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「ミングル」をぐるぐるしたら、見えてきた家庭料理のこと

先週のこと、とても幸せな現場に立ち会わせていただきました。

Nサロンでご一緒だった藍さんの企画に便乗して、スープ作家・有賀薫さんのお宅へお邪魔しての「子どもお料理教室」です。なんとマンツーマン!

有賀先生が作られたコンセプトキッチン「ミングル」が起点です。
企画趣旨とその学びは、藍さんがnoteに。

当日ご用意くださった実習の様子は、有賀先生がnoteに。

的を得たレポート、そこからの学びやネクストアクションをいち早く発見、発信されているお二人には、尊敬しきりです。もちろん、利発でスポンジのような吸収力のYちゃんにも。

うちは娘が学校の用事で連れて行けなくて、具体的に試したいアクションがあった訳ではないので、素人目線から「ミングル」レポートに徹しようかと思っていました。(実際ミングルには取材が殺到していて、なかなか一般人が経験できる場ではないのです!)

けれどお二人のレポートで目的は十分達しているし伝わるので、勝手ながら、いち子育て中の、かついちモラトリアム人間の目線で、「ミングル」体験記を留めておきます!

「ミングル」は家庭料理への問題意識が薄ぼんやりだった私でも、かなり刺激を受け、解決の糸口がみるみる見えてくる装置であることを、体感した話です。

ゼミとつながった「ミングル」に興味津々

藍さんと有賀先生との出会いはNサロンのゼミ #家庭料理の新デザイン でした。3回目の実習は本当に楽しく、有賀流「スープの方程式」に大感動。

グループごとにわいわい料理をして(特別な料理ではない日常の家庭料理であることが重要)、一緒に食べることの幸福感は、忘れがたい体験でした。

そんなゼミが終わって間もなくの、有賀先生のnoteに、驚きました。

「作ってみた」というさり気なさで、ゼミ以外にも毎日のスープ作りや執筆活動と、両輪どころか四輪駆動で動いていらっしゃったことも刺激的で。日頃からの思考の深さと行動力の賜物ですね。読む私たちにもワクワクを下さいました。

すでに出来ているという「ミングル」……概念がもう形として「モノ」になっている? プロダクト好きの血も騒ぎます。モノとして見れた方が早い、分かりやすい、という単純な私です。気になりまくっていました。

私にとっての「家庭料理」の課題

今ごろまた振り返っておきますと、有賀先生のゼミ「家庭料理の新デザイン」では「家庭料理のハードルは、自分にとってどんなことか?」という問いを考えました。

はっ、全3回の1回目しかnoteがが書けてませんでしたが……気を改めて。

私の場合、まず挙げられたのは、こうでした。
 ①狭いキッチン、モノの多さで不毛地帯に
 ②毎日の献立を決めることが億劫でルーチンになりがち
 ③ある事件から、手料理を提供する自信を喪失

これらに共通なのは、「作る」の前段階に課題があるのでは? ということ。だから自然と、「食べる」との距離があるんです。

本題とはズレますが、これらを振り返りつつ、どう向き合っているかを考えつつ、早く「ミングル」に行きたいので、ざっくりと。

まず①のキッチンお片付け問題。

片付けって、孤独ですよね。自分で買って、自分で詰め込んだ物たちばかりなので、悶々としていました。

第1回目のゼミの後、この課題にけりをつけようと、とあるお片付け隊に来てもらったのです。これが面白くって。モニター的に記事にしていただいてるので恥ずかしながら。

この時は荒療治でしたが、断捨離と整理のきっかけをもらって良かったです。人と一緒に片付けるって、はかどる……。新しい発見でした。

何事も決めるのは自分なのですが、問いかけてくれるんですよね。だから思考が進むのです。おかげで以前より料理のしやすい空間を手に入れ、キープできるようになりました。あとは導線を考えて、もっと整理整頓を進めることができそうです。

次に②の献立少ない問題。

料理自体は嫌いではないしむしろ好きだけど、食べてもらう相手(主に夫と子ども)からのフィードバックやリクエストが不足。逆に私からも「聞けば既にある同じ答えが返ってくるから聞かない」→「レパートリーが増えない」の悪循環に陥っていました。

あれ? コミュニケーションの問題で、孤立しているように思いますね。
果たして、「作る」側と、「食べる」側、対立している場合でしょうか?

人に問う時には、どんな答えが欲しいかもある程度想定して聞く必要があると、どこかで教えられました。なるほど、有賀先生のスープ本も含めて、私はレシピ好き。というか、新しいメニューは見ないと作れないのだから、レシピ本をネタ(媒介)にさせてもらってもいいしのかもしれません。「これとこれだったらどっちがいい?」くらいから、かな。

喜んで食べてもらいたい気持ちを、作りたい気持ちと繋げたい!

