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夫婦関係というか、人間関係全般において、とにかく言葉を交わすということが何より大切だと思った話

今日は家事に関わるすれ違いから、妻と意見が対立し、イラっとした妻から発せられた一言で僕も久々にカチンときた。


これまでだったら、お互いに数日間、口を聞かなくなることもあるような状況だったのだけど、今回は妻の方から話をしようと言ってくれた。


そうして3時間くらい夫婦2人で話し合った。


その中で思ったことは、結局自分の思いというのは、言葉にしないと伝わらないということ。

誰だって、一生懸命に生きている。

自分なりの正義を持って生きている。

そんな自分なりの思考は、相手にも伝わっていると錯覚する部分があるのだと思う。

「ちょっとぐらやってくれてもいいのに」

「あーもうそんな余計なことをしなくていいのに」

「なんでそんなことをしなくてはいけないのか」

「なんで自分だけのほほんとしていられるのか」

なんて、お互いにイライラが募るのである。

今回、お互いにイラッときた事象でいうと、お互いに思うところ、見えているところに違いがあり、どちらが良い悪いというものではなかった。

ただ、すれ違ってしまったがために

「自分はこれだけやっているのに」

「過去から何度も言っているのに」

だとか自分だけが見えている世界でイライラを募らせているのだ。


夫婦生活が長くなると、だいたいの日常は言葉を交わさなくても回せる。

だけど、お互いに自分なりの思いがあったり、勘違いやすれ違いなどがあったりで、自分の思い通りにならず、ちょっとしたイライラが積み重ねられていくことになる。


今日、じっくりと話していて、それがよく分かった。


僕はわりと家のことをやっていると思っていた。

しかし、それは妻にとっては、余計なことをして、家事のリズムを狂わされていると感じることもある。

妻から見れば、よい方向に修正しようとしたことが、僕にとっては批判や否定だと捉えられてしまうことがあるのだと、話し合っていて気づいた。


逆に僕の思いも妻に伝えたことで、それがちゃんと理由があっての行動だったのだと理解してもらえて、お互いに違う面を見ていたことに気づけた。


夫婦という長く連れ添っている間柄でも
どんなに親しい仲であったとしても

自分の気持ちは自分にしか分からない。

相手の気持ちを分かっているようでも

それは錯覚であり

本当のところは全然分かっていない。


だから、ちゃんと話す時間をとるということが夫婦関係にとっては何より大事なことなのだ。

これは夫婦関係だけにあらず、仕事の関係でも、学校でも、どんな場所でも人と人とが関わるのであれば、同じことなのだと思う。


ちょっとぐらいやってくれても・・・

なんでこんなこと言うのだろう・・・

だとか相手に対して不満が出てくる時というのは、ただ言葉を交わせていないだけということがある。


人との関係を潤滑に回していくには、言葉を交わすことが何よりも大事なのだと、今日の出来事でハッキリと理解したのでした。

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