せっかく手に入れた自由をどうするか

突然自由になってしまった。これまではうまく動かない脳に意思を縛り付けられていて思考する自由を奪われ、行動の自由を奪われていたのだがそれが徐々に消えつつある。

事の顛末を書いておくと、これまでに飲んでいたサプリメントだけだと行き詰まりった感があり、状況を打開したくてこれまでとは違った方向性のものを試してみたかったのと、雨の日のめまいがひどくベッドにピンで留められてしまったかのように動けなくなってしまうのをなんとかしたかったので抗めまい薬を試してみたかったのがきっかけ。

また、その直近に花粉症で鼻水が止まらず、鼻をかみまくっていたら感染症を起こして悪化して処方された抗生物質のお世話になる事になるのだが、それが落ち着いた薬局で抗ヒスタミン薬(エピナスチン、アレジオン)を手に入れて飲み始めたら副作用で鬱になってしまったので、逆にヒスタミン受容体を賦活してあげたら多少鬱の症状が緩和するのではと思い立った。

こんな記事もあった
記憶力も回復するならなおさらいいじゃないかと。大抵この手の記事には処方薬は個人判断で飲むなと書いてあるが、そんな悠長なことが言っていられるのは健康な人間だけで、過去に何度となく処方薬を個人輸入して使用しているので、法の範囲内である限り飲酒喫煙と同様の愚行権の範疇ということでひとつ。良い子は真似しないでね。

早速通販サイトを使って個人輸入して待つこと2週間。ベタヒスチンが到着。飲んでみたところ確かに眠気は消え頭脳明晰にはなるが、動悸が止まらなくなる副作用が出てくる。大昔にブプロピオンを個人輸入して飲んだ時と似たような不快感で1日苦しむ。2日目も飲むが今度はもっと早く、かつ強く副作用が出たので使用を断念。ただ、ヒスタミン受容体を叩くのはアプローチとしては面白いのと、ナイアシンを多量服用(500mg/日くらい)して蕁麻疹が起きるレベルでヒスタミンを出してあげると一時的に鬱が軽くなるのを経験則として知っていたので、ヒスタミンを直接補給できないかと考え始める。

こんな話を個人的なメモとしているTwitterアカウントに連ねているとターゲティング広告が味の素が出しているヒスチジンを含む健康飲料の広告を表示してきた。これだと思い、似たような機能がありそうなサプリメントを探すとLカルノシンが出てきて値段も前者より安いのでこれを早速注文。ASDにも効くとのこと。蛇足だが、変な付加価値をつけて価格を吊り上げてくるのは日本の健康食品メーカーの良くないところだと思う。

これが長い間機能制限され続けてきた私に効果覿面だったことに気づくのは飲み始めてから程なくしてのこと。

倒れるたびに倒れる直前に起こったイベントの記憶が想起できなくなり、人格が分断され、自分の同一性が内側からは理解できなくなるという霞みがかった感覚が一気に整理され、複数の人格を分断していた泡のようなものが全てとれて晴れ上がる奇妙な体験をする。ついでに散乱した部屋とGoogle Chromeのお気に入りが一気に整理されて綺麗になる。部屋が綺麗な人も汚い人も、それは多分彼らの脳内の内部状態が露出している状態なんだと思うので、どうかそっとしておいてあげてください。

読み出せなくなっていた過去の記憶にアクセス可能になり、ついでに作曲能力も復活する。音を立体的に捉える能力も回復。短期記憶が劇的に改善して、2段階認証の番号を1発で覚えられるようになり(かなり困難な時期もあった)、1ポンドは約450gで、16オンスで1ポンドだから1オンスは.....大体29gだなみたいな雑な暗算ができるようになる。(なんでヤードポンド法の換算をしていたのかは忘れたが笑) 小学生の時はこういう思考が出来ていたのを思い出す。ちなみに、1里は約4kmで、例えば道端に道志七里なんて書いてある石碑が出てきたら「ああ、大体全長28kmなんだな...」ということがわかるので大変便利。ある日、道志みちで膝の痛みで死にそうになりながら自転車を漕いたらこの石碑がでてきたのだが、別に距離がわかったところで痛みはひくわけがない。残念。箱根八里は32kmだよ。ちなみに1マイルは1/2里くらい。雑な換算なので厳密さを求める人はメートル法へどうぞ。

