よしはら ゆみ

3人の子供たちと北海道で暮す。今が一番幸せ。 両親の不仲、デンマーク留学、競技ダンス、…

よしはら ゆみ

3人の子供たちと北海道で暮す。今が一番幸せ。 両親の不仲、デンマーク留学、競技ダンス、出来ちゃった結婚、DV、浮気、離婚、シングルマザー、事実婚、森の中での暮らし、婚外子、クモ膜下出血、高次脳機能障害、生活保護、介護のキーワードで人生を語れます。

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  • 新しい人生

    本来の私を生きる様になってからの、おもしろ話し

  • 私の半生

    幼少期から現在に至るまでの人生の面白いところをギュっと凝縮した、読み応えのあるエッセイ風になっています

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私の人生劇場へようこそ!

この劇場では私、よしはら ゆみを主演とした人生劇場を嘘偽りなく書き綴った、ノンフィクションヒューマンドラマをご覧いただけます。 また、このドラマは主演のよしはら ゆみが生きている限り続く(予定)です。 本人もエンディングがどうなるか分からない未知の世界を、一緒に鑑賞したい物好きな方(笑)どうぞ気長に楽しんでいただけたら幸いです。今までの半生を簡単にタイトルをつけると以下のようになります 3人姉弟の真ん中に生まれ 初めて喋った言葉は「バカ」だった乳児期 年子の弟と長女の世話

    • <現実はこうして作られる。的な>

      お一人様1泊旅行から帰って来ました。 旅はとても楽しくて、私の”好き”が分かったり、私の母のビジネスヒントを掴んだので、帰宅してすぐに母にフィードバックという名の経営コンサルをしました。 子供達はと言うと、、、 まず、長男のミッション。 私の母が前日夜から泊まり込む事で、計画倒れに終わりました。 母の判断で、子供だけで置いておけなかったそうです。 そして、土曜日はいつも早朝から仕事の母ですが、今回の土曜は、他の孫ちゃんの発表会という事を直前に知って、仕事を休むという現実

      • <本気スイッチ、押されました>

        変な事を言う様ですが、私、今までの人生でお金に困った事が無いんです。 シングルマザーになった時も、翌月から就職が決まったし。 占い師が脳梗塞で倒れて稼ぎ頭が突然居なくなった時も、降って湧いた様にお金が出てきた。 こんな感じで、仕事に就けないとか生活費がないと言う状態になった事がないんです。 当時の私にはその環境が必要だったんだと、今だから分かる。 乳飲み子を抱えて、不登校の息子が家にいる状態で私が外に働きに出るなんて出来なかった。そうしなくても生活できる様に天の計らいで

        • 《質問に答えてみるシリーズ》

          Q.ゆみさんにとって男性はどういう存在? A.この質問の答えが出せるまで、ちょっと時間かかりました。  というより、言っちゃって良いか迷いました(*ノ∀`*) ”私の半生”をご覧いただいた皆さんならお分かりでしょうが、私は男運がないとか、見る目がないとか、キャラが濃いと思われる様な男性と一緒になる事が多いですね。 どうしてそんな男性を選んだのか?その答えは、その時の私にとって、彼らは必要な人(エネルギー)だったから。 ただ、それだけなんです。 「どうしてこんな男を選ん

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        私の人生劇場へようこそ!

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        • 新しい人生
          8本
        • 私の半生
          24本

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          《質問に答えてみるシリーズ》

          Q.自分の嫌いな所はどこですか?(好きな所はどこですか?) A.この質問をもらって、「自分のここが嫌い!」って思うほど嫌な部分は  無くなった事に気付きました。  強がりな所、意地悪な所、怒りっぽい所、言い過ぎちゃう所などなど、  良くないと思われ易い様な所も、ぜーーーーんぶ合わせて”わたし”  なので、それでいいと思う様になった。  という方が正しいかな。    強がりな自分が出た時は、 「あ、私今強がったよね。そっか、こういう時は強がりたいんだね」  とその都度自分の

          《質問に答えてみるシリーズ》

          ”強がり”は”弱い自分”を守る防衛策だったって話し

          これね、あるあるだから、今更って思って考えることさえしてなかった。 「私には弱い所があるから強がったりしてたよね」ってね そんな私が、過去に置いてきた 何か があって、 今更考え直す出来事が起きたみたい。 それは、もう10年以上前の事。 でも未だに、思い出すと心がズーンと重くなる感覚になる事だった。 その時の気持ちが消化しきれずに残っている、気持ちの消化不良の状態だ。 その出来事を思い出すと、一瞬で10年以上前の自分に戻って苦しくて仕方ない。 だから、一人でその気持ちと

          ”強がり”は”弱い自分”を守る防衛策だったって話し

          私は何かにならないといけないと思ってた。けど、40年以上生きて何かになったか考えたら、子供、妹、姉、奥さん、お母さん、バレリーナ、陸上部員、帰国子女、数えたらキリがない程の”何か”になっていた。”何か”って特別なものじゃないんだね。

          私は何かにならないといけないと思ってた。けど、40年以上生きて何かになったか考えたら、子供、妹、姉、奥さん、お母さん、バレリーナ、陸上部員、帰国子女、数えたらキリがない程の”何か”になっていた。”何か”って特別なものじゃないんだね。

          新しい人生〜警察がやってきた②〜

          そうこうしている内に2歳児を連れた母親が現れた。 昨日の表情とは別人の様だった。明らかに怒っている。 母親から伝えられた事は、傷が思ったより深く、完治するまで1ヶ月ほどかかり、暫くは毎週通院する必要がある事と、傷跡が残るかもしれないと言う内容だった。 私は底の見えない恐怖に襲われていた。 相手に何を求められても応えられる様に、賠償責任保険がある!それを使おう! お母さん達に待っててもらって、一度家に戻り証券を探した。 保障内容を確認する為だった。 帰宅している間に、私は娘

