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【百年ニュース】1921(大正10)2月21日(月) 日本初の異種格闘技マッチ開催発表。米国のプロレスラー,サンテルが来日し,講道館の四五段の若者と対戦予定。嘉納治五郎館長も黙認。3月5~6日靖国神社相撲場で1万人集め興行成功も,これを契機に講道館柔道は実戦的総合格闘技路線から安全な乱取りルールへ。

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アド・サンテル

当時の実力者で米国留学経験もある岡部平太五段は,異種格闘技興行に前向きな嘉納治五郎館長へ強硬に反対した。

「先生,講道館は勝負を受け入れたのですか」
「講道館柔道の真価を世界に問う絶好の機会だ。受け入れることにした」
「柔道とプロレスラーの戦いは,ルール上において成立はあり得ません。最終的には金銭で決めるしかなく,喜ぶのは興行師です」
「講道館は他流試合をした苦心があったからこそ,ここまで広まったのだ。サンテル程度の外圧に屈してどうなる,そこまで講道館は弱いのか」
「先生は東洋人初の国際オリンピック委員会の委員で,アマチュアリズムは先生ご自身の精神そのものではないんですか。先生が築いてこられた柔道をプロの興行の世界に投げ入れると,講道館そのものまでプロ団体になってしまいます」

米国の実情を知る岡部はこの試合を正式にやろうとすれば,規約は金銭以外に妥結点はないというところまでゆく。もし妥結したとしても,それは柔道の進歩にとって何物をもたらすものでない。全然柔道とは別個のものが出来上るとの考えだった。
(岡部平太『スポーツと禅の話』不昧堂書店)

岡部平太

嘉納治五郎


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