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日本武道館の夢

書き出しから難しいんやけど
長文やから興味ない人はごめん🙏

僕な、めっちゃバンドに仕事に頑張ってるねんな。
仲間とかの応援の声をもろてて
最近はほんま涙腺が緩みっぱなしの毎日を過ごしてて
最近僕を知った人や、昔からの友達や仲間にも
今僕がどういう気持ちで音楽に向かってるのか、そんな事を伝えたくなってん。

全部話す。
これ、メンバーに相談した訳でもないから
後でこの記事は消せって言われるかもしれん。
でもそんなんうちのメンバーは言わへん気がする。

僕な、トーク力がある訳でも、顔がええ訳でも、歌が特別上手い訳でもないけど
声と歌詞とメロディセンスには自信があるねん。

思い返せばUNLIMITED××性の初ライブって2020年の10月で
お客さんは僕の友達2人だけですっからかんの京都mojoやった。

ちなみにその時の対バンが面白いもんでsheesawharm_official で今でもリスペクトをお互いに持って(そう信じてる)仲良くさせてもらってる。
やからシーソーハームってチンピラになる前のうちらを知ってる貴重なバンドやねんな笑

初ライブを経て、、1回目のライブでお客さんもろくに呼べないバンド、プロフも決して若手ではないってのもあったからか
ライブすらブッキングを組んでもらえない時期がそれから2年弱ぐらい続いた。

さすがにライブのオファーがないのも辛くて
V系から破門されたバンドなのに
crowmusicのTATSUYAさんに相談してV系を辞めたのに
V系のライブに出演させてもらったり本当にTATSUYAさんには面倒をみてもらいました。
本当にcrowmusicのスタッフの皆さんだったりobの方にはお世話になってて、感謝って言葉じゃ足らないぐらいです。

何かコンセプトもあった方が良いって事で
後付けでチンピラウドってコンセプトを作ったは良いけど
『チンピラってどんなんやねん』
って、、
とメンバーとですらイメージの共有もできない時期もあった。
でもずっと自分達だけにしかないものを手探りで探しながらライブをしてた。
みざりーが作る曲がきっと沢山の人の心に刺さるはずやって信じてたし、ライブハウスにお客さんがいようがいまいが本気でライブを今も続けてる。
僕はみざりーが作る曲が一番好きやねん。
バンドでアレンジする作業がめっちゃ楽しい。
当たり前やけどこのメンバーでしか生まれない音楽があるからで、それを楽しんでる。

隠す事でもないし話すけど
僕はマッサージ師として働きながらバンドをしてる。
夢はUNLIMITED××性でメンバーチェンジなく日本武道館でワンマンライブする事。
大袈裟でもなく嘘でもない本気で思ってる。
簡単じゃないし難しい、難しすぎる事だって分かってる。

というのも僕は昔xeR0.SQUEE5Eって書いてゼロスクイーズってラウドバンドでボーカルをしてた。
その時はその時で本気で海外進出を視野に入れて活動してて
本当に沢山の仲間や友達もできた。
自分達でイベントを組んで200人近く動員できたりもして、もしかしたらメジャーいけんじゃねーかうちらって勘違いしたというか
夢のある世界なんやなって信じて活動してた。

自分は音楽で食ってくイメージしかなかったし
当時の気合いの入ったバンドマンは
『就職は悪』ぐらいの気持ちでアルバイトしながら音楽活動をしてたので
僕もそれに右にならえでアンチ社会人バンドマンをやってた。

ただバンドを続ける難しさも知った。

活動をする中で
夢半ばで諦めざるを得ない仲間がいたり若くして亡くなった仲間もいた。
バンドしてたら最高の景色を見れる事だってあるけど、悲しい事もある。
動員を増やす難しさもそうやし、動員をキープし続ける難しさもあった。
そんな中で夢半ばでバンドを辞める仲間達に
『よっしーは売れてくれ』って言われ続けて来て
その想いも背負ってバンドを頑張った。

でも永遠なんてなくて、ゼロスクイーズも解散した。
仲間の夢を背負いきれなかった、約束を果たせなかった。
バンドを引退した仲間たちに対して申し訳ない気持ちと、自分の夢も消化不良のまま複雑な気持ちで解散ライブをした。

夢のない話かも知れないけどcoldrainやcrossfaithなんかが若手筆頭として台頭して来た時期に
メンバーがこれ以上伸び代を自分のバンドに感じなくなったのが解散の理由だった。
これが現実なんやって感じた。

