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精神病院物語-ほしをみるひと 第一話

 胸に緑色のリボンを付けていただろうか。広い校庭に沢山の子供と大人。前にいた同級生が横一列で走り出し、ゴールを抜けていった。周りには保護者たちが手を叩いたりカメラを構えたりしていて、その中には僕の父もいる。
 すぐ前の子供たちが走り終わると、次は僕の列の番になった。先生の指示に従って前に出る。
 こういう駆けっこはした覚えがなかった。何故記憶がないのかはわからない。幼稚園の頃、僕は記憶が常に飛び飛びだった。シーンごとにジャンプして、それなりに尺があったであろう合間のことが全く記憶に残っていない。だから知らぬ間になにもかもが終わっていて、母が運動会でもらってきたガムをおやつに出してきた時、はじめて運動会に参加したことがわかったくらいだった。
 だけど、この日のことは鮮明に覚えている。
 僕の列は他に五人いた。背格好は僕と大して変わらない。みんなただの子供、僕と同じだと思っていた。
 僕は勝手がわかっておらず、みんなより早くスタートを切ろうとして、何回か先生に注意された。それも幼い闘争心あってのことだ。
 駆けっこをやるなら勝ちたかった。誰よりも速く走ってゴールしたかった。一等賞じゃなくても、満足のいく結果を求めていた。
 少し緊張していたかもしれない。ピストルの音が響き、僕は走り出した。腕をバタバタ振りながら、一生懸命脚を動かした。
 だけど他の五人は遥か先へと行ってしまう。僕は横に誰もいない中、他の五人がゴールを超えたのを必死で走りながらみせつけられていた。
 胸が苦しい、走っているのは僕一人だ。もう相手はみんないなくなってしまった。遅れに遅れて、ようやくゴールした。
 ゴールに辿り着いたとき、僕は圧倒的差で負けたという事実を突きつけられ、心にぽっかり穴が開いたようだった。自分はあの中で、誰よりも遅かった。相手が変わっても、多分同じだ。
 何故、僕はこんなに遅いのだろう。他の子らはどうしてあんなに速いのか。父に聞いてみたかったが、聞けなかった。悔しかったのでも、恥ずかしかったのでもない、薄っすらと、どうしようもないことだということがわかっていたのだ。
 その絶望的な自覚を、この先長く引きずっていくことまでは考えていなかったが。
 僕は運動神経も悪かったが、体も弱かった。一ヶ月くらい学校を休むこともよくあることだった。学校に行ったら行ったで、腕力が弱いという理由で暴力を振るわれ、汚い言葉をかけられた。
 悪いことだったわけではない。幸運なことに小中学と友人に恵まれた。孤独、ではなかったと思う。
 しかし自分が圧倒的に弱いという事実に、いつしか僕の心は落ちぶれていった。
 中学の時にはクラスで激しい暴力を振るわれた。「瞬獄殺」といういじめっ子がどこかで覚えてきた技をかけられ、呼吸困難に陥った。
 もっと酷かったのは、前の席だったガタイの良い生徒に、毎日のようにカッターナイフで研いだシャープペンシルで脚を突き刺されたことだった。たまに芯が折れて脚にめり込んだ時は、自分はどうなってしまうのかと恐怖に脅えた。畑に呼び出され、殴られ、股間を蹴られ、激しい痛みに呻いた。そうかと思えば下手に出てきて小金を要求してきた。
「頼むよ、五百円渡さないとあいつに殺されるんだ。もう虐めないから」
 当時学校内ではこいつよりもっと強いいじめっ子がいた。こいつも彼らを怖がっている節があった。しかし五百円ならと思い試しに渡してみると、その日のうちにまた暴力を振るわれた。こういう言葉は全く信用できないのだと身に染みた。
 ある日、どこかの中学校で虐めを受けて自殺した少年のニュースがあった。前の席のそいつは神妙な顔をして俺に話しかけてきた。
「お前自殺とかするなよ。俺、もう行きたい大学決まってるんだからな……」
