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【百年ニュース】1920(大正9)6月11日(金)湖南省湘潭で日清汽船武陵丸および代理店倉庫が略奪され、同社社員の大津来徳(28)が銃殺される(湖南事件)。当時南軍(譚延闓)は長沙に向け進軍、北軍段祺瑞派の湖南督軍張敬堯は湖北省に遁走し無政府状態となっていた。大津来徳は張敬堯と誤認され殺害。

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「6月21日在長沙池永林一領事代理より内田康哉外務大臣宛電報。17日趙師長は大津死体引き渡しのため馬参謀ならびに護衛兵を、小官は右引き取りのため佐土原部長および日清汽船当地出張所主任を同船、湘潭に出向せしめたるに馬参謀は同知事に引き渡し方を依頼したるをもって、当館派出員は日清公司主任ならびにあらかじめ右死体監視人を同行し、出張員支那人および同地事務員とともに右死体を掘り出し検死のうえ(惨殺首頭は斬首腹部十文字に切開臓腑刳り出され両部切解)馬参謀とともに無事その夜帰着せるをもって、小官はただちに翌18日譚延闓を訪問(交渉員は逃亡せるをもって残務を引き継げる鄧交渉課長列席し)、死体引き取りにいたるまでの概況を説きかつ残酷極まる殺害状況を臨検することを希望したるに、その必要なく戦時混乱の際無智の部下兵士のなせる行為にして自己の命に出たるものにあらざる旨を述べ誠心誠意謝罪したるをもって、死者の霊を慰むるのため護衛兵付き添いを要求したるに承諾したるをもって、19日午後1時念のため同意味の書面を発しかつ21日午後2時出棺火葬に附す旨通知したるに、当日総長より護衛兵を日清公司に派しかつ出棺場より火葬場にいたる間護衛兵約100名ならびに楽隊を附し、また供物を贈り、前記鄧交渉課長をして弔詞を代読せしめたり。」日本外交文書大正9年第2冊下

「漢口支店よりの来電によれば武陵丸の被害は目も当てられざる惨状にて特等船客室の寝具、食器その他備付品全部および買弁室、食料品貯蔵室等は破壊掠奪せられ上級船室および下級支那人船員の使用品も全部強奪せられたりとのことなり。大正9年6月19日 日清汽船株式会社社長 男爵近藤廉平」(同上)

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