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初めて観た映画『エレファント・マン』から、辿り着いたもの

今回は、下書き発掘案件です。
いつだったか(たぶんコロナ初期)、SNS上で流行った【30日間映画チャレンジ】とやらに乗っかろうとしたけれど、チャレンジ開始する前に挫折していたようで……。
noteの下書きで熟成されたネタにも陽の目を、ということで、手直ししてお届けします。

初めて観た映画

1日目のお題は「自分の覚えている中で初めて観た映画(the first film you remember watching)」です。いきなり記憶力を試されてます。

覚えている限りで、映画館で初めて観た本格的な映画と考えてみると、辿り着いたのが『エレファント・マン』でした。(東映まんがまつり的なのを除く)

https://filmarks.com/movies/25744

レビュー数が半端なく、日本でもかなり多くの方が観ていますね。実際に、世界的にも大ヒットして、アカデミー賞で8部門受賞するなど評価も高かった映画です。

『エレファント・マン(The Elephant Man)』は1980年製作なのにモノクロの映画で、病気による奇形を背負った男の半生を描く悲しい物語……。
もともとは19世紀イギリスに実在した人物の記録からの戯曲があり、それをかのデヴィット・リンチが映画化し、その名を馳せた大出世作です。

チャレンジングな題材ですし、今なら誰もが知る名監督の演出や、若き日のアンソニー・ホプキンス、主人公を演じたジョン・ハートの名演をきっと堪能できるでしょう。

ですが、そんなことは当時のわたしが知る由もありません。なにせ日本公開当時(1981年5月)、私は小学1年生になったばかり。それはホラー映画以外の何物でもなく。初見の衝撃に加えて、その後何度もテレビ放映されて恐ろしさだけが上書きされ、トラウマ映画認定されていました。

でも、なんでこの映画を、映画館で観たんだろう? というのが気になり、これを機に検証してみることにしました。

いつ、どこで、誰と観たのか

じつは、私の頭のなかでは、この映画の記憶が荻窪の映画館という、場所に紐づいていました。場所から思い出した感じです。

現在荻窪に映画館はありませんが、きっと子どもの頃にはあったはず。
調べてみると、当時洋画の三番館であった荻窪オデヲン座がありました。
現在はカラオケやインドアテニス場が営業しているビルの地階に、1972年から1991年まで映画館が2館、営業していたのです。三番館というあたり、信憑性がありそうです。

場所を特定したところで、家族に聞きこみをしてみました。まず母に聞きたかったのは、「なぜ幼い私を、モノクロで字幕のホラー映画(失礼)へ連れて行ったのか?」ということ。

ですが、意外にも母は「いい映画よね、でも映画館では観てないわ。」ときっぱり。記憶違いか……? と思いきや、5才上の姉から「あっ、それ観た!」と反応が。荻窪かどうかは忘れたけど確かに映画館で観た、と言います。

母は観ていないけど姉は観ている。ならば、私たちを映画館へ連れて行ったのは、同居していた祖父だ!(父は昭和のモーレツ会社員だったため除外)

恐らく初公開翌年の82年には妹が生まれているため、母はてんてこまい。
祖父の観たい映画が近所の三番館で上映していた。
母を助ける気持ちもあって、孫たちを映画に連れ出してくれた。
母と姉と、そんな見解で一致しました。

どうみても子ども向け映画ではないところに、祖父の面影を見ることができました。常に文化的だった祖父ならいかにも、きっと好んで選んだであろう映画です。
明治生まれで学者だった祖父は決して孫に愛想が良いなんてことはなかったけど、同居する4人ものうるさい孫たちを、一人前に分け隔てなく扱ってくれたのかな、なんて想像します。

で、推定小学2年のわたしも同行したのでしょうが……楽しい映画と思って行ってみたら『エレファント・マン』。想像するに「なんで白黒? きゃー化け物出てくるー! 宇宙語しゃべってる! はやく終われ〜」となったのではないかと。

祖父の前では途中で泣き出すことはできなかっただろうし、やっと出られた映画館の外の景色、それが荻窪の街で、強烈に印象に残っていたのかもしれません。

祖父はわたしが小5の時に亡くなってしまったのですが、一緒にバスに乗って出かけた記憶を、うっすら断片的に思い出すことができました。
当時、映画にかぎらず何度か連れ出してくれていたんだな、と思うのです。

1本の映画を辿ってみたら、ある一時期のわが家の、日常のワンシーンを思い返すことができ、意外な副産物が得られた感じです。

『エレファント・マン』に再会

そんな訳で、本筋の映画の記憶はまったく無くなっていたので、祖父との思い出として『エレファント・マン』をもう一度見返してみました。配信で見つからず、1000円DVDを購入してみました。

目指すはぼんやりした記憶を塗り替えて、「トラウマ映画ではなかった!」と見解を改めることです。

まずは予告をどうぞ。

https://youtu.be/_5to0pdKMTQ

ストーリーは奇抜ながらもテーマは普遍的、多様性の時代を先読みしていたとも言えそうです。題材だけで似たものでいうと、見世物小屋をサーカスにする『グレイテスト・ショーマン』がありましたが、あちらは音楽やショーの素晴らしさに持っていかれちゃったような印象がありましたね。

『エレファント・マン』、見てない人、忘れちゃった人は見てほしいです。

鬼才デヴィッド・リンチ監督がどんな風にこの男の悲哀を描いたのか、ジョン・ハートがどんな演技をしていたのか、はたまた若き日のアンソニー・ホプキンスが!と、ずっと心中穏やかでなく、驚きの連続でした。

なぜモノクロで撮られたのか、社会的弱者を描くのに、どのような手法をつかったのか、一度では咀嚼しきれないほどでした。
実験的でありながらも大ヒットに導いて、監督自身の運命をも左右した作品になるのは、必然だったのでしょう。

デヴィッド・リンチが気になる

その後、一世を風靡した同監督のテレビドラマ『ツイン・ピークス』(1991~92年)には、わたしも漏れなくハマったくちですが、なにがそんなに惹きつけたのだったか……検証してみたくなりました。

あらためて見直してみたい気持ちになったのは、もう一つわけがあります。

デヴィッド・リンチ監督が、自身のYouTubeチャンネルで、積極的に発信を続けていたのをご存知でしょうか?

https://www.youtube.com/@DAVIDLYNCHTHEATER/featured

2020年あたりは、毎朝コーヒーを飲みながら、LAのお天気をレポートするというものでしたが、なにげにフィンチャー画質なのもファン心をくすぐっていたと思われます。

https://youtu.be/115mu1hnYlU

映像に中毒性が仕組まれていたのか…わたしも一時期好きでチェックしていました。毎朝のルーチンのなかで、ブラック・ライブズ・マター(BLM)を静かに訴えていた動画もありました。弱者の側に立つその表明は一貫してたし、何気ない毎日のおじいちゃんの発信に見えても、なにかしら意味のあるものだったに違いありません。
2022年12月で更新が止まっているのが、気になります……。

初めて観た映画の記憶を辿ってみたら、忘れていた家族の思い出がひとつ、よみがえりました。しかも、良質な映画と再会できて、もっと映画が観たくなり、映画1本の背景を知るとさまざまな扉が開くなぁ、と実感します。

30日間映画チャレンジ(#30dayfilmchallenge)、また挑んでみようかな。
もう誰もやってないけど~。


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