夕焼けとくじら

地元の駅は、ちいさい割に利用者が多い。
その駅舎は、老朽化と利用者の増加のため再開発中である。数年前から解体と施工が始まったが、外観からは未だに全容が掴めない。

この駅をめがけて小さな川が流れていて、駅へ到達すると地下に掘られたトンネルに滑り込んでいく。川沿いは、小さな飲み屋が並んでいて、私はそこを歩いて帰る。駅舎とうって変わって、店々の様子は変わらないようだ。

川沿いを進むと、見上げるほどの高さの国道が見えて、その下を通る。古い家が並び、小さな家から聴こえるラジオが語気を荒げて、政治じみた主張を語っていた。点在する街灯がやけに明るい。夜だった。

遠くの空では夕焼けが、青黒い幕の裾から、わずかに背中をのぞかせていた。とうに去った主を追って、山の中へ潜ろうとするような。そんな夕焼けにくじらのような雲が浮かぶ。くじらのようだと、例える自分をおかしく思った。子どものころ、絵本のように雲をいぬやねこのような、生きものに例えることに面白みを見出せなかった。それは、思春期を経て20代をこえて、そして今でも変わらないように思う。

そんな自分が、ふと、雲をくじらに例えたことが可笑しかった。夕焼けに浮かぶくじらは、たくさんの仲間と、親子かもしれない者たちと、楽しそうにおうちに帰っていくようだった。

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