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【Voicy】信濃川の河口、造船のまち。新潟市入船地区。#私のふるさと(2021.8.10放送)

こんにちは、吉塚康一です。私は会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。今日はVoicy編集部の特集で「私のふるさと」というお題で放送を募集するということでしたので、私の話も何かの参考になるかと思いまして、いつもとは違うのですが、今回の放送を収録してみました。タイトルは「信濃川の河口、造船のまち。新潟市入船地区。#私のふるさと」です。

私は新潟の出身です。新潟県新潟市です。生まれたところは、日本一長い河川であります信濃川の河口にあたる場所でした。入船地区と言われていますが、附船町2丁目というところです。私が小学生になりますと父・母・弟と私の四人で新潟市の郊外にあります黒埼町鳥原、現在で言うと西区鳥原に引っ越すわけですが、附船町には引き続き祖母が住んでいましたので、ちょくちょくこちらの家にも行っておりました。港の街、造船の街、これが私の原風景だよね、と思っているわけです。

この附船町という場所、入船地区の附船町で「船が着く」と書くんですが、すぐ近くに新潟造船、当時は新潟鉄工、正確には新潟鐵工所といいましたが、その造船工場がありました。船を製造するドック(ドライドック)があるんですね。附船町はいわば新潟鉄工/新潟造船の城下町のような感じの地域でした。この新潟鉄工、総合機械メーカーということで、特にディーゼルエンジンで有名な会社だったんですね。船はもちろん、ディーゼルの鉄道車両など様々な機械を作る会社でした。そしてその造船部門があったのが、この新潟市の入船地区ということになります。現在では寂しい場所になってしまったのですが、私が生まれた1971年、昭和46年の頃はたいへんににぎやかな場所だっと聞いています。

それもそのはずでして、当時の日本の造船業はたいへんに好調で大きな産業だったんですね。新潟鉄工はそれほど大きな造船会社ではありませんが、それでもこの上げ潮に乗って当時たいへんに発展したんだと思います。いつまでも成長していくかに見えた日本の造船業ですが、ところがどっこい、というところで、私がうまれた1971年昭和46年からわずか3年後に天井を打ちます。つまり日本の造船業のピークを迎えます。これが1974年、昭和49年になりますが、その年の進水ベースの新造船建造量は翌昭和50年度の運輸白書の数字によれば1,862万総トン。前年比で13.1%増、ということでこの年まで大変好調なんですね。

翌年になりますと、新造船建造量は前年比4.7%減の1,773万総トンに減ってしまいました。ここから日本は長い造船不況に突入してしまいました。第一次石油ショック、石油価格の高騰、世界経済は不況とインフレーション、言い代えればスタグフレーションの時代になってしまいました。日本が戦後初のマイナス成長になったのも、この1974(昭和49)でした。もちろん私は幼かったので、その年は3歳ですから、全く記憶もなければ実感もないわけですが、現代史の一部として、自分が生まれた直後の時代を振り返ると、ああそういう時代だったのかと納得がいくわけです。

さてこの新潟鉄工の造船部門ですが、1970年以降の黄金期には大変注文が増えていったことが、新潟鐵工所の100年史を見ると確認できます。建造した船の数でいきますと、私が生まれた1971年には32隻、翌72年には49隻、73年には53隻を建造しました。200トンから500トンくらいの遠洋漁業の漁船のほか、72年には2452トンのCEBU CITYという貨物船、同じ年に2142トンの韓国向けの客船も作っています。2000トンというと、大体小型の駆逐艦くらいの大きさです。

この勢いに乗りまして、1972年には5000トンの新しいドライドックが完成して、さらに大きな船も作る態勢が整いました。50トンのクレーンが二機装備されていまして、この緑色の大型クレーンが非常に目立ちまして、信濃川の河口側ではなくて、岡側・陸側のほうですね、こちらからも非常によく見えるんです。新潟鉄工といえば、この緑のクレーンというほうど地元では親しまれた存在になります。しかし、これは今から思えば非常にタイミングの悪い投資になってしまいました。新潟鉄工の造船数はここから急減してしまいまして、74年には25隻、75年には20隻、76年には21隻、という形で建造数を減らしまして、長い造船不況に突入しました。

私が記憶している幼い頃の附船町は、現在に比べれば人口も多く、活気がありました。労働者の街、という感じで、お風呂屋さんがたくさんあって、商店や飲食店も多かったです。私のうちの隣がラーメン屋さんでしたし、向かいは美容室でした。お肉屋さんがすぐ近くにあって、あと貸本屋さんがあったんですね。レンタルCDじゃなくて、レンタル・マンガ本なんですね。懐かしいです。

今では附船町は住宅と駐車場だけになってしまいました。本当に残念です。新潟鉄工も2000年(平成12)年に資金不足が深刻化しまして、翌2001年(平成13)11月27日に会社更生法の適用を申請しまして経営破綻してしまいました。負債総額は2270億円でした。造船部門は三井造船に引き継がれ、2003(平成15)に新潟造船株式会社として再出発しています。現在でも漁船を中心に新造船を作っています。

いうことで本日は「信濃川の河口、造船のまち。新潟市入船地区。#私のふるさと」というお話をさせて頂きました。よろしければフォローをお願い致します。ご機嫌よう。


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