クラウドサービスに接続した昔の携帯のカレンダーアプリがデータを自動でフェッチしてきて更新するかのごとくこの失われてしまった10年近くの出来事がちゃんと時系列が整理されて認識できるようになり軽く絶望するも、突然認知機能障害からの自由を言い渡されたらそれはそれで人は混乱するのだなというのが面白い。玉手箱を開けた浦島太郎はきっとこんな気分だろうな。最悪だ。某薬を飲んでも似たような戻り方をするので、かつて飲んでいた2010年-2013年ごろの私の活動を知っている人はある程度その効き目について納得することでしょう。

かつて頭のよかった生き物が様々な障害で頭が悪くなってしまい、その間随分酷い扱いを受けていたなということへの社会への恨み節もあり、クジラは賢い生き物だから食べてはいけないみたいなシーシェパード的レトリックで、かつて頭のよかった生き物はそれなりの尊厳を持って扱うべきであると声高々にスピーチコールをあげたいところだが、なんのための抗議なのか意味がわからない上に、では、知能が低い人間は虐げてもいいのかという危険思想につながりかねない上に個人の日記で書くにはややこしいのでこの辺でやめておくことにする。

すっかり荒廃してしまった自分と現実に突然連れてこられてしまったエヴァQ冒頭におけるシンジくん目線で2021年にいるわけですが、当然ポカ波を救い出したと信じて疑わない目線で本人はいるわけなので、おそらく外から見たら活動がほぼ止まってしまっていたかのように見えていることかと思いますが、ひとまず音楽は作ってリリースしようかと思う。

一方で流行病で国内外のダンスミュージックシーンがほぼ停滞してしまい、1年以上行けていないのもあり自分の中での臨場感が下がりきってしまっていて、別にもともとDJだった訳でもないしな...という目線でいる訳ですが、仮にメイクサムマネー出来たとしても、プラットフォームミュージックはつまらんし、テンプレコマーシャル音楽はもっとつまらんし(本当に楽しいと思って音楽やってんのか?)、ピュアに金が欲しいのであれば芝犬コインを買いあさった上でUSDTを金利100%でレンディングした方が儲かりそうだよなという狂った金融の話があり、リスナーにサービスするという社会性も持ち合わせていない。

「うつ病」から脱出できた自由、プラットフォームミュージックをやらない自由、商業音楽をやらない自由、AIのレコメンデーションをやらない自由はつまりかつての小泉内閣時の総務大臣の近年の大炎上発言である「若者には貧乏になる自由がある」という程度の自由の話でしかないと思うので、どうにかして積極的に自由を獲得できないものかと。

レトリカの面々によるこの辺の議論は刺激になっています。

自由の地域差は読んでいる最中。

かつて、MP3プレーヤーの不揮発性メモリーが擦り切れるまで聴いた、荒廃した中学生時代を救ってくれた数々のイージーリスニング、フュージョン、ニューエイジ的音楽のような、究極の瞑想体験、癒しをどうにか提供できる側になれたらおそらく幸せだと思う。音楽が人生の体験になるには必ずしもクラブやライブハウスは必須ではなく、それがMP3プレーヤーだった私としてはそれがしっくりくる。身体性やコミュニケーションは必ずしも必要ではない。

あと、音楽の持つファンダメンタルスである美的価値を無視して(単価*販売枚数 - 制作費)やPV数のみで測るのは浅はかな話で、決して過小評価するべきではないと思う。どうしても数を数えたいならその美が救済した魂の数加重の指標でも作ったらいいんじゃないですか。垂れ流しのBGMに人が救えるものか。作者も一緒に救済されたいしね。マーケターはともかく、ミュージシャンがフォーカスすべきはどうもその一点のみな気がしている。

さあ、壊れてしまったものをあるべき姿に戻しに行きましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?