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浜田省吾 “Home Bound”のこと


30年くらいぶりにこのアルバムを聴き返して、音と演奏が異常によいのでびっくりした。
アメリカで録られた作品だということはなんとなく知っていた。
電圧も空気もミュージシャンも違うというのはこういうことか。
といっても、私は浜田省吾さんのアルバムはこのHome Boundしか聴いたことがない。


14歳の頃に話はさかのぼる。
当時私は日本のハウンド・ドッグというバンドが気に入っていて、ファンクラブに入っていた。
彼らのコンサートを見に行きたかったけれどチャンスがなく、通信販売でツアーパンフレットを取り寄せて読んだりしていた。
そのパンフレットの中でハウンド・ドッグのギタリストである西山毅さんが寄せた文章に、浜田省吾さんの「終わりなき疾走」のことが書いてあり、どんな曲だろうと思って聴きたくてたまらなくなり、CDレンタル店で「終わりなき疾走」の入っているアルバムを探した。
それがこのHome Boundだった。


それとほぼ同じ時期に、浜田省吾さんが静岡県の渚園というところでたいへんな数の観客を集めてコンサートを行い、その模様の中から「終わりなき疾走」がビデオクリップとしてカットされ、私の住む地域のUHFでも流れた。
地には人の波、空にはツアータイトルを記した飛行船、当時日本は景気が良かったのだなあと今になっては思うが、浜田省吾さんの人気はただごとではないのだなと当時は思った。
クラスメイトで浜田省吾の話をしている人は誰もいなかった。


このごろバンドを一緒にやっている若い人たちと話すと、「そのアーティストは僕の世代じゃないんで」ということを言う人がいる。
浜田省吾さんも私の世代ではないが、私は、人気がある人はきっといいところがあるに違いなく、自分も好きになれるかもと思ってどんどん聴きに走って好きになるほうだ。


このアルバムを30年経ってまた聴こうと思ったのは、2曲目に収録されている「東京」がどうしても聴きたくなったからだ。
サブスクリプションにも動画投稿サイトにもなかった。
「東京」というタイトルの曲はぱっと思いつくだけできのこ帝国、くるり、そのほかにもたくさんたくさんの人たちが作っていると思うが、その中でも群を抜いてダークなのが浜田省吾さんの「東京」で、私はそれがとても気に入っている。
このアルバムが発売された1980年と2019年の今とで、東京はそんなに大きくは変わっていないし、むしろ事態が複雑化してどうしようもなくなっているところがあると感じる。

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