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【百年ニュース】1921(大正10)8月29日(月) 神風特攻隊「敷島隊」隊長の関行男が愛媛県で誕生。1941(昭和16)海軍兵学校卒業(70期)。1943(昭和18)霞ヶ浦航空隊教官。翌年10月25日初の特攻隊「敷島隊」を率いレイテ沖海戦で敵艦隊に突入し,護衛空母セント・ローを沈没させた。

のちに神風特攻隊「敷島隊」隊長となる関行男が愛媛県新居郡にいぐん大町村おおまちむらで誕生しました。現在の西条市にあたります。父の勝太郎は骨董商でした。大町小学校から西条中学校(現在の愛媛県立西条高等学校)に進み、1938(昭和13)年12月に海軍兵学校に進みました。

1941(昭和16)年に海軍兵学校を卒業。第70期の卒業生になります。同期には同じく撃墜王と呼ばれたパイロットの菅野直かんの なおしがいました。

1943(昭和18)に霞ヶ浦航空隊へと配属された。翌年1月に鎌倉から慰問に来た渡辺エミ子という少女の姉,満里子に求婚し,5月に結婚。しかし同年10月25日、初の特攻隊である「敷島隊」を率い、レイテ沖海戦へ出撃することになりました。

関行男が出撃前に報道班員に語ったとされる言葉が残っています。

日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも,敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。僕は天皇陛下のためとか,日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛の妻のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたら妻がアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。

また遺書は次のようなものでした。

父上様、母上様  西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけし、不孝の段、お許し下さいませ。 今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐、これにすぐることはありません。

鎌倉の御両親におかれましては、本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報いる事も出来ず征く事を、お許し下さいませ。本日、帝国のため、身をもって母艦に体当たりを行い、君恩に報ずる覚悟です。皆様、御体、大切に。

満里子殿  何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る 。何も言はずとも、武人の妻の覚悟は十分出来ている事と思う。御両親様に、孝養を専一と心掛け生活して行くよう。色々と思い出をたどりながら出発前に記す。恵美ちゃん、坊主も、元気でやれ。

関行男に率いられた敷島隊はレイテ湾付近の海上において、米国艦隊に突入し、護衛空母セント・ローを沈没させました。

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