2020-06-25

6月のある日、自転車が壊れた。きっかけは後輪が何かに引きずられるかのような抵抗を発し、ガタガタと周期的に揺れているのに気づいことだった。振動は大抵の場合は悪い予兆で、放っておくと飛行機などは空中分解したりする。翌日すぐに自転車屋に持っていったところ5,000円程度で修理できるだろうという前向きな見通しを語った店員の言葉に安堵しつつ家に帰るも、翌日かかってくる電話に驚愕する事になる。
「もうこの自転車はダメです。修理不能です。このまま寿命を迎えるまで乗りつぶしてください。」突然の廃車宣告だった。人間の死の受容の過程には5段階あるというが、当然先ずは否定から入る。そんなはずはない。まだ、不具合のある箇所を特定して修理すれば乗れるはずだときまりが悪そうに言うも、結局そのまま引き取る事になった。医者が匙を投げたところで残りの人生は続くように、自転車屋が放り出した後の自転車の「余生」もしばらく続くのである。こんな時一つのアイディアが頭をよぎった。安価に大量に販売されて、買ったユーザーはチェーンすら注油せずに野晒しにし、やがて自転車は朽ちていき捨てられまた新しいものが買われるといった産業の歪んだ構造からくるセールストークなのでは?という可能性を想像し少しの怒りを覚えた。元々は駅に向かう時の往復約8kmを移動するための交通手段として買ったに過ぎなかった自転車も、今やかつてパートナーだったどの女性よりも長い付き合いになった。共に山に登り、海に行き、河原を駆け抜け青山通りを車がひしめく中を走ったこともある。搭乗者の身長に見合わぬ小ぶりのジオメトリが生む挙動を感覚的に掌握している。どこまでバンク角を傾けたらスリップするか、どこまでブレーキをかけたらジャックナイフを起こすのかといったことも自分自身がフライ・バイ・ワイヤの飛行機が備える安全装置かのように把握していた。傍目に見たらなんの変哲も無い量販店が売っている大量生産品のルック・クロス(スポーツバイク風自転車)であるかもしれないが、そんな自転車を見捨てろというなどとんでもない話だ。いずれロードレーサーを買うにしても高級な自転車を駅前の駐輪場に置いておくわけにはいかないので日常の足が必要になる、などと言い訳をしつつ自分で分解整備してみることを決意する。かつて修理してきたiPodやiPhoneや自作PCやMacBook Proだってそうだ。動かないものは動くまで向き合えばいいと思っている節があった。しかし、自転車がどういう仕組みになっているか、分解した先の構造がどうなっているか分からないのでは修理どころかまるで向こう見ずな解剖に近い。そこで、分解に先立って技術に信頼の置けるかつ独特で軽妙な語り口で人気を集めるとある自転車店の店主がどのようにロードバイクを組み上げるかを解説しているDVDを買ってみる事にした。何度も見返す中でイメージの中では変速調整から玉当たり調整、BB交換、ヘッドパーツ調整などが完璧に出来るようになったので専用の工具の到着を待って、まずは診断する事にした。おそらくかつての落車の影響であろう曲がって精度が出ていないエンド、よじれたディレーラーハンガー、曲がったディレーラー、錆びついたハブのベアリング。確かに車体価格を考えると廃車という結論が出てもおかしく無い状態だった。コメット連続墜落事故をみるまでもなく、金属は金属疲労が限界を越えると破断する。特にアルミフレームは曲げ伸ばしに弱い。エンドの修正工具によるリアエンドの修正はほぼ不可能だ。クイックリリースではなくナットで強制的にフレームを押さえつけるタイプのピストバイク的な構造が功を奏してなんとか形を保っている状態だった。状態は良くは無い。しかし、そんなことは去年すでに指摘されていて、そこから2,000km以上走ってもまだ大丈夫だったわけなのでアルミフレームの寿命を考えるとまだまだ走れるのではないかという希望が湧いてきた。そして延命への取引をする事にした。自転車店とホームセンターとAmazonを駆使して必要な工具とパーツを揃える。ラチェットレンチからハブスパナ。部品の方は交換用のディレーラーハンガーとベアリングも用意した。シティサイクルが余裕で買えてしまいそうな額になってしまったが後悔はない。ハブ軸の分解整備、変速調整、ブレーキの調整、その他細々した清掃をするのに週末を丸々使い再び組み上げた。

買った時の状態よりも走りがよくなって帰ってきた自転車がそこにはあった。軽くなったハブベアリングはいつまでも回り続け、変速は一発で小気味良く決まる。軽々と加速し、車の巡航速度にも乗ってける。新車をただ買っただけではおそらく気づけなかったであろう大切な事に気づかせてもらったのだ。メカも人もメンテナンスをすれば長持ちする。フレームが完全に曲がってしまうその日まで、まだまだ短くない付き合いが続いていくであろう、そう予感させる走りになった。自分が欲しいものを得るにはそれ相応の苦労と思考が必要になってくるのだろう。それは音楽ともたぶんに違わない。




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