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【百年ニュース】1920(大正9)6月3日(木)早朝多門二郎大佐の救援部隊がニコライエフスク到着。全市が火焔に包まれ、トリピャーチンはじめパルチザンはすでに逃走後。墓地に避難していた市民約70名を発見。ロシア人のほか中国人4,米国人1。上流マゴ村で中国人妻妾となった日本人女性14名生存の報。

多門部隊の到着により2月上旬から不明だったニコライエフスクの現状が明らかに。新聞特派員も到着し,さかんに報道すると日本の世論は沸騰。追悼会や講演会が各地で開催され,事件を特集する雑誌のほか劇映画『尼港最後の日』『恨の尼港』(8月1日公開),記録映画『惨劇の尼港』(9月4日公開)も上映。

6月17日に築地本願寺で帝国軍人後援会(大隈重信会長)主催の追悼会。19日には本願寺では遺族列席の大規模な法要。20日は女子学習院常磐会弔慰祭。21日大阪毎日主催殉難者弔霊祭。24日の貴族院衆議院追悼会では皇族はじめ多数参列し原敬首相,徳川家達貴族院代表,岡崎邦輔衆議院代表が弔辞を読み上げた。

悲劇的な死を迎えた石田虎松領事一家のうち,長女石田芳子は偶然親元を離れており生き延びた。芳子が「敵を討ってください」の詩を発表すると全国各地の追悼集会を呼ばれ、芳子に諸方から作文等の依頼が殺到。遺族への同情が「時の人」への興味に転化し本人を苦しめる結果に。

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