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『大麻の研究』の研究編その2

「戦前は日本中に大麻があったの幻想」

「『大麻の研究』の研究その1」では目次や本章に入る前に以下の戦前・戦中、そして戦後を支えた大物・英雄たちが登場するよってところまでだった。「『大麻の研究』の研究その2」はその内容について読み解いていきたいと思う。

・昭憲皇太后
・枢密顧問官陸軍大将 男爵 奈良 武次 閣下
・前内閣総理大臣 海軍大将 米内 光政 閣下
・元農林大臣 伯爵 有馬 頼寧 閣下
・元商工大臣 吉野 信次 閣下
・衆議院副議長 田子 一民 閣下
・元宇都宮高等農林学校長 山縣 宇之吉 閣下

で、ページをめくると最初に目に飛び込んでくるのは「枢密顧問官陸軍大将 男爵 奈良 武次 閣下」の書による昭憲皇太后御歌だ。

おるはたの
いとにせむとやはたみたり
さとのをとめか
あさをほすみゆ

昭憲皇太后は明治天皇の奥さんで、明治天皇とともに明治神宮(明治神宫)の御祭神にもなっている人、、、というか祭神だから神か。3万6千首にも及ぶたくさんの歌を作った神でもあります。

で、さらにページをめくると「前内閣総理大臣 海軍大将 米内 光政 閣下」による題字「国産第一 ◯大麻研究」。◯は読めなかった。米内さん、結構達筆。

で、さらにさらにページをめくると「元農林大臣 伯爵 有馬 頼寧 閣下」による題字 「国産愛用 為大麻之研究」の書。馬好きにはたまらないあの中山競馬場の冬最大のレース、中山グランプリ改め有馬記念となったG1レースの創始者、日本中央競馬会理事長としての方が元農林大臣 伯爵っていうよりまだ親しみがわくかな(笑)。

昭憲皇太后に奈良武次に米内光政、そして有馬頼寧と大日本帝国の教育や文化、そして中枢を担ったメンバーに「戦前の大麻、スゲー!」と圧倒されそうだ。奈良武次なんて僕の故郷鹿児島県でいう西郷隆盛くらい栃木県では英雄なんだろうなぁ、きっと。

ただし、間違って欲しくないのは「ほら、『大麻の研究』なんて本もあるし、国の有力者も力入れてるし、今と違って戦前は大麻はそこら中にあったし、自由に栽培されてた!」と考えるのは性急過ぎるってこと。考えなくちゃいけないのは何故1937年(昭和12年9月20日)に『大麻の研究』を世に問わなければならなかったのかという背景だ。

ヒントは『大麻の研究』の中にちゃんと隠されている。

ひと通り大物・英雄の皆さんが出揃ったところでページをめくると「序」がはじまる。いわゆる序文、まえがきだ。

「元商工大臣 吉野 信次 閣下」はこう書き出す。

「大麻は本邦に於ける重要な繊維作物の一にしてその盛時にありては1カ年皮麻3百余万貫を生産したりしが其の後低廉なる外国産麻類の輸入と綿絲(糸糸)代用品との強烈なる圧迫を蒙り暫時衰退の情勢を示しつつあり」

「衆議院副議長 田子 一民 閣下」は、「瑞穂の国、千足の国って日本のことを言うけど、農村の現状を見てるとそうは思えないよね。農村の大変さとか真の姿知らないとダメだと思うんだけど。」(超約)と述べながら「農村の一特色であった麻の如き今日忘れられ勝ちである」と繋げる。

「元宇都宮高等農林学校長 山縣 宇之吉 閣下」は「我が国は大麻に関した事柄は、万葉集をはじめ日本書紀などの古代文献に至る迄豊富な記事が現はれてゐる。かくて大麻は一般民衆と深い交渉を最初から持つて居たもので、それが或いは詩となり歌となり、風俗の上にも影響を来している。」と書くが、続けて「輓近大麻はその安価な代用品の為に、生産領域を侵略されつつあるが〜」と続く。

結局、吉野信次も田子一民も山縣宇之吉も言いたいことは「大麻産業の現状は厳しいけど、日本にとって大麻は大事なものだからこのタイミングで『大麻の研究』が出版されるのは意義がある」ということだ。

『大麻の研究』が発行された理由は滅びゆく大麻への危機感からだ。この危機感、大麻に関心がある人ならすぐにわかるはずだ。そう、今と同じ状況なのだ。古来より続く大麻文化の滅亡への危機感を持つ著者たちが大麻の歴史や文化、そして未来への可能性を示すために書かれたものだ。現在の多くの麻関係者が持つ危機感と同じなのだ。

