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11月27日(1999)あの日の悔しさを忘れない

1999年11月27日 J1 2ndステージ最終節 サンフレッチェ広島戦
ジェフ戦、ベルマーレ戦、ヴェルディ戦と使命感に駆られるようにスタジアムに参戦し、この日も駒場へ向かった。メインスタンドの最上段の隅の方から、J1残留を願い応援した。
ジェフに勝ち点差1リードしていたレッズは90分で勝てばよかった。
福田正博の名前がスタメンになく不安になったが、必ず出場してゴールを決めてくれるはずと信じていた。
0-0のまま、時間が過ぎてゆく。
ア・デモス監督は後半に入り大柴健二、続いて盛田剛平とFWを投入するも得点は奪えず。張り詰めた空気の中、福田正博が漸くピッチに入ったのは81分のことだった。
懸命にゴールを狙うがあまりにも時間が少なかった。90分終了のホイッスルが鳴り響いた。
スマホで他会場の結果を知れる時代ではない。
ただスタンドは誰かからの情報でざわざわし、ベンチにも何かが伝わっている様子だった。
延長に入ってから落ち着かない気持ちのまま、試合を見つめた。106分福田が決めた。
池田学が抱きつくが福田は喜ばない。ドーハの戦友森保一が慰める。
静まりかえる駒場スタジアム。怒りの声を上げる人もいた。場内一周のセレモニーで再び選手たちが姿を現した時、そんな声はかき消されていた。必ず1年でJ1へ戻るのだと言う空気と共に「We are REDS!」のコールが沸き起こる。
再び静寂が訪れたその場所に、抜け殻のような状態でずっと佇んでいた。
係員が閉門を告げに来る頃、朝日新聞の記者の人に優しく話しかけられた。
「みんな浦和に残ってチームを支えてほしい」と声を振り絞って伝えた。
あの日の記憶はそれが最後で、中浦和の自宅までどうやって帰ったのか全く覚えていない。
翌朝新聞を開くと、小学生の男の子と一緒にその時の言葉が載っていた。

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