当時は僕自身が社会人になる準備なんかもしてなかったし
燃え尽き症候群みたいなもんなのか
その頃に突然声も出なくなって喉の手術もして復帰は絶望って事もお医者さんに言われた。

時間は経って声は出るようになったけどとても満足に歌えるには至らなくて僕も遂に音楽の道を諦めた。
ゼロスクイーズをみて、バンドを始めた後輩もいたりしたからすごく辛かった。
カッコ悪い背中みせてしまったなって。

自暴自棄になったし
本当に何もなくなったなって思って楽しい事を探したりもしたけど音楽に代わる人生の楽しみは見つからなかった。

このまま歳とってくのか、なんて漠然と思いながら過ごしてた。
ただ人生悪い事ばっかじゃなく縁があった女性と結婚もして有難い事に子供も授かった。
親になる喜びみたいなのも感じたし、初めて就職もしたり、これが社会人なのかって感じてた。

でも結婚も色々あって
当時の奥さんの主張もあって協議して離婚も経験した。

円満離婚とはいえ子供と離れて暮らすのが寂しかったり
仕事も上手くいかなくなって自分ではよく分からなかったけど
ストレスで呂律がまわらなくなって精神科に通う事になり精神安定剤を常に常備していないと人と話せないような状況にもなってある時期に自殺未遂をしてしまった。
本当にたまたま奇跡みたいなタイミングで友人に助けてもらえた。
目が覚めた時は病院のベッドで『あ、死なんかった』って思った。

すごい不思議な感覚やった。

母親の反対を押し切ってバンド活動をしてたから父親と姉としか連絡をとってなかったから
病院には父親が付きっきりでその時初めて父親に怒られた。

家族にも迷惑かけっぱなしやし
音楽では芽が出なかったし
家庭すらまともに作れなかった

そんな自分にとっては最悪な時期に昔からの音楽仲間である親友が亡くなった。

親友は肝硬変って病気で余命宣告もされてたから
変な話、心の準備はしてた。
親友の為に最後にできる事は一緒の時間を過ごす事やなって思ってなるべくいっぱい親友と話をした。

親友は自分が死んだらジョンレノンのラブを流しながら見送ってくれとか
自分が死んだ後の事をよく話すようになってきて
そのうちに親友は人生でやり残した事があるって言うてて
何やねんそれ?って聞いたら
俺な、日本武道館に立ちたいねんって言いよった。

海外のバンドばっかり聞いてる奴やったから
意外やったけど、そうやったんや、って返した。
他に返す言葉が見つからなくて黙ってたら
『お前さ、俺の代わりに武道館に立ってくれへん?』
なんて言われて、アホかもう無理じゃ!って返したら
『絶対いけるって、よっしー頼むわ』
そっからは押し問答で
やれ!無理!やれ!無理!
っていうアホなやり取りしかなくなってすごい困った。

親友が亡くなった日、親友の母親と遺品を整理してる時に親友が聞いてたCDやったり
親友が好きやったカードコバーンの写真もろたりしてる時、親友のオカンに
『よっしー、たかしの代わりに歌続けてや』って言われて
いやいや、なんて言うて返してた。

約束通りジョンレノンのラブを流して沢山の仲間と親友を見送った。
こんな人望あったんやこいつ、すげーな。
みんなお前のこと好きやねんで!
みんなお前の才能を認めてたんやな!
みんな来てくれて良かったなって!
そう思って、自分が死んだらこんな人は集まらんやろなとかネガティブな事とか考えたりしながら

そっから自分のこれからの残りの人生をまあまあ真剣に考えた。
このまま精神安定剤食いながら何となく生きるより真剣に生きてみよって思った。

武道館か、、、

重い、重すぎる。僕には荷が重い。
そう思いはしたけどケータイを手に取ってボーカルを募集してるバンドを探してみた。

そん時は米米クラブみたいなバンドがしたいなって思ってそんなバンドを探してたけど
自分の意中の人やバンドは見つからなくて
やっぱ難しいよねー何て思いながら毎日メンバー募集サイトを開いてチェックする日が始まった。

したらV系やけどクリーンもシャウトもできる人を探してますみたいな記事があって
音源を聴いたらめちゃカッコ良くて、これ僕に歌わせて欲しいって感覚が湧いてきて連絡をした。

