鬱々とした自分の事を書く

昨日から涙が止まらなくなるという事態になり、頑張って自分の事を書いてみようと思う。すぐ消してしまうかもしれないけどもし読まれる方がいたらあまり気分の良い感じじゃないと思うので注意してほしい。

生まれたのは北海道最北の地域、田舎でクラスメートは7人、後に教頭の娘が転校してきて8人。自我に目覚めるのが遅く自由奔放傍若無人な頭の悪いガキだった。幼馴染とは多分あまり仲は良くなかった。みんなが話の話題に乗り遅れないようにと背伸びして好きでもないドラマを予習してから学校に来る中で私はポスター紙を丸めて剣を作って一人で遊んでいた。友達の家に遊びに行きたくて週末は電話をかけるがいつも断られた。嫌われていた。
中学ではやりたくもない部活を無理やりやらされて冬の真っ暗な学校をランニングさせられた、今でもトラウマだ。休み時間に少ないクラスメートに悪口を言われていたのを聞いて落ち込んでいた。弁論大会の作文の内容がかぶったという事で成績優秀な教頭の娘が私を無視し始めてたった8人のクラスで孤立した。
辛かったし惨めだった。

高校でも友達はできなかった。田舎の学校、クラスメートは28人ほど、私以外は全員地元の幼馴染、すでに出来上がってるグループに入れない。太ってたから男子にからかわれたし、女子はみんな怖かった。三年間の記憶があまりない。授業もついていけなかった。絵が描きたかったけど下手だった。専門学校の体験入学で上手く描けなくて泣いたので後の専学担任に覚えられ「こいつはダメな人間だ、入学したらめんどくせえやつだ」と認識された。(教師本人が酒飲んでた時に私に直接そう話した)
高校でなんとか居場所を作ろうと必死だった。無理やり笑って「私は危ない人物じゃないよ」とアピールした。無理をしていた。なんとかゲームに理解のあるグループにすりよれたが、周りからの態度の違いで友達じゃないんだとわかった。
辛かった。

札幌の専門学校では漫画を描いていたが担任には嫌われていた。小学中学高校生活が全て辛くて、人付き合いがうまく出来ない人間になっていた。他人が信用できないし、他人のことがよくわからない。周りの連中の話についていけない。ささやかな喜びみたいなのが私には存在してなかった。人と違うみたいで、卑屈になり自信もなくてすぐ落ち込む、絵も上手くない、苦しくて泣いたら担任にぶたれたので、それ以降は根性で卒業まで頑張った。でもやっぱ辛かった。

インターネットは逃げ場だったけど絵が上手い人、人付き合いが上手い人、カリスマがたくさんいた。アマチュアがバズってプロになっていく。私は頑張りが足りないから結局今のまま。担当がついても上手く話せない。一人で何かしたいけれど、絶対に誰かに負けている。毎日努力しても勝てない。卑屈さが足を引っ張る。明るく生きていたいけど出来ない。涙が止まらない。助けて欲しい、けど誰にも助けられはしない。有名になりたいなら、絵は自分の努力しかない、有名になりたいなら自己プロデュースしたいなら自分を偽るべきだろう。自分でどうにかしないといかん。やろうとすると辛い。努力は好きだけどいくら頑張っても誰にも追いつけない。才能がないと気づいた。じゃあ才能がある連中とは別の努力をしないといけない。努力出来る才能は多分ある。それが救い。

仲の良い人が一瞬出来ても、これまでの生活が辛過ぎて上手くこれからの人間関係を築けない。仕事でもそうだった。最近はやっと開き直った「一人でもいいや」と思えるようになってきたけど、やっぱり辛い。


他人と自分を比べたりしないで生きたい。評価とか数字とかない世界に行きたい。
他人を素直に褒めたり感謝したりがなかなか出来ない。上手く人付き合いが出来ないことでずっと自分を責めて来たから、人付き合いが上手くなりたいとはもう思わない、その努力は疲れた。
せめて絵や漫画を描くことだけでも上手くなりたい。それで認められたい。
安心して生きたい。辛いのはもう嫌。毎朝目が覚めて、「やっぱりダメだった」「私じゃダメだった」「私じゃ何にもなれない」「私じゃ上手く出来ない」「誰も私を見てくれない」「誰からも好きになってもらえない」と、けしてそんな事はないのに、自分を卑下してそんな風に悪い方へ考えて落ち込んでしまいたくない。
世界中の人間がいなくなって欲しいと感じたり、消えていなくなってしまいたいと思ったり、自分が死んでしまったあとの世界を想像したり、そんな風に生きたくない。

そんな感じで、今日いよいよ涙が止まらないので書きました。
年号が変わったのに、私は私のままで、辛くなったんじゃないやろか。

将来、今こんな風な自分が幸せで笑って生きていられるようにしたい。今は辛い。

#エッセイ

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