見出し画像

【百年ニュース】1920(大正9)8月30日(月)ベンジャミン・スミス・ライマン(Benjamin Smith Lyman)が米国フィラデルフィアで逝去。享年86。1873(明治5)お雇い外国人の鉱山学者として来日。北海道の地質調査で夕張炭鉱を発見。また多くの若者を教育。1891(明治24)の帰国まで日本の地質学に貢献した。

画像1

画像2

画像3

画像4

ベンジャミン・ライマンは開拓使仮学校(のちの札幌農学校)で教鞭を取る。当時の優秀な教え子のひとりが島田純一(農商務省鉱山監督長→三井三池炭鉱)。島田の長女ウメの家庭教師が当時東京帝大法学部の梶原仲治(のち横浜正金銀行頭取)。梶原とウメは大恋愛ののち結婚。孫に作家の安部譲二がいる。

画像5

画像6

画像7

画像8


よろしければサポートをお願いします。100円、500円、1,000円、任意のなかからお選び頂けます。いただいたお金は全額、100年前の研究のための書籍購入に使わせていただきます。サポートはnoteにユーザー登録していない方でも可能です。ありがとうございます。