そのバンドがヴィジュラボで
みざりーとの初めての出会いのきっかけはメンバー募集サイトやった。

その頃のみざりーは細かったように思う。
みざりーの作った曲に僕の歌を載せて初めて作った曲が
under slave a girlで、、その後V系を破門される訳で。

バンドを続けるのって大変や。
メンバーとの関係性も大事やし結果も求められる。
何よりボーカルはメンバーの音楽人生も背負ってる。
結構気が重たいパートやったりする。
でも歌うんがめっちゃ好きやし、みざりーの曲を僕の声とメロディで映えさせたいねんな。

V系を辞めてUNLIMITED××性のスタートは決して順風満帆ではなかった。
ライブすら組んでもらえない、動員どころではない、先が見えない、そんな時期もあったけど
でもみんなみざりーの曲を信じてた。

声だって昔と比べたら全然出なくなってるし
そもそも2曲歌えば声が潰れる。
一からやり直さなきゃって思ってボイストレーニングに通うようになった。
過去のプライドなんか全部捨てて、また0からライブハウスでバンド活動をスタートして思った。

やっぱり武道館は遠い、、遠すぎる。

ライブを重ねるたびに難しさを感じるけど
その分、武道館への想いも強くなって来た。
でもその気持ちは自分の心の中だけに留めてた。

ある時にまっふぃさんから
『よっしーくんは全部吐き出した方が良い』って言われて
親友の代わりに日本武道館に立ちたいって夢やったり、自分の歌に対する気持ちを初めて自分以外の誰かに話した。

自分の左腕に入れてるタトゥーはトライバルって柄で
死者の魂を宿らす意味がある刺青で
親友と一緒にステージに立つって意味でトライバルのタトゥーを入れたんよ。

全部メンバーに話をしたらすっきりもしたし、
メンバーも武道館か、目指してみる?なんて話してくれたりした。
ほんまに僕はバンドのメンバーに恵れたんやなってすごく思った。

そっからこのメンバーで、このメンバーと武道館のステージに立った景色を見たいってほんまに思うようになった。
僕の歌を信じてくれたメンバーやからこいつらと成り上がりたい。

昔のコネとか使えとか、頭使えとか言われるけど
自分の力でやるから意味があると思うし
何より今この時代で真剣に音楽を目指してるバンドマンがひしめく中で
自分達の力で勝ち取りたいって思ってる。

自慢とかじゃなくて当時の仲間で売れた奴もいる。
清なんか今はB'zでベース弾いてるし
ハーベストのしげ君だって頑張ってる。

元アブボルの現ビーストクラウンのゴンちゃんも頑張ってる。
こないだ名古屋行った時にサプライズでzionにやって来て
『何でよっちゃん名古屋来てんのに俺に声かけねーんだよ!』って第一声に言われた。

自分のライブの時だけ宣伝で連絡するの気が引けるやんって返したら
『そんなん関係ねーよ、昔の仲間も全部集めたのに馬鹿野郎!』って怒られた。

何でこんな優しいねん。

虎の威を借る狐みたいやから
売れた仲間の話は極力したくなかったんやけど
今は当時からの仲間に追いついて、
僕が仲間を引っ張れるようになろって思ってる。

そら楽観的ではないよ、僕かて大人やし
仕事だって一生懸命やってる。
今は仕事があっての音楽やし、それはこれからも変わらんのかもしれん。
僕は人の大事な体のケアをしてるって事に誇りを持ってるし、ずっと仕事はしたいって思ってる。

ええ仕事して、バンドして、武道館に立つ。
これが今の自分の夢。

自分を大きく変えてくれたのは
応援してくれる人の声やったり
やっぱり人にカッコええ背中見せる生き方をしたいって気持ちが自分を前向きに変えてくれたんやろなって思ってる。

社会貢献までとは言わへん、でも人の心を踊らす、喜怒哀楽をみんなとシェアできるような曲を発信していきたいねんな。

みんなが僕を助けてくれたように、今度は僕がまだ未ぬみんなを助ける番やって思ってる。

失敗を恐れず生きる。
きっと死ぬまでトライアンドエラーは続く。
僕の人生ハッピーエンドにできるようしっかり生きる。

つらつらと小学生みたいな文を綴ってあれやけど
出会ってくれたみんなに感謝してます。

これからもみんなと一緒に音楽と人生を楽しむ、辛い時は助け合おう👍

どう締めてええか分からんくなったから、、最後はこう締める。

俺たちに限界はない!!

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