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27.愛と許し②〜愛し許すことの実践〜

こんにちは^^
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前回の記事から、「愛と許し」という観点で、聖書の内容を皆さんに紹介し始めました。
今日は「愛と許し」シリーズ2つ目の内容です。

前回の記事では、マタイによる福音書18章21節から35節を通じて、「許しの大切さ」についての内容を書きました。
イエスキリストはどれだけ豊かに許しを与えられるかについて話し、
主人が一万タラントの借金を許し、その後、借金百デナリの仲間に対して厳しい態度をとる僕が出てくるイエス様の説教を紹介しながら、許しを受けるには許しを示すことが必要であることを強調しました。

今日はルカによる福音書6章27節から38節の内容を見てみたいと思います。
現代社会においても、愛と許しは非常に重要な価値観です。この聖句から得られる教訓を通じて、私たちの日常生活にどのように適用できるかを考えてみましょう。


< 敵を愛し、憎む者に親切にせよ>

まず初めにルカによる福音書6章27節から28節を見てみます。

ルカによる福音書6章27節
「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。

イエスキリストは、「敵を愛し、憎む者に親切にせよ」と教えました。
これは、私たちが他人に対して感情的な反応や敵意を抱く代わりに、理解し、共感しようとすることを勧めています。
現代社会において、会社でも学校でも家庭でも、対話と協力がとても大切です。
大小の争いは、どちらか一方が悪いということはほとんどなく、互いの立場ごとに違った正義があり、その正義がぶつかり合うことによって争いが生じます。
人類は何千年間も「争い」を続けていますが、政治的、宗教的、人種的な違いが存在していても、相手を尊重し、共通の理解を築く努力が必要です。

<のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ>

次にルカによる福音書6章28節から29節を見てみましょう。

ルカによる福音書6章28節〜29節
「6:28のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。
6:29あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。」

ここでは、ののしりや批判するのではなく、祝福し、祈りを捧げるように話され、頬を打たれても上着を奪われても復讐をするなと話されました。

現代社会を見てみると、SNSの発展により、人々が他人を簡単に非難することが増えています。面と向かっては言わなそうなことでも、ネット上では簡単に人を傷つける言葉を発してしまうのです。
また、SNSの話に限らず、会社や学校においても、心無い言葉を言われて傷つくこともあります。
そういった時に憎むのではなく、むしろその相手のために祈ってあげることができたら、人を憎むことによって自分自身の心が悪い影響を受け自分もまた悪い心を持ってしまうことを治めることができるかもしれません。

<無条件に与える心>

次はルカによる福音書6章30節から35節を見てみましょう。

ルカによる福音書6章30節から35節
「6:30あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。
6:31人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
6:32自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
6:33自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
6:34また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
6:35しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。」

一つ一つの文章が全て心に響く内容です。
自分を愛してくれる人だけでなく、
敵だろうと何だろうと、とにかくよくしてあげなさい。
そして与える時には見返りを求めずに与えなさい。
そのようにすれば、巡り巡って自分自身が大きく報われるようになる
とおっしゃり、
実際、いと高きもの(=神様)はそのようになさるのだとおっしゃいました。

この部分だけでも自分のものにすれば非常に素敵な人格者になれるでしょう。

そしてルカによる福音書6章38節ではこのようにおっしゃっています。

ルカによる福音書6章38節
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。」

ここでは「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。」と書かれています。
これは物理的な贈り物だけでなく、愛、思いやり、時間、そして寛大さを他人と共有することなども含まれます。
見返りを求めず、先に愛し、先に歩み寄り、先に助け、先に与えることに挑戦してみましょう。
そしてそのような温かい環が広がっていったら平和な世界が創られると確信します。

<人をさばくな、人を罪に定めるな>

続いてルカによる福音書6章37節を見てみます。

ルカによる福音書6章37節
「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」

イエスキリストは、他人をさばいたり、罪に定めたりしないようにと話しました。
現代社会でも、他人を批判し、非難することが横行していますが、それによって得られるものは一つもなく、生まれるのは対立や衝突、分裂が生じるだけです。
この教えは、他人に対する寛容さと許しの心を持つことが、より平和で調和のある社会を築く一手となることを教えてくださっています。
自分の立場から見た時には苛立ちを覚えることがあったり、理解できないことがあったとしても、
すぐに判断してしまうことなく、よく吟味し、むしろ自分自身を振り返る機会にすることで、自分自身が許しを受ける機会にしてみましょう。

< あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ>

最後にルカによる福音書6章36節を見てみます。

ルカによる福音書6章36節
「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。」

ここでは、神様が慈悲深い方であるように、あなたたちも神様に倣って慈悲深いものになりなさいと書いてあります。
前回の記事では、イエス様が私たちを限りない愛で許し続けてくださるように、私たちもまた7たびを70倍にするほど許してあげることについて話しましたが、
ここでも、神様に倣って、という話が出てきます。

少し話が逸れてしまいますが、
聖書を学ぶ大きな意義の一つに「神様・キリスト=最高のロールモデル」だという点があります。
「神様だったらどうするだろう?キリストだったらどうするだろう?自分は神様、キリストにどうしてもらっているだろう?」と考えると、自ずと自分の行動も愛深く、慈悲深いものになっていきます。
この視点を持っているかどうかは、困難にぶつかった時、何かうまくいかずに心が乱れた時、自分を治め、よりよい考えを持って生きていく上で非常に大きいです。

<まとめ>
ルカによる福音書6章27節から38節から学べる教訓は、現代の人々にも響くものであり、愛と許しの価値観を強調しています。
約2000年前に語られた言葉が今もなお有益であるということは、聖書が不変の真理であることを表しています。
この教えを実践することで、私たちはより良い人生を生きることができます。
もちろんこの教えはとても高度であり、すぐに行動に移すことは難しいですが、挑戦し続けることに意味があると思うので、ぜひ愛することによる許しが溢れる生活にチャレンジしてみてください。

少し長くなりましたが、今日も最後まで読んでくださりありがとうございました^^

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