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不思議の国のマドカ(第33話)素顔のままで

 個展の成功でマドカ先生になったマドカさん、あれっ、どっか変だけど、まあイイか。とにかくマドカさんはアカネと同じようにオフィス加納と専属プロ契約を結んだんだ。依頼も順調に増えてるし、評価も高い。

 自信が付くとはああいうものかと思うほど貫禄というか風格が出てきて、まさに白鳥の貴婦人。つまりはお嬢様から、貴婦人にさらに格上げされたって感じ。写真誌どころか週刊誌からも取材が殺到し、ありゃアイドル扱いって気もしてる。

 アカネの時はカレンダーの仕事でぶっ倒れて入院してたし、その後は姉ちゃんの結婚式、ひい婆ちゃんの葬式、さらに葬式での食あたりの入院で、
 
『旬』
 
 この時期にマスコミ取材がなかったから地味な扱いやったもんね。悔しい。もっとも、アカネがブレークした時はマルチーズの試練の前のチリチリ天パの骨格標本のペッタンコだったから、較べるのも無理はあるけど。

 オフィスの中でも違うんよね。たとえばツバサ先生が歩くと威風に押される感じで道が開くって感じだけど、マドカさんが歩くと気品に押されて畏まるかな。ちなみにアカネの場合は、
 
「アカネ先生、おはよ」
「こんどの飲み会の余興だけど・・・」
「新しいスペシャル極渋茶は強烈」
「また金タライやられたんだって」
 
 タメ口の嵐。そりゃ、相変わらず一番年下だから仕方ないと思うけど、誰も巨匠扱いなんてしてくれないものね。ここで考えた、アカネもお嬢様になってやろうって。そうすればどうしたって取れてくれない『渋茶』の呼び名が変わるはず。

 それだけじゃない。未だ出来ないのが悔しいけど、素敵な彼氏が見つかった時に、とっ捕まえて、逃げられないようにするにも役に立つはず。そこでマドカさんから、まず食事作法のレクチャーを受けることにした。デートの時の御飯の食べ方で男を逃がしたら困るものね。

 まず箸の持ち方から指摘された。アカネの箸の持ち方は間違ってたらしい。さっそく家でもトレーニングしたけど、なんでこんな使いにくいのが正しいのか疑問だった。でもお嬢様道の第一歩だと思ってなんとか使えるようになった。

 次は実際の食事だったんだけど、レクチャーのために、ちょっとイイ店に一緒に行ってもらったんだ。そりゃ、近所の居酒屋とか、串カツ屋じゃ無理だもの。そしたら、そりゃもう大変な目に遭った。器を箸でヒョイと引き寄せたら。
 
「寄せ箸と申しまして、よろしくありません」
 
 どれから食べようと思って、一旦箸をつけてから、他のに手を付けたら、
 
「移り箸と申しまして、よろしくありません」
 
 なんか上に乗っかっていて、その下が見えない料理があって、気になるからそれを引っ剥がしてその下を見たら、
 
「さぐり箸と申しまして、よろしくありません」
 
 食べてる時にお茶を飲もうと思って、箸を食器の上に置いたら、
 
「渡し箸と申しまして、よろしくありません」
 
 小芋が滑って取りにくいからグサッと突き刺したら、
 
「刺し箸と申しまして、よろしくありません」
 
 他にも、かきこみ箸、拾い箸、涙箸、指し箸、かみ箸・・・メシ食べてるだけなのに、どんだけタブーがあるかと思ったぐらい。トドメは、
 
「箸は先の方だけ使います。せめて三センチまで、出来れば一・五センチまでで」
 
 マドカさんの箸先を見たら一センチぐらいしか濡れてなかった。アカネは聞かんといてね。他にも器の持ち方、食べる順番、食べた後の器の揃え方、食前食後の挨拶・・・御飯の味が全然しなかったぐらいの注意の嵐。
 
