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【百年ニュース】1922(大正11)年1月19日(木) 元老山県有朋の私設秘書,松本剛吉が興津別荘坐漁荘に西園寺公望を訪ねる。死期を悟った山県は1月10日松本に対し西園寺に会いに行くよう命じた。山県は自分の私設秘書を西園寺に譲り後を託す。松本は西園寺と長時間面談夕食も共にする。以後西園寺に仕えた。

元老山県有朋の私設秘書である松本剛吉が興津別荘坐漁荘に西園寺公望を訪ねました。死期が近づいたことを悟った山県は1月10日、松本に対し西園寺に会いに行くよう命じました。山県は自分の私設秘書を譲ることで、自らの死後の日本のかじ取りを西園寺に託しました。この日、松本は西園寺と長時間面談したあと夕食も共にし、以後西園寺に仕えることになります。

1月19日 午後10時小田原を発し,興津水口屋に著し,午後3時西園寺公を訪う。公は快く引見されたり。(中略)会談二時間,別れを告ぐれば,まあよいぢゃないか,夕食でも用意せしむと言われ,すごぶる快活にお話ありたり。別れに際し,本日君のお越しにより山公の御病体を詳らかにすることを得たるは満足の至りなり,過日田中大将来たれり,その節,話もありしが,君ほどの詳細なお話も出でず,如何かと心配しおれりと言われ,また政界のことは君は余程詳しき由につき爾来たびたび御情報を願うと言われたり。

松本剛吉『大正デモクラシー期の政治:松本剛吉政治日誌』岩波書店,1959,135-136頁
坐漁荘
松本剛吉(1862-1929)
西園寺公望(1849-1940)
山縣有朋(1838-1922)


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