次に③の料理への自信を喪失した事件、娘と私のトラウマです。だいぶ重くのしかかっているのです。

それは去年の夏休みのこと。私が自宅で振るまったたこ焼きにより、娘がアナフィラキシーショックを起こし、救急車でERへ運び込まれるという一大事でした。

原因として考えられるのは、開封済みのたこ焼き粉の密封が甘く常温保管していたため、微細なダニの一種が発生し、ハウスダストアレルギーの娘にショックが出たのだろうというもの。現状、娘の食物アレルギーはピーナッツだけだったのですが、私の無知がために、娘を苦しめ生命の危機にも晒してしまったのです。

※要注意※ たこ焼き粉・お好み焼き粉・天ぷら粉の類は超危険! 使い切らなければ密封容器に入れて冷蔵保管する、を徹底しましょう! !!

猛省しました。娘はその後、食べ物に対してより過敏になりました。初めての食材や料理に対して、とりあえず食べてみる、なんてことは間違ってもありません。安心と思えなければ食べられないのです。これは経験した本人にしか分からないし、恐怖心を拭えないのは、すべて私のせいなのです。

ここまで私の、わが家の、家庭料理の課題。

こうして改めて見ると、私にとって家庭料理は「孤独」な戦いだったことが分かってきました。やっぱり、「作る」と「食べる」の間に壁があるし、距離もあるのです。そしてそこには、「家庭料理の孤独」が潜んでいます。たとえ仕事してなくても、時間だけが解決するものではありませんでした。

イメージはこんな感じ。(長いついでに脱線しちゃいます)

「彼女は買い物の帰り道」、一人で孤独な思いに悶々としているように見えます。踏切に立つ彼女、家庭料理の孤独と戦う誰か(おそらく私だけじゃない)の、心象風景にも重なりませんか? 
(孤独な希望のない状態を歌ってる訳ではなくて、そこには愛があるのが美しいエレカシ2010年の名曲!ライブでもよく歌われて泣ける)

じゃあその心理的な壁を外せば、超えれば楽になるんじゃないか、って思いますよね。言葉では、概念では分かるんです。

じゃあ具体的に、どんな壁を、どんな風に外していくのだろう? 

少しずつ試行錯誤、前進しては停滞していたのですが、冒頭に戻って、今回の「ミングル」体験へ移ります。

「ミングル」思考、実体験

有賀先生が、10年先を見据え、家庭料理を含めた新しいライフスタイルの概念を形にしたのが「ミングル」でしたね。


当日の思考と体験は「ミングル」とご対面する前から、始まっていました。

一緒に買い物をして・・・ →食材の安全が確かめられる

一緒に作って、工程を楽しんで・・・ →料理中もコミュニケーション

乾杯して・・・ →「食べるための料理」の共同作業を誓う

目の前の人と取り分けて・・・ →思いやりを育むシェアのリアル

食べながら料理、料理しながら食べて・・・ →常にフィードバック

おやつだって同様に・・・ →もはやワクワクしかない

Yちゃん目線でもあり、自分や、うちの娘目線でも考えてみました。

それ、「ミングル」が解決します

私は写真撮ったり、少しだけ手を出したりの使えない人材ながら、実際「ミングル」を何周したでしょう? という位、ぐるぐるしていました。

人様のお宅に伺って、キッチンに入ることって滅多にないし、増してや周遊するなんて、ないですよね。今回は献立決定から有賀先生のおもてなしをだいぶ受けてしまいましたが、Yちゃんの活躍で一連の工程のすべてを、ある程度俯瞰して見てみたら、私の課題にも光明が見えてきたのです。

「ミングル」はとってもシンプルで、ミニマルな形、機能、道具類で十分事足りること。

目の前で、安心安全が確認できていること。

分担、シェア、する側される側の区別が自然となくなること。

やれる人がやる。やりたい人がやる。
みんなで、ぐるぐる料理する。
だから、ミングル。

そして、食べるのが楽しいこと!

素敵装置「ミングル」実機で体験できることは、思考の上でのヒントが満載でした。

家庭料理においては、「作る」と「食べる」の境界は無くせる、「孤独な戦い」は固定観念ではないか、自信も信頼も、少しずつ取り戻せるのではないか、と感じることができました。大収穫!

家に「ミングル」がなくてもできること、娘とさっそくやってみました。

白玉団子にかき氷。

素材の安全を確認したうえで、粉物にも積極的にチャレンジ。テーブル使えば作業場だって確保できます。

手伝ってもらって、好きなものから。(有賀先生のスープレシピより『とうもろこしのつぶつぶポタージュ

我が家の家庭料理の新デザイン、はじまっています。

有賀先生、藍さん、Yちゃん、この度は、貴重な機会をありがとうございました! 自分勝手な考察、どうかご容赦ください。


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