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【百年ニュース】1920(大正9)7月17日(土)「飯野吉三郎,外松孫三郎来訪。都下無頼の徒にして志願する者を樺太に送ることにつき内談あり,余は適当の案と思い賛成しおきたり(原敬日記)」尼港事件で保障占領予定の北樺太に都会の無頼漢を多数送込む計画が原首相宛提案される。

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原敬自宅

北樺太の保障占領は1920年8月に始まる。中心都市アレクサンドロフスクにサハリン軍政部設置。10月末までに1,650人の日本人が移住。結局尼港事件の謝罪と賠償を求める交渉が容易にまとまらず北樺太の保障占領は長期化。1922年春には日本人は8,000人まで増加。人口急増で物資欠乏、物価の高騰が問題に。

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