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自然が正してくれること

少しだけ頭も疲れていたことや、ここ数か月の週末はほぼ都内にいたこともあって、久々に自然に触れたくなり、葉山まで行ってみた。海岸を歩くのは何か月ぶりだろうか。

荷物はiPadだけ(行き返りの電車でKindleを読む為)にした身軽な状態にし、なるべく余計な雑念を排除した。五感に良い刺激を与えたかったから。

都市化されていない海の街では、人間が人間らしく、夫婦やカップルや子連れの方達がのんびりと過ごしていた。ここには、都会にはない「大衆化されない素の個人」が沢山いた気がする。ある意味、そんなこと当たり前のことなんだけど、今回はそんな事を感じてしまった。近代化される前の人間は、複雑な自然環境に全身で向き合いながら生きていたはず。それが本来の人間の身体や脳にとっても最も自然な状態。都市化された街に住んでいると、不自然な感覚を持って生きている気がする。

人として何が正しくて、何が正しくないのかをしっかり判断出来る人間でありたいと常々思う。英国の哲学者フランシス・ベーコンは、「イドラ」という言葉で人間の偏見や誤解を表したけど、単なる錯覚だったり、過去の経験だったり、権威ある人の発言だったり、噂話だったりに影響されて正しいことを正しく判断出来なくなってしまうことがある。それを冷静に見極めるには、一歩引いた場に意識的に身を置くことも必要なんだろう。

大きな海や空を見て、何か大きなるものからの恵みを感じ、我と向き合いながら、大きな志を抱く・・・。そんな時間を定期的に持つことは大事だな。きっと幕末の薩摩・長州・土佐の人達にもそんな習慣があったのではないだろうか。

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