「他にも色々ありますが、この程度の作法を身に付けられますとよろしいかと」
 
 まだあるんかいなと茫然となったぐらい。でもマドカさんはごく自然に出来てるのよね。アカネの頭の中はマドカさんの指摘した洪水のような作法で崩壊しそうだった。ついでにお辞儀の仕方もレクチャーしてもらったけど。
 
「お辞儀前の立ち姿は自然体で、体の前では手を重ねませんし、肘も張りません。腕や手の力は抜いて自然におろし、両ももに添わせる感じで・・・」
 
 マドカさんがやると美しい。でもアカネがやるとチンパンジーがお辞儀やってるようにしか見えないんよね。

 
 そんな時にツバサ先生と一緒にクライアントとの打ち合わせの接待に呼ばれたんだ。料亭だったんだけど、目の前に料理が並んだ瞬間に固まった。あれこれ作法が頭に渦巻きすぎて手が出ない。

 結局何も食べられなかった。頭の中にフラッシュバックしてたのは、どう箸を動かしても、そのすべてに入ったマドカさんの指摘。接待が終わった時のツバサ先生の顔色が変わってた。
 
「アカネ、今すぐ病院だ!」
「どこも悪くありません」
「隠しても無駄だ。どんな高級料亭に行っても平然とお代わりを要求するアカネが箸もつけないのは余程の重症だ。それにあの程度の場では、緊張の『き』の字もしないはずなのに、あの異様な緊張はなんだ。それぐらいはわかる」
 
 救急車呼んででも病院に連れて行こうとするツバサ先生をなんとか宥めてバーに。
 
「あははは、それはアカネには無理だ」
 
 ウルサイわいと思ったけど。これじゃ、飢え死にしそうだから、バーでカレー食べてた。カレーはスプーンで食べるから気楽だ。
 
「アカネの最大の長所は型にはまらないところ。それどころか、型自体を猛烈に嫌がり拒否するところだよ」
「それって褒めてるのですか」
「もちろんだ。ただアカネのようなタイプは社会では暮らしにくい。当たり前のことが極端に苦手だからな」
 
 アホンダラと思ったけど、当たってるかも。
 
「作法とは型を覚え忠実に実行すること。そこに独自性は一切許されないぐらいだ。とくにアカネのような初心者にはそうだ」
 
 たしかにそうだ。
 
「つまりはアカネにとって一番苦手なものになる。苦手どころか体がそもそも受け付けないよ。それは『これでもか』で覚えさせられたからな」
「でもそれじゃ、アカネがお嬢様に・・・」
 
 ツバサ先生は穏やかに微笑みながら、
 
「マドカがあれだけの作法を身に付けられているのは、それを必要とする環境にあったからだよ。ぶっちゃけ、マドカの結婚相手はそれを必要とする相手ってこと。そんな男をアカネは欲しいか」
 
 そう見るのか。イイとこの坊ちゃんと結婚するのは玉の輿だけど、玉の輿に乗るにも条件が必要ってことだな。それもこんな堅苦しいのがずっと続くんだ。それも、あんまり嬉しくないな。
 
「素のアカネを愛せる男の方がイイと思うぞ」
「いるんでしょうか」
「いるさ。絶対に出てくるようにしてやったつもりだ。これで誰も出て来なかったら・・・」
「出て来なかったら?」
 
 ツバサ先生はニヤリと笑って、
 
「究極の性格ブスだ。でもな、アカネがそうじゃないのは、わたしが一番良く知っている」
 
 そこまでツバサ先生はアカネのことを、
 
「だがな、ちょっとぐらいは礼儀作法を身に付けろ。女の身だしなみもだ。この際だから、マドカにもう少し教えてもらっとけ。アカネでも百聞いたら一つぐらい覚えるだろ」
 
 ギャフン。でもツバサ先生もイイこと言うよな。素のアカネを愛してくれないと意味ないものね。無理やり作ったアカネしか愛せない男なんてクソ喰らえだ。

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