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「得」と「徳」は何が違うんだろうか

年末年始にまとまって考える時間が取れたので、投稿します。テーマは「得」と「徳」。前者はよく使いますが、後者は日頃の生活ではあまり使っていない考え方かもしれません。同じ音節なのに、何がこんなに違うんだろうか?と大晦日に振り返ってみました。

「得」はかんたんに実感できる、相手都合の部分最適


得は、ある1つの徳から、その一面だけを抜き出した評価。つまりは部分最適された、メリットのことではないでしょうか。

なぜかというと、「得」である、という触れ込みでマーケティングされている商品を思い返してみると、その「得」というのは、販売価格のことであったり、容量が多かったり、わかりやすいメリットがある一方で、別の面ではデメリットが用意に想像できるケースがあるからです。

例えば、「1つ買えばもう1つもらえる。」というサービスを考えてみます。

普段の2倍手に入る(もしくは半額で手に入る)というサービス。一見お得です。しかし、そのお得は一面的になっていなかな?という心配があります。
・そもそも2つ要らないのではないか?1つあれば数年もつものを余分に持ち帰っているのではないか?その場合は、余分に保管する手間があるかもしれない。またいざ2つ目を使うときになって、もっといいグレードの高い商品が出ている可能性がある。
・もしかすると、量や質の「お得さ」につられて、1つも要らないものを購入しているのではないか?その時には、そのお金(時間で)手に入れるはずだった別の体験(感動)を見逃した可能性がある。
・この行動は自分起点ではなく、あくまでも他人からの「お得」な提案(都合)であることを忘れてはならない。相手に愛があるかどうか?それはこちらではわかりようがないが、特にビジネスである場合には、先方の得、利益に繋がっている可能性が非常に高いといえる(さもなければ、短期的な慈善事業に終わる)

こういう理由で、相手から提案されている「得な」商品については自律性を失い、先方都合で動かされていると考えました。一見「お得」なサービス。特に、金額や量の面でメリットが感じられるものは、その背後にあるデメリットも同時に考えたほうがいいな、と2024年の自分に言い聞かせたわけです。

自分がほしいと思っていたものが「たまたま」割安だった、くらいがちょうどいいです。

「徳」は外からの評価が難解な、自分発信の全体最適

これに対して、「徳」はというと、「得」の位置づけに対して、全体最適に近い、それを求めることが好意的に捉えられる態度であり、行動様式であると考えています。

まず、全体最適に「近い」と書いた点。これは、徳と一言で書いても、その定義は、時代や場所で様々異なるためです。

例えば、ギリシャ哲学の本を読んでいると、徳の事例として「お金をもっていること」と書いてある。現代の感覚からすると、それって「徳」にあたる態度なの?と疑問符が湧いてしまいます。
しかし、紀元前のギリシャ、ローマにとっては、お金があることは人に施せる、貢献できるという力を持っている点で認められる特性だったのでしょう。ここでは、徳の具体的な性格がズレていることだけ触れておきます。
こうした理由で、徳がある人、徳について学んでいる人は、公私、自他とのバランスが取れている、全体最適を試みている人と言えそう(ただし絶対的な真理とは限らない)と考えました。

次に、徳が態度と書いたのは、
「得」という言葉がモノ・コト・態度と幅広く向けられていて、それに対を成す性質を持っている点を強調したかったからです。

「徳」は、自分の態度を指し、モノ・コトではない。仮にモノで代弁されているとしても、その根底には当事者の徳が根ざしている、ということです。

ただ、このモノ・コトではない、という性質が、「徳」というワードの使い勝手を悪くしていると残念にも思っています。
モノ・コトであれば、人に見せたり、譲渡ができますが、態度は、相手の観察や解釈次第で評価が大きくぶれてしまうからです。

例えば、徳の事例としてでてくる、「勇気」。本人は仕事の場、例えば商談などで精一杯試みているつもりでも、熟練の先輩からしたら、そんなの当たり前。勇気を発揮しているようにはみられません。
「幸福」なんかはさらに難解です。お金、地位もあり、家族関係が良好な人がいたら、周りのひとはこぞって、「この人は幸せなだ」と褒めてくれるかもしれません。ですが、その実、本人はやりたかった夢に向かえていないことを後悔しているかもしれません。

徳は得よりも、外からの評価と、自分がどう思っているかのギャップが出やすい、モノサシで測りづらい特性なのかもしれません。

以上、かんたんに得と徳の違いについて考えてみました。

得:部分最適、パッシブ、モノ・コト・態度に用いる、測定しやすい
徳:全体最適、ポジティブ、態度に用いる、測定しにくい

結論、得を捨てて、徳を取れ。と言いたいところですが、何分、得はわかりやすい。50%オフも捨てがたいところです。

なので、今のところは
「徳をつむことが望ましい、得とは距離を置くのが望ましい」
と念頭にもちつつ、新年を過ごすことを書き残しておきます(この言い切れないあたりが、「勇気」が足りないと反省しつつ、「謙虚さ」の現れとも評価できそう)

最後に、わたしが心の師と仰ぐラジオパーソナリティー、伊集院光さんが今回の話題にとてもしっくり来る発言をされているので、参考までに引用して終わりにしたいと思います。

結果「他人に優しくなるほうが得」ということになるんじゃないかな。損得だけで考える人が究極の損得を考えるときに、実は僕たちが優しさとか愛情とかに似たものに近づく、というか近づいてくれと思っています。

世間とズレちゃうのはしょうがない

久々の長文。駄文ながら、書いてるこちらは満足できましたw ご一読いただきありがとうございました。



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