          新しい人生〜警察がやってきた②〜

          新しい人生〜警察がやってきた①〜

          新居の隣は公園だ。 窓を開けると、目の前にブランコに乗っている子供がいるくらい近い。 隣家が居ない森の中で育った子供達にとって、隣の公園は"自分の家の庭"という感覚だった。いや、本当にそう思っていた。 3才息子は、保育園でここの公園に遊びにきた時、自分の公園だから来ちゃダメー!と言っていたと、先生から聞いて驚いた。 公園という概念がない。敷地や境界線というのも知らないで育つとこうなるのか。 車道と歩道の区別、私有地と公共地の区別、一人で行っても良い行動範囲の概念などを、

          新しい人生〜警察がやってきた①〜

          新しい人生〜始まり〜

          占い師が福祉施設へ入居した翌年の夏頃、私の母からこんな提案があった。 「ここは、近所に公園もないし友達もいないし、女手一つで子育てするには厳しいと思うよ。引っ越さないの?」 私は森の中の家がとても気に入っていた。家がと言うより、リビングの大きな窓から見える森の景色が大好きだった。 野鳥の名前も沢山覚えた。 四季折々の素晴らしい景色が、家の中に居ながら森の中にいる様な感覚になれる最高のロケーションだった。 しかし、息子2が池に落ちた事が2度あり、この場所の危険は悩みどころだ

          新しい人生〜始まり〜

          波乱の人生〜終わり〜

          森の中の家はいつもより少し静かだった。 娘2が幼稚園に行く様になったから。それだけだろうか。 少し自分の時間が出来た頃、息子が不登校になった。 中1の昨年からそれは始まっていた。丁度、娘2が手術をした頃だ。 私に似ず非常に繊細な息子だったので、彼の心の中が全く想像が出来ないのが良かったのか、私は彼の意思を尊重して朝起きれないという理由でも学校を休ませていた。意思を尊重と言えば聞こえは良いが、娘2の事で頭が一杯で息子の事に向き合う余裕がなかっただけだ。 中2が始まった頃から

          波乱の人生〜終わり〜

          波乱の人生〜最大の試練〜

          大手術を終えた娘は、翌日に「アイスたべたい、、、」と言って先生に特別許可をもらい、3日目にはお気に入りのスパイダーマンの被り物をしておどけて見せ、5日目にはスパイダーマンの全身タイツを病衣の上から着て元気一杯。7日目の退院の日は、娘2へお見舞いでもらったラプンツェルのドレスとティアラを着けて、ナースステーションへ挨拶に行った。 大きな山を乗り越えた私たち家族の住む森は、紅葉して見事に色付いていた。 雪が積もり始めた12月6日の夜中、寝ていた私を遠くで呼ぶ声で目が覚めた。

          波乱の人生〜最大の試練〜

          波乱の人生〜修行時代②〜

          色々と変化が起きている私が対峙しなければならない現実がもう一つあった。 占い師が始めた『ポリアモリーごっこ』だ。 依然まとまりがつかない状況だったが、私が妊娠した事で全て終わると思っていた。 が、しかしっ!占い師は不器用な上に女の子が好きな上に夢の『自給自足が叶う郷』が完成間近と言う事もあり、『ポリアモリーごっこ』をどうにかするつもりも無いと言うか、どうにかしなければいけない事と言う認識が無い様だった。 新居のリノベーションには弟子たちも参加していた。勿論、その女の子も連れ

          波乱の人生〜修行時代②〜

          波乱の人生〜修行時代①〜

          胡散臭い占い師は、いつも何人かの女の子たちを引き連れており、占い師は彼女たちの事を『弟子たち』と呼んでいた。 後に、彼女らはお客さんだったり本当の弟子だったり関係は色々だったが、私は占い師に対して「好き」と言う恋愛感情がないので気にならなかった。 当時の私は、自分の中に湧いて出てくる初めての感覚が何なのかを知りたくて、そこに夢中だった。占い師の事を何も知らないけれど、タイプでも無いけれど、傍にいたい。 離れている事に違和感を感じる程、胡散臭い占い師を強く求めていた。 円満別

          波乱の人生〜修行時代①〜

          波乱の人生〜子供と共に〜

          沖縄浮気の翌月、私は北の大地へ戻っていた。 傷心より安堵の気持ちでいっぱいだった。これで安心して子育てができる。 私が私で居られる。広い大地とどこまでも続く空を見て、心の底からホッとしたのを覚えてる。やっぱりこの大地が大好きだ。 年子の子育てを実家で始めて数ヶ月もしない内に、娘の毎晩の夜泣きが始まった。それは必ず1時間続いた。 息子が寝そうになっている時に夜泣きが始まると、頭の中で何かが切れる音が聞こえる程キレた。 夜泣きの娘を抱いて、息子を寝かせておけば泣いてもその内勝手

          波乱の人生〜子供と共に〜

          波乱の人生〜救世主現る〜

          息子が生まれたのは、娘の誕生日の翌日。そう、ちょうど1歳違いの年子になる。1日早かったら年子じゃなくなるところだった。 未熟児で生まれた息子は、NICUの優秀な医師と看護師達に支えられ、毎日家で絞った母乳を届けた私の努力のお陰で、未熟児特有の病気も無く、めでたくバレンタイの日に退院した。 やっと離乳食を食べ始め、2〜3歩歩ける様になった娘と、未熟児で生まれたての新生児の育児が始まり、私は自分の食事を作る余裕が無く、殆どが冷凍食品や離乳食の残り。義母が買ってきてくれるサンドイ

          波乱の人生〜救世主現る〜