見出し画像

【百年ニュース】1922(大正11)年1月12日(木) のちの陸軍中将高品彪に長男武彦が誕生。高品彪は1943(昭和18)第29師団長(遼陽)。翌年グアム島防衛に派遣され激戦の末戦死した。長男武彦は終戦時大尉,のち警察予備隊,陸上自衛隊と進み第14代陸上幕僚長のち第11代統合幕僚長。

陸軍軍人の高品彪たかしなたかし(陸士25期)に長男の武彦が誕生しました。

高品彪

このとき高品彪は陸軍大学校で学んでおり(陸大34期)、同期には石本寅三いしもととらぞう(首席)、遠藤三郎えんどうさぶろう四手井綱正しでいつなまさ田中隆吉たなかりゅうきち和知鷹二わちたかじ花谷正はなやただし柴山兼四郎しばやまけんしろう原守はらまもる岡田資おかだたすくらがいました。

1943(昭和18)年に高品彪は遼陽駐屯第29師団長となり、翌年同師団を率いてグアム島防衛に派遣されました。絶対国防圏の要衝とされたグアムにおいて激戦の末、 1944(昭和19)年7月28日に戦死した。享年53歳でした。

高品彪(1891-1944)
グアムの戦い(1944)
「大宮島、テニヤン島、全員壮烈な戦死、全在留同胞共に散華」

高品武彦

長男の高品武彦たかしなたかひこも陸軍に進みました。1940(昭和15)年に陸軍士官学校を卒業(陸士54期)。同期には、東久邇宮稔彦王第3王男子の彰常王あきつねおう金貞烈キムジョンニョル(韓国第19代国務総理)、和泉照雄(衆議院議員=公明党)、藤井政美(終戦時の宮城事件)、駒野昇(埼玉県日高市初代市長)など。

高品武彦は神奈川県座間で大尉として終戦を迎えました。のち警察予備隊に入隊。陸上自衛隊に改編されると、陸幕第三部長(防衛部長)など作戦畑を進み、1977(昭和52)年に第14代陸上幕僚長となりました。翌年には、「超法規発言」で金丸信防衛庁長官に解任された栗栖弘臣に代わり、第11代統合幕僚長に就任しました。

1979(昭和54)年に退官。2004(平成16)年12月18日に肺炎のため死去しました。享年は82歳でした。

高品武彦(1922-2004)


よろしければサポートをお願いします。100円、500円、1,000円、任意のなかからお選び頂けます。いただいたお金は全額、100年前の研究のための書籍購入に使わせていただきます。サポートはnoteにユーザー登録していない方でも可能です。ありがとうございます。