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『大麻の研究』の研究編その3

『大麻の研究』には続きがある!

その2では『大麻の研究』は目次や本章に入る前の以下の大物・英雄たちがどのようなことを書いたり述べているかについて書いてみた。その3では目次について読み解いていきたいと思う。

・昭憲皇太后
・枢密顧問官陸軍大将 男爵 奈良 武次 閣下
・前内閣総理大臣 海軍大将 米内 光政 閣下
・元農林大臣 伯爵 有馬 頼寧 閣下
・元商工大臣 吉野 信次 閣下
・衆議院副議長 田子 一民 閣下
・元宇都宮高等農林学校長 山縣 宇之吉 閣下

ということで、やっと目次、、、の前に、やはりありました。「『大麻の研究』の研究編その1」での予言(笑)。

「『大麻の研究』はそんな大東亜戦争の初期、太平洋戦争に突入する前の時代を背景にした本だ。「『大麻の研究』の研究」では、初版から3年後の再版には多分誤記などの訂正、多少の加筆や新しいことも有るだろうという前提で再版版をベースに話を進めていきます。まぁ、初版が手元にないだけなんだけど(笑)」って所。

初版では絶対に読むことができない再版版ならではのやつ。初版では「文学士 新里實三」の肩書で「自序」を書いていた新里さんがその一文に加え、「栃木県産業報国連合会主事」の肩書で「再版に際して」という一文を寄せている。

「一昨年は庭の一隅に大麻を蒔いてその伸び具合を毎日眺めては日記をつけて楽しんだものであつた。」ではじまる一文はまるで随筆のようだ。庭に大麻の種を蒔いて眺めるなんて羨ましい限りだ。

「去年も蒔いたが今年は一寸時期を失して蒔かなかった。所がその蒔かなかったはずの大麻は去年の果のこぼれから芽をだして、すくすくと其処此処に伸びて春の作物らしい情緒を漂わせてゐる。かくて大麻は益々わたしの親しみ深い友人となつて来てゐる。」

この一文を書いた日付に6月5日とあるから4月に蒔いたとして1メートルくらい、当時の尺貫法でいうなら3〜4尺くらいには成長している時期だ。でも春っていってるから蒔きはじめなのかなぁ。実際はどうだかわからないけれど、とにかく新里さんが日々成長していく大麻を宇都宮の自宅の書斎から、あるいは文机に向かって眺めながら書いている絵が浮かんでくる。

そして、「売れるとは思ってなかったけど、売り切れてしまって、問い合わせに「無いよ」って答えてばかりいるのも気の毒だし、要求に応えるのもなんかのご奉公になるだろうから再版することにした」って続く。その後が半分がっかり、半分良い感じだ。

「其後田子衆議院副議長殿を頂いて大麻研究会を創設したり、栃木県並びに栃木県農事試験場の方々から貴重な資料を頂いたりしたのであるが戦時下最新の統計を詳細する事を避けて今回は内容をもとの儘にし形を大衆版として再刊することにした。」

良い感じなのは、なんと『大麻の研究』初版の1937年9月20日 (昭和12)から再版される1940年9月10日 (昭和15)までの間に大麻研究会が創設されているのだ。そして栃木県や栃木県の農事試験場の協力のもとで何かしらの研究が進んでいるのだ。

田子一民が衆議院副議長だったのは1939年12月23日(昭和14)〜1941年(昭和14)12月22日。『大麻の研究』の再版版が出版され、「再版に際して」が書かれてのが1940年6月5日(昭和15)だから、1939年12月23日(昭和14)〜1940年6月5日(昭和15)の半年の何処かで「大麻研究会」が発足した可能性が高い。

残念なのは「戦時下」であることを理由に再版版では内容の変更がないことだ。ここに関しては当てが外れてしまった事は否めないが、『大麻の研究』を超える、あるいは補完する大麻の研究が行われていたことがわかっただけでもなんだか嬉しさが込み上げてくる。

「従来長谷川君と二人での発表もので麻船具新聞や栃木及栃木人等に載せたものや長谷川君の実際見てきた支那の麻事情など何れ取り纏めて来春あたりにでも出版したいと思っている。」

