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#016 真面目でいい子

こんばんわ。四野葉です。今日は爆速で書きたいと思います。誤字脱字はあるかもしれませんし、拙い文になるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。今日は、日曜日の卒業式の準備がありました。早いものです。一緒に過ごした2年間があっという間に感じられました。別れというのはやはり寂しいものです。それもまた、仕方のないものですね。

さて、今日は真面目でいい子というタイトルです。私は小学校まで所謂いい子という分類でした。どんな人だったかというと、

「いつも落ち着いていて、周りに迷惑をかけず、みんなと仲良く、先生の言うことをよく聞くという人間」でした。

皆さんはこういう人に対してどんな思いを持ちますか。私はそれをやっていたときは「これが正しい」「これの逆をしている人は良くない人だ」と思っていました。しかしですね、先ほどのどんな人だったかというのを言い換えてみるとこうなります。

「いつも活動的ではなく、周りに流され、自分では何も考えずに、ただ先生の言うことを聞いている人間」

という風にいいかえることができるのではないしょうか。少々恣意的な表現もあるかもしれませんが、大体言っていることは同じです。
このような「いい子」というのは自分では何も考えずにただ先生の言うことを聞く所謂、ロボットみたいなものです。私は小学校の頃の自分はロボットだったのではないかと思っています。あくまで内面的な部分です。何も考えないと勿論ですが、脳が働かなくなります。そうすると、思考力も下がり、考える能力がなくなり、最終的に誰かの奴隷になるわけです。そんな人たちを「いい子症候群」なんて言ったりします。私なんてまさにそうです。
理性の部分だけが働いて、クリエイティブな部分が働かなくなるわけです。
私の頭が悪いのもそれが一つの原因ではないかなと思っています。ほかの理由も腐るほどあるのですが。
やはり、学校というものはクソです。ある意味、子供を殺しているようなものではないでしょうか。私なんてその被害者です。
そして、長年いい子でいると、段々と「自分」というのが薄れていきます。皆さんも聞いたことないでしょうか。「自分がどこにいるかわからない」とかそういう話。いい子は誰かに影響されてばかりですから、「自分」というものが薄れていくんです。そうすると、好きなこととか、趣味とか、楽しかったこととかそういうものが手から零れ落ちていくのです。
というわけで、私から言えるのは、いい子生きても損しかないということです。皆さんはもっと自由に生きて構いません。悩んでもこれを変えるのはなかなか怖いからです。私は最近めんどくさいから部活をサボるという手段を味わったのですが、やはり怖いです。先生が怖いのです。いつばれてしまうかとか、そのあとどんなふうに怒られるのだろうかとか常人以上に考えて、結局いい子から抜け出せずにループしてしまうわけです。

なんか最近自分語りばっかしてますね。申し訳ないです。こんなの読んだって誰も得しませんよね。もう少し読者の方のことを考えて書こうと思います。あ、そういえば昨日、太宰治の「津軽」を読み終えました。最後に子守だった「たけ」と出合うシーンは特に感動しましたし、時折出てくる津軽への皮肉もおもしろかったです。では、私が「津軽」のかなで一番好きな文を書いて終わらせようと思います。本日も読んでいただきありがとうございました。

私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。
さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。

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