 なにを言い出すかと思って聞いていたが、あまりのことにポカンとしてしまった。こいつはどうも僕が自殺して報道されると、自分の将来が危うくなると本気で心配しているらしい。
 大学。こいつの成績はトップクラスで、スポーツもできるし、僕以外への人あたりも良い。行くとしたらさぞかし良いところに行くのだろうが、僕はどこの大学に行きたいなどと考えたこともなかった。
 こいつは将来を見据えて生きているのか。その将来は、今の浅ましさが見えなくなるほど眩しい輝きを放っているのか。
 僕は先のことなどなにもわからなかった。ただ望んでいたのは、今のような苦しみが数年後にはなければいい。その程度の物だった。
 だけどあの駆けっこの時、僕は勝ちたいと思っていた。本当は誰にも負けたくなかった。押さえつけられた思いは、いつしか呪いと化し、僕の心に住みついていった。

 十九歳の冬。僕は布団に潜り、激しい寒さと、耳を突き刺すような音の嵐に耐えていた。下の部屋で母がテレビを観ている。そのテレビのCMの音声がエンドレスで僕の脳内を荒らしまわっていた。
「ヨッシャヨッシャヨッシャ、ヨッシャイノチョイヤッサー。ヨッシャヨッシャヨッシャ、ヨッシャイノチョイチョイチョイヤッサー」
 繰り返す。ヨッシャヨッシャヨッシャ、ヨッシャイノチョイヤッサーと何度でも繰り返される。
 次に熱燗のほのぼのとしたCMが流れてきた。ポポッ、ポポッ、ポポ、ポポポォー。ポポッ、ポポッ、ポポ、ポポポォーとリピート再生されていく。こちらも殺人音波となって僕の神経をズタズタにしていった。さらに加えて「こいつ殺そうよ」「この調子で血管破裂させて殺しちゃお」「その方が面白いって」と知らない誰かの声が本気で僕を殺しにかかってくるのだ。
 僕はその年に統合失調症と診断された。聞こえてくる幻聴はその病気のせいだといわれている。
 僕が病気になった進学先での生活は、いろんな意味で追いつめられていた。異常に気付いた親に連れられた病院で医療保護入院ということになったが、地獄のような日々を一ヶ月過ごし、辛くも退院して今に至った。
 退院後は家でひきこもっていたが、統合失調症の症状である幻聴は消えなかった。さらに飲んでいる薬の副作用で毎日が苦しくて仕方がなかった。
 幻聴、CMの音声、体の硬直、冷え切った体。僕はいつか願った言葉を思い出していた。数年後には苦しみがなければいいと。
 しかし僕はずっと苦しかった。良いことがあっても、苦しみの方が強かった。そして今、もしかしたら晩年なのではないかと疑っている。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。真剣さが足りなかったのだろうか。中学の時点で大学を決めているような真剣さが。
 自分の先の先まで見据えることは人生に対して真摯ともいえる。僕にはそのビジョンがなかった。だからといって今の状態は酷すぎるが、もっとなんとかできたのではないか。
 父は去年仕事を退職し、もうじきエジプト旅行に行くことになっていた。三十年間働いた自分へのご褒美、といっていた。本当は安心して送り出せるよう、もっと元気にピンピンとしていなければならないのだ。だけど、我慢してどうなるものではなかった。
 テレビをつけると、手塚治虫のアニメが特番で放送されている。それを観て少し元気が出た。好きなキャラクターがテレビで活躍しているのが嬉しかった。
 昔からゲームや漫画、アニメが好きだった。楽しみであり、悦びだった。僕は自分がエンターテイメントに育てられてきたことを実感する。
 こんな作品を、自分も作れたらどんなに良いだろう。冷え切った心にも、仄かな熱が残っていた。このアニメのような絵やストーリーが自在に動かせたら、と束の間の夢想に浸った。
 しかしすぐに声が押し寄せてきた。
「こんな人になにもできるわけないよ」
「可哀想な奴だよねえ」