それがなんだか「戦前はそこら中に大麻があった」という幻想がまかり通っている。『大麻の研究』は優れた第一級資料であることは「数少ない大麻研究者の多く」(笑)が認めるところだ。しかし、このいわゆる戦前の当事者たちが書いた序文はその幻想に疑問を投げかけるには十分だ。「戦前はそこら中に大麻があった」わけではないことを知られたくなくて、特にこの序文読ませたくなくて『大麻の研究』はあんまり広がらないのかなぁと邪推までしたくなる。

「真実」って言葉はあまり好きじゃないし、見方や捉え方で真逆になるけど、「歴史的事実」ってのは先人たちが残してくれた文献などを照らし合わせれば見えてくることもある。歴史を幻想で捻じ曲げることは先人たちの想いを捻じ曲げることだし、想いを繋ぐことにはならないって思う。大麻の存亡の危機に対して果敢に立ち向かった先人たちの想いや行動をなかったことにするなんて僕にはできない。

伝統も伝承も文化も、カタチやものではなく想いを繋ぐことだ。

伝統も伝承も文化も、カタチやものではなく想いを繋ぐことだ。

大事なことなので二度言いました(笑)

そこを忘れたら未来なんかない。

大麻幻想は何故生まれたのか、それでもなお僕が大麻の可能性を信じ、必要なものだと確信を持っているのは何故か、ということについてはおいおい書いていこうと思うm(_ _)m。「『大麻の研究』の研究その3」は「目次について」書いていきます。

関連年表
1936年2月26日(昭和11) 二・二六事件
1937年2月2日 (昭和12) 米内光政、林内閣(第33代)海軍大臣就任
1937年7月 (昭和12) 日中戦争(支那事変)勃発
1937年9月20日 (昭和12)『大麻の研究』発行
1938年4月1日 (昭和13) 国家総動員法(昭和13年4月1日法律第55号)5月5日施行
1940年1月16日 (昭和15) 米内内閣(第37代)発足
1940年7月22日 (昭和15) 米内内閣辞職
1940年9月10日 (昭和15)『大麻の研究』再版発行
1940年9月27日 (昭和15) 日独伊三国間条約(日独伊三国同盟)
1940年10月12日(昭和15)大政翼賛会発足
1941年12月18日(昭和16) 太平洋戦争勃発

※文末になって恐縮です。まずは関連ページを小出しにしますが、「『大麻の研究』の研究」の最後には『大麻の研究』をまるっと掲載する予定です。僕の与太話はともかく、『大麻の研究』に一度目を通してみてくださいm(_ _)m

※参考
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)
明治天皇の皇后。1849年5月9日(嘉永2年4月17日)〜1914年4月9日(大正3)。 「昭憲皇太后御製大全集」全47冊、「類纂新輯昭憲皇太后御集」。

奈良 武次(なら たけじ)
下野国都賀郡上南摩村(現・栃木県鹿沼市)生。陸軍大将。男爵。1863年(慶応4)4月28日〜1962年(昭和37)12月21日没。2000年に『侍従武官長奈良武次日記・回顧録』全4巻(柏書房)が出版。

米内 光政(よない みつまさ)
岩手県盛岡市生。1880年(明治13)3月2日〜1948年(昭和23)4月20日。海軍大将。第23代連合艦隊司令長官。第39〜41、49〜52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。

有馬 頼寧(ありま よりやす)
東京生。1884年12月17日(明治17)〜1957年(昭和23)〜1957年1月9日(昭和32)。旧筑後国久留米藩主。伯爵。農林大臣。日本競馬振興会第2代理事長。農山漁村協会初代会長。

吉野 信次(よしの しんじ)
1888年9月17日(明治21年)〜1971年5月9月(昭和46)。第一次近衛内閣商工大臣・貴族院議員。戦後は第三次鳩山一郎内閣運輸大臣。歴任した。政治学者吉野作造の弟。

田子 一民(たこ いちみん)
岩手県盛岡市出身。1881年11月14日(明治14)〜1963年8月15日(昭和38)。第34代衆議院議長、第27代衆議院副議長、三重県知事、第4次吉田内閣農林大臣などを歴任。

山縣 宇之吉
* 第2代宇都宮高等農林学校長(1929年10月 - 1939年8月)
※詳細調べて追加対象

「『大麻の研究』の研究編その1」
https://note.mu/yosiki1970/n/n3cc4ba54e705

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