治憲法が導入され、選挙を通じた議会が設置され、強力な政党政治が生まれ、どのような時期にあっても憲法が停止されたり、議会を停止して強引に政府が意のままに予算を施行する、ということは一度も起きなかったのです。日本の近代は多くの挫折と失敗がありますが、それでもなお、「議論による統治」が出現したことは、日本近代が達成した最大の成果なのです。この点を詳しくお知りになりたい方は、2017年の三谷太一郎先生の御本、岩波新書から出ています『日本の近代とは何であったか』をご参照ください。

この「議論による統治」は大変貴重なものです。大きな価値があります。日本の周辺、東アジアを見渡してみても、「議論による統治」が機能している国は多くないことがわかるでしょう。しかし日本では機能しています。もちろん完璧なものでありませんので、さらに進化させる必要はあります。しかし間違いなく機能しています。イギリスのエコノミストという雑誌が毎年民主主義指数(Democracy Index)というものを発表しています。民主主義の度合いを現すもので、8ポイント以上が「完全な民主主義」とされています。最新の2020年版のランキングによれば、東アジアで8ポイント以上なのは、最も高い台湾が8.94ポイント、次いで日本が8.13ポイント、韓国は8.01ポイント、この3つしかありません。

日本の近代について学び、明治・大正・昭和戦前期の膨大な努力と犠牲を考えたとき、日本の近代化の最大の果実である「議論による統治」、その価値がズッシリと重みをもって胸に迫ってきます。選挙権すなわち投票する権利は、勝手に天から降ってきたわけではなく、過去の大きな犠牲の上に成り立っているのです。選挙に行きましょう。

私が発信しています100年前の日本は、大正デモクラシーということで、民衆のパワーが非常に高まって政治を押し進めた時代です。また東アジアを見渡せば、香港のデモで選挙権を求めながら敗れ絶望した若者たちを思い浮かべることが出来るでしょう。投票権を持つ幸せ、「議論による統治」を実現した歴史の重み、これらを噛みしめながら、投票所にいって一票を投じましょう。

ということで、本日は「#選挙に行こう」「「議論による統治」こそ日本近代化の最大の産物」というタイトルでお送りいたしました。もしご参考になったのであれば大変嬉しいです。そして是非是非フォローを宜しくお願い致します。以上「100年ニュース」「毎日が100周年」吉塚康一でした。ご機嫌よう。


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