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”面倒くさい”は悪ではない

ぼくは面倒くさがりやだ。

なるべく楽をしたいし、コツコツやるのが苦手。

コツコツと真面目にやることは学校の勉強時代から褒められる行為だったし、几帳面にノートを取りながら毎日勉強している子は先生のお気に入りだった。

そんな中で、面倒くさがり=怠惰とも言えるような扱いはされなかっただろうか。

ここで疑問がある。

はたして面倒くさがりは悪なのだろうか。

こと、仕事に関しては必ずしも悪ではないと思っている。

なにしろ愚直にコツコツと作業を継続できる真面目な人間は、本来やらなくてもいいような無駄な作業にも深く疑問を持たずにこなすことができる。

面倒くさがり屋にはそれが本当に苦痛だ。

だから、その無駄を排除したくなる。

面倒くさいと感じたからこそ、無駄な作業に疑問を感じて、どうにかしようと思うのではないだろうか。

昔やっていた仕事をチーム人事の関係で再び後輩から引き継いだ時の話だ。

当時から面倒な会議や手続きが多くて時間の無駄だなあ、とかめんどくせえなあと思っていた業務だったが、全く変わっていなかった。

変わっていないどころか、コツコツとまじめにこなしてきた後輩は周りからいい評価をうけていた(というか便利屋みたいに扱われていた)


まず着手したのは無駄な会議の改廃だ。

会議の目的をはっきり分けていらないものは定例会議から外し、何かあったときに集まるだけとした。

次に仕事の依頼体制も、面着の打ち合わせからメールに変更。いちいち議事録を取らなくてもメールのやりとりがエビデンスとなる。

当然やんわりと反発を受けるわけだが我関せず貫いた。

みんな忙しいと嘆く割にはなぜ忙しいのかというところにメスを入れない。

でもこれはしかたがない、。

今の状態がコンフォートゾーンになっているからだ。

しかしこのコンフォートゾーンを移行する覚悟をもって面倒くさい業務の廃止に取り組むことが将来的には自分の負担を減らすことができる。

↓以下参考記事

緩やかにコンフォートゾーンを移行する



ちゃんと真面目に仕事をしている人にとっても面倒くさい事って、無駄のカタマリだと思う。

そこに手をつけてこそ業務効率化。

業務効率化を進めるには面倒くさがり屋が必要なのだ。


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