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【百年ニュース】1921(大正10)7月20日(水) 陸軍定期人事異動。中支那派遣隊司令部付として湖北省漢口に1年3か月駐在した石原莞爾大尉(32)が帰国,陸軍大学校の兵学教官となる。翌年石原はドイツ駐在となり,1924(大正13)帰国後再び陸軍大学校の教官に。1928(昭和3)に関東軍参謀として旅順に赴任した。

陸軍の定期人事異動がありました。10年後に関東軍参謀として満州事変を起こす石原莞爾は当時32歳の大尉でした。中支那派遣隊司令部付として湖北省漢口に1年3か月駐在した石原はこの人事異動で帰国し、陸軍大学校の兵学教官となることになりました。

若き日の石原は当時エリート将校の第一目標となっていたドイツ留学には目もくれず、中国駐在を志望していたことで知られます。同じ山形県出身で陸軍士官学校、陸軍大学校でともに石原と同期だった横山臣平によれば、漢口駐在を命ぜられ、念願の中国大陸に渡ることになった石原は非常に満足を覚え、現地で多年研究を重ねてきた軍事学の思索を練り、また戦争指導理論の研究に多くを費やしていたとのことです。

しかし石原が漢口に駐在していた当時の中国は安直戦争などによる政情不安、政治的混乱の最中にあったため、石原の心の中に、中国人の政治能力に対する懐疑心がインプットされてしまいました。

帰国後陸大教官となった石原は、1年の教壇に立った翌年、今度はドイツ駐在となりベルリンに赴任します。そして2年後の1924(大正13)に帰国、再び陸軍大学校の教官になりました。そしていよいよ1928(昭和3)に関東軍参謀として旅順に赴任し、1931(昭和6)年の満州事変を迎えることになります。

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石原莞爾 (3)

石原莞爾 (1)

石原莞爾 (5)

石原莞爾 (6)

石原莞爾 (2)


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