 現実は厳しい。実際好きだったゲームも、時間があるのにやっていなかった。薬を飲むようになってから、今まで徹夜までしてやっていたゲームを、最初の操作だけで疲れて止めてしまうようになった。それ以来、嫌になってゲームに触ることもなかった。僕は確実に、自分の能力が衰えているのを感じていた。
 数日後、父はエジプトへと旅立っていった。僕は毎日幻聴の猛攻に耐えていたが、いよいよ限界だった。病院の帰り、母がスーパーに買い物に行っている間、僕は外で人に会うのが怖くて車の後部座席で小さくなっていた。
 そんな時「許さないよ」と声が聞こえてきた。
 幻聴の傾向として、過去の人間関係について激しく叱責してくる、というのがあった。
 自分にとってそれは触れられたくないことだったが、相手は全くそんなことはお構いなしだ。さらにいらない情報を押し付けられるせいで、自分の言動までが狂ってきた。
 具体的にいうと過去に関わった同級生の悪口が口から出てくるようになった。誰彼構わず不細工不細工と繰り言のように呟くようになっていた。それをさらに幻聴はネタにして責め立ててきた。さぞかし困惑されただろうが、罪の意識から何人かに謝罪の電話をかけたこともあった。自分でも自分がなにをやっているのかわからない。ただただ悲惨な毎日だった。
「あんなかわいい子を不細工って可哀想。自分の顔みてみたら?」
「毎日嘘ばっかついて人を馬鹿にしてる」
「極悪非道だろ」
「うわ汚え顔」
 延々と悪口を聞かされていると、破裂するのではないかと思うくらいの勢いで頭に血が上っていく。それがわかってか更に「こいつ脳溢血にして殺しちゃおうぜ」「そうだ殺そう」と追い打ちをかけてくる。
 なんとかやり過ごそうとポータブルプレーヤーのイヤホンを耳につけ、大音量で音楽を流す。確かに幻聴は聞こえなくなるが、音に支配されていることに変わりはない。僕の生活から安息は失われた。
 初めて幻聴が聞こえだしたのは、大学在学時の夏休みのことだった。隣の部屋の住人が女を連れ込んでいて、その二人が延々と僕の悪口をいってくるようになった。しかも、あたかも僕の部屋の中がみえているかのように。
 僕がカメラを探そうと目を凝らしていると「ばれたよ。こいつ頭よくね?」と嘲るように笑い。女が「この人目ぎょろつかせてるよ、キモイ」と続けてくる。僕が慌ててあちこち探し回ると、女は「うわあみてるだけで哀れだね、本当面白い!」と心の底から愉快そうに笑っていた。
 なんとか寝ようとしてみると振動音の効果音が何度も聞こえるようになってきた。隣の人間がパソコンかなにかのスピーカーから鳴らしているのだと僕は信じていた。毎日数人の男女の声が隣から聞こえてきて、睡眠すらままならなくなり、僕は外に逃げ出した。
 しかし東京でアパートから出て、金もないのに逃げる場所などあるだろうか。さらにいえばある時から逃げる先にも誰かに追われている感覚に襲われた。結局限界が来てアパートを引き払い、引っ越しをするしかなかった。
 しかし引っ越した先でも悪夢は終わらなかった。
「ここがあいつの引っ越した場所か」
「キモイっていってやろうか?」
「いや、それは営業妨害だ」
 なんだ。なにをいっているんだ? 前のアパートで聞き慣れた声が外から聞こえてくる。僕は恐ろしくて仕方がなかった。引っ越したのに、まだ悪夢が終わらない、そんな予感がしてならなかったのだ。
 それから数週間後、今度は別の男女の声が僕を責めてくるようになった。一ヶ月ほどそれが続くと、僕は完全におかしくなっていた。
 首都内を、声に追われて、自転車で逃げ回り。それでも逃げきれず、神経をすり減らし、幻聴に返事をするたびに、それが我慢できなくなり、延々と独り言を繰り返すようになっていた。周りの人たちが恐怖で怯えていた。
 ある日、大学で世話になった人たちが僕の両親と連絡を取って、病院まで連れていってくれた。そこで僕は医療保護入院させられた。
 こうして、僕は境目を越えたのだ。もう決して後戻りできない境目を。(つづく)

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