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7月29日(2017)ミシャへの感謝とお別れ

2012年2月23日埼玉会館で「Talk on Together」が開催された。この年監督に就任したミハイロ・ペトロヴィッチは、前年残留争いのネガティブな空気を打ち消すように「我々は前を向かなければ行けない。共にやっていきましょう。」とサポーターに向け力強く語った。拍手が起こり会場の雰囲気が変わる。帰り際偶然駐車場にミシャがいて「レッズを宜しくお願いします」と手を差し出すと、両手で強く握り返された。そこには私を含め3人位しか居なかったが、車の中からずっと手を振ってくれた。

1年目3位に躍進。その後も毎年優勝争いするが、最後の最後でリーグタイトルに手が届かなかった。2016年は年間勝ち点1位になるも、理不尽なチャンピオンシップで破れた。1シーズン制に戻った2017年は4月に首位に立つが、大宮に負けてから不調に陥り、苦しい戦いが続いていた。

試合前々日に北の大地へ向かい、札幌で教師をしている旧友とモエレ沼で再会した。

翌日中島公園そばのホテルにチェックインすると、部屋の窓から豊平川の花火大会が間近に見られて感動。

試合当日7月29日朝、ホテルのロビーで待ち合わせたサポーター仲間と札幌ドームへ向かう。
前半都倉賢のゴールで先制を許した7分後、槙野智章が都倉に対するファウルで一発退場。 
ハーフタイムに3人替えで賭けに出るが、直後に那須大亮が負傷。45分を9人で戦うことになってしまう。そこからのレッズの反撃とゴール裏の応援は凄かったが、最後ジェイに決められ万事休す。虚ろなミシャの後ろ姿が悲しかった。

みんなとジンギスカンを食べた後、一人新千歳へ。翌日早朝便のため、空港内の温泉に泊まるはずが、夏休みで入場制限がかかり途方に暮れる。すると国際便が欠航して夜を明かすことになった外国人にブランケットが配られていた。私もそれを受け取り、空港の固い床で仮眠。朝入場制限が解除され風呂に入ると、生き返った気がした。無事搭乗し、成田からのバスが東京駅に着く頃、ミシャ解任を知る。

翌年まさかレッズでのラストゲームになった札幌の監督に就任するとは、その時は想像できなかった。

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