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Ultrapopリリースに寄せて


2009年にMaltine RecordsからBeyond The ChasmというEPをリリースした時から芳川よしの(現表記: Yoshino Yoshikawa)という名義を使い始めてから今年で10年になる。10年というのは節目の年だと思う。成長を続けて飛躍の10年になった人、失われた10年になった人、企業、様々だと思う。

マルチネからのリリースには大抵、レーベルオーナーのtomadが書いたリリースの紹介文がつく。ここではBeyond The Chasmの紹介文を引用してみたいと思う。

ポップミュージックとクラブミュージックの2つのテリトリーを視野に入れた「芳川よしの」による2曲。
テクノロジーと調性の狭間で、その溝を超える希有な楽曲はひたすらにポップで心地よい。

今でこそダンスミュージック(クラブミュージック)とポップスがクロスオーバーすることは特に珍しいことではなく、むしろダンスミュージックの影響を受けていない音楽の方が少数派になってさえいる気がする。当時のJポを振り返ってみても、m-flo、MONDO GROSSO、Perfumeなどこれら二つの領域をクロスオーバーしたポップスを作っているアーティストは当時から居たのだが、今ほど当たり前だったとは言い難い時代だったと思う。今から振り返って見ると、その2つを越境した音を作ることを興味深い題材だと考えたのだろう。

実はBeyond The Chasmを作った当時、ダンスミュージックというものをほとんど理解していなかった。リズムがどうして人を踊らせてしまうのかといったこともほとんど理解しておらず、DAWのグリッドから外れたタイミングの音は全て「ズレ」だと理解していたので、いわゆるグルーヴが強い曲というのはなんだかタイミングが随分ずれた音楽だな程度にしか思っていなかった。また、Maltine Recordsからすでにリリースされていた音楽もimoutoidのEPを除いてほぼ理解できなかったのを覚えている。好きな音楽はPat Metheny、テクノといえばデトロイトではなくYMOだった当時の私にとってはただひたすらに繰り返されてあまり展開しない無味乾燥とした音に聞こえていた。でも、なぜかダンスフロアで自分のわからない音楽を聴いて熱狂している人たちをみて、理解できるようになりたいと強く願ったのもよく覚えている。ただただ、皆楽しそうで羨ましかったのだ。ここに活動の原点があるように思う。

右肩上がりの成長というわけでは決してなかったし、かといって失われた10年かというとそうではなかった。シーンやコミュニティと共に文化を作り、成長していくといったタイプのミュージシャンでもなかった。スケールアウトしていき、有無を言わせぬ芸能人になるというミュージシャンでもなかった。持病も今よりはるかに厳しい時期があり、次々と新曲を完成させライブパフォーマンスを軽々とこなす同期や後輩をみていて同じ天井を見つめながら遣る瀬無い思いでいたこともある。それでも、今回のアルバムをリリースするチャンスに恵まれ、完成させることができた。その上、アルバム"Ultrapop"で、オルタナティブなエレクトロニックミュージックのアイディアを提示できたと思う。これは本当に幸せなことだと思う。

Ultrapopについて

ジャンルやスタイルを1つの質感に統一する方法論から生まれた"Ultrapop"

公式キャッチコピーとして頻繁に出てくるが、一体何なのか?読んだだけでは意味不明かと思うのでここではUltrapopとは何かについて紐解いていきます。

Ultrapop 1

ポップス、というより和声ドリブンの音楽とビートドリブンの音楽を両方カバーしたいという考えもあると同時に、作家事務所と一時期提携したりと商業音楽に関わってたこともあり、あらゆるジャンルからコンテキストを引き剥がして引用してしまう大量消費音楽の暴力性みたいなのに注目したいというアイディアもあった。主観ではあるが2013年頃のアニメ音楽、アイドル音楽は様々なジャンルからの引用を繰り返すあまり肥大化しテクスチャがごちゃごちゃしていたように思う。こうした雑多な質感をアレンジで解決したいと考えてテクスチャとタイムフィールと和声などを含む構造を分けるアレンジの方法を2013年ごろからUltrapop(レトロニムとしてUltrapop 1)と言い出したのが今回のタイトルの由来だ。構造は引用してもアレンジに影響を与えなければ音楽として聴きやすくなるか、もしくはさらに空いたスペースに詰め込むことが出来るだろうと考えた。チップチューンでダブステップをやるといった試みも過去に多くなされたが、テクスチャを揃えるという点では近いものがある。

愛乙女★DOLは、私にサウンドプロデュースまで一貫して任せてくれた数少ないアイドル

もちろん、全てのアーティストがサウンドプロデュースまで任せてくれる訳ではない。一方で、アーティストとしての信用値がないと作編曲を両方できない、最終的な質感のディレクションもできないという、新幹線をシステム全体ではなく車両だけ売ってくれというようなナンセンスがまかり通る、権威主義を目の前になす術もなく、次第に商業音楽を作りたいという興味も薄れていたころ、クラウドファンディングで資金調達をして、SNS影響力のあるシンガーとコラボレーションして音を作る所のみに徹したら面白いポップスが出来るのではないかと思い立ち、某CDの企画が立ち上がるのだが、このプロジェクトの着地点の失敗により持病のうつ病が悪化し数年ほど音楽が作れなくなり寝込むことになる闇の深い物語はまた別の話。(許せないものは許せないままでいい。)

作曲だけコンペを通過してしまい、力学の中でアレンジには一切関わることのできなかった曲。しかし、テクスチャをコントロールできなくても構造だけ操作することで他にはないキャラクターソングを作ることができた。アニソンDJの中で支持を得ているという話をちらほらと聞くことがある。

Event Horizon (Ultrapop 2) 

テクスチャと構造を分けるという発想は良いので、それを自らの作家性の追及に使ってみてはどうだろうかといった方向に方針転換するのが2016年頃。

背景にある構造は引用の果てに得たYoshino Yoshikawaの音楽であり、簡潔に表現できない複雑なものだが、テクスチャは単位のスタイルに統一されている。Ultrapopの作家性への応用の始まりとなった、アメリカLAのレーベルZOOM LENSからリリースされたアルバム。ダンスミュージックを理解したいという欲求から始まったタイムフィール管理も徹底してされている。

Ultrapop (Ultrapop 3)

Event Horizon方向性からさらにテクスチャの音楽的な強度を向上させて、現時点で理想的なテクスチャと構造の組み合わせとなったのがアルバムとしてのUltrapopになった。ジャンルのコンテキストから引き剥がされた構造は、Yoshino Yoshikawaの作家性という単一の質感を与えられ、暴力的に"Ultrapop"に変えられてしまう。それでもまだ、引用元のジャンルのコンテキスト、コンティニュームに帰っていけるだけの余地を残していると思う。

ジャンルやスタイルを1つの質感に統一する方法論から生まれた"Ultrapop"


Ultrapop XG

ちなみに、 CD購入者限定特典で製品版Ultrapopとほぼ共通のMIDIデータを使って音色等を選び直してXGフォーマットのMIDIファイルにしてMU100で演奏したものを録音したUltrapop XGという裏アルバムが存在するので是非聴いてみてほしい。テクスチャを統一した音楽は、構造さえ保持していればテクスチャをすげ替えても音楽的に聴こえるという面白い例になったと思う。

長くなってしまったので、全曲解説はまた次の機会に譲ろうと思う。

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