来春というから『大麻の研究』再版版が発行された1940年9月10日 (昭和15)の翌年、1941年(昭和16)の出版を目指していたことになる。当時の支那の最新事情というのも気になる。ま、それらは結構資料が出ているのだけれども、『大麻の研究』の著者の一人、長谷川さんが見た支那の様子はどんなものだったのだろう。『麻船具新聞』『栃木及栃木人』の大麻に関する記事を探すという新しいミッションも生まれた。

あ、支那って現在では差別用語のように扱われているけれども、Chinaだからねぇ。ちなみに米は「メリケン粉」の米利堅だし、英は英吉利、オランダは和蘭、フランスは仏蘭西、ドイツは独逸だからなぁ。支那って呼ばれるのを現在の中国が嫌がったから日本が配慮してるだけだし。東シナ海とかはいいのにね(笑)。

さて、話を『大麻の研究』に戻すと新里さんの「再版に際して」は『大麻の研究』の販売を引き受けてくれた東京丸善株式会社・養賢堂・麻船具新聞社・東京履物商報社といった企業への謝辞へと続き、最後は3つの歌で締めくくられる。大麻を詠んだ詩歌、良いよね。でも、三首目、現在進行形というよりも懐かしんじゃってるのがなんとももの悲しいところ。

古賀志山
麓の風にうねらせる
麻の畑の
匂いてしるし

麻蒸しの
かまどのけむり
ほそぼそと
よべの畑を
立ちのぼる見ゆ

機織の
音のなつかし
コロコロと
響くを聞きて
偲ぶふるさと

関連年表
1936年2月26日(昭和11) 二・二六事件
1937年2月2日 (昭和12) 米内光政、林内閣(第33代)海軍大臣就任
1937年7月 (昭和12) 日中戦争(支那事変)勃発
1937年9月20日 (昭和12)『大麻の研究』発行
1938年4月1日 (昭和13) 国家総動員法(昭和13年4月1日法律第55号)5月5日施行
1938年7月30日 (昭和13)産業報国連盟結成された
1940年1月16日 (昭和15) 米内内閣(第37代)発足
1940年7月22日 (昭和15) 米内内閣辞職
1940年9月10日 (昭和15)『大麻の研究』再版発行
1940年9月27日 (昭和15) 日独伊三国間条約(日独伊三国同盟)
1940年10月12日(昭和15)大政翼賛会発足
1941年春 (昭和16)???『大麻の研究』続編発行???
1941年12月18日(昭和16) 太平洋戦争勃発

※1939年12月23日(昭和14)〜1940年6月5日(昭和15)「大麻研究会」が発足??

というわけで、「『大麻の研究』の研究その3」も目次まで辿りつきませんでしたが、「『大麻の研究』の研究その4」こそは目次からスタート出来るかと思います。

m(_ _)m

※文末になって恐縮です。まずは関連ページを小出しにしますが、「『大麻の研究』の研究」の最後には『大麻の研究』をまるっと掲載する予定です。僕の与太話はともかく、『大麻の研究』に一度目を通してみてくださいm(_ _)m

参考
栃木県産業報国連合会
産業報国会の連合組織。全国組織は1940年(昭和15)11月23日結成の大日本産業報国会。1938年(昭和13)に結成された産業報国連盟を中心に国民運動のテイで全国に広がった。1945年9月30日(昭和20年)GHQ指令で解散。

大麻研究会
※詳細追加対象

栃木県農事試験場
※詳細追加対象
全国的には農事試験場は1893(明治26)発足。農業に関する、技術上の試験研究・調査・分析・鑑定などを行った公設機関。栃木県農事試験場は大麻に関する資料多いんだけど、鹿沼を解散しちゃってるから残念。

『栃木及栃木人』?
※詳細追加対象

麻船具社(昭和41年まで麻船具新聞社)
東京市豊島区池袋4-476にあった企業
『麻と船具』などを昭和33年頃から発刊
その他、麻全般の資料をたくさん出してる!
※詳細追加対象

東京丸善株式会社(現・丸善出版)
明治9年に土屋寛信抄訳『新薬性功』を発行。『化学日記』(明治10年)、『物理日記』(明治11年)、『新体詩抄』(明治15年)、『学の燈』(明治30年創刊。後の『學鐙』)等を出版。丸善株式会社出版事業部を分社し丸善出版株式会社とした。

養賢堂
大正3年創業の出版社。自然科学・畜産・農学・工学の雑誌と書籍の発行および販売。現存!

東京履物商報社
東京市浅草区にあった出版社
※詳細追加対象

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