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斧を掲げて

 大学生活も2ヶ月半が過ぎようとしている。
入学式に出たものの何をしていいのかわからないまま過ぎた4月、スクーリングを詰め過ぎて後悔しながらひたすら課題提出と授業に取り組んだ5月。6月の頭は「休む」と決めていた。有言実行。たっぷり休んで6月もももう1/3が過ぎ、私はあと10日でまた一つ歳を重ねる。この一年の年輪はまずまずな密度のような気がする。

 自分が生きていることをゆるせなくて、だけれど死ぬことができるほど死への情熱がないことも私はよくわかっていて、だから「生きる」そのために、あの場所へ飛んだ日から丸一年が過ぎた。

 久しぶりに何もない日曜日は大雨。TVに挿したスティックのおかげで大画面に映し出されるYouTubeを見つめながら礼拝が始まるのを一人待つ。まだあの場所で過ごした日々から半年も経たない。木がたくさん使われ、装飾のなさは私がよく預けられていたプロテスタントの教会と共通していて落ち着く(今まで訪れたカトリック教会には絵や像が多く、いつも新鮮に感じた)。
 信者ではないという負い目のようなものから、中でも外でもなく軒のベンチでぼんやりと本を読んで礼拝までの時間を過ごしていた日曜の朝。高い天井の細長い縁状の天窓から漏れ入る太陽の光が木に反射する静かな礼拝堂で考え込んだ平日のある日。奥の部屋から勝手に持ってきた椅子を白い廊下の途中に置いて、そよぐ度に形を変える木々の影を眺めていただけの真夏の日暮れ。賛美歌。子供の声。若い人の声。そうじゃない人達の声。ゆったりしていたりやかましかったり何言ってるのかよくわからなかったり噛み合ったり噛み合わなかったりする話し声。笑い声。怒鳴り声。様々な人。人。人。お茶菓子、コーヒー、おうどん。
 思い出せる。今も車を40分ほど走らせればそこへ行けそうなのに。だけれど液晶の映す明るいそこはもう別の世界のようでとても遠く眩しく見えた。

 説教の終わりに牧師が手を振る。私も手を振る。液晶を挟んで。向こうからは見えないから、少し笑って手を振り返す。まるで親しい人みたいに。
 結局、権威を集め、父であり、男性として生きる壮年のこの人のことが、私は怖くて、最後までまともに言葉は交わせなかったな。

 S評価。大学でもらえる一番いい評価だ。私がこれまでに提出した課題、出席した授業の評価はすべては返ってきていないが、まだその一番いい評価をもらえていなくて、その些細な現実がこの数日私を傷めつけている。完璧主義もいい加減にしてほしい。合格点で単位をもらえたら結果として十分で、講評を受けてこそ学びを深めるための自分の現在地がわかるのだから、評価そのものに固執して気を病んだり喜んだりなんてするのは滑稽だ。そんな風に自分を慰めてみる。でもムリ。だって頑張っているんだから評価はされたい。そんなこと思うところもごく凡庸な人間だと思う。今学んでいる分野ではこの凡庸さは致命傷のように感じる。
 講評文にはこうあった“お上手な文章です”。悪いことは何も書いていなかった。それでも一番いい評価ではなかった。「上手いだけでつまらない」ということなんだろうかと思ったりする。誰もそんなことは言っていないし、第一一番いい評価をもらうのに面白さが必要なんだろうか。こういう時、自分のコンプレックスが剥き出しに見えてしまうのはおもしろい。

 “斧を研ぐ”この言葉を引用して私に認識させたのが誰だったか覚えていない。高校の卒業式で初めて顔を見た校長が卒業生への言葉としてそんなこと言っていたような気もする。とにかくこの春からの一つの錘、あるいは浮きとしてこの言葉はいつも心のどこか見えるところに在り続けている。基本的に思い立ったが大安吉日で、やりたいことやひらめきはとりあえずやってみながら考える(そして大体失敗か不発に終わる)タチなので、今までの自分に足りなかったこととして、新しい環境へ身を置く際に一旦斧研ぎを採用してみることにしたのだった。
 今のところは斧に変化は見られない。いつか大きく振るってみなければその切れ味はわからないだろう。その時のために今はじっと、じっくりと研いでおこう。そう思うが、飽き性な私のことだ。どこまで続くかあまり期待はしていない。

 一年前のあの日。私を見て、放蕩息子を抱き締めた父のように喜んだあの人と再会した。
 それから隔週ないし毎週困窮した人たちに決まりきった流れでお弁当を渡すことしかできない日々の中で「私には何ができるのか」という大きな問いの壁にひたりと手を当てて考えるようになっていた。
 それがどこでどうなったのか(思い立ったが吉日だったのだろう)、私は気付いたら高校に編入していて、大学入学のためにダブルワークで無茶な働き方をしながら高校の課題を提出して、呆気なく卒業が決まって、生まれ育った地方に戻ってきて、お金を払って、大学に入った。
 そう、あの日のあの放蕩息子の再会から一年が経った。すべてたった一年の間のこと。ずいぶん遠くへ来たように思う。

 今の私は、人権を無視した政治がぐんぐんと進行し、それに抗う人達を横目に、斧を研いでいる。何のために研いでいるのか。「私には何ができるのか」
 まだ今はその問いに答える声を持たない。斧の刃は太く丸く鈍く、何も切れそうにない。きっとピカピカに鋭く研いだって、目に見えるものは何一つ切り倒せやしないのかもしれない。

 過ぎていく時に焦らないわけではない。寧ろいつだって焦っている。この国に猶予はない。というより、ざんねんながら、最早滅びゆくだけだとも思っている。そうは言ってもあの液晶の向こうで今もあの子達が、あの夜の公園で、商店街であの人達が、私の住むこの町に様々なルーツとアイデンティティを持つ人が今も共に生きているから、今を少しでも、人と人として少しでも、よく生きられるように。
 できることをできる時にやろう。それしかない。やらない理由はどこにもない。私は、今は斧を研ぐ。
 輝くほどに研いたら、何も切り倒せなくても、自らは輝けなくても、受けたものを映してみんなで明るさを分かち合えたりすることもあるんじゃない。

 なんて。



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