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西野カナとNIKEの決定的な違い。

僕も参加予定の福岡で開催されるポリーラウンジ(ポリアモリーについての座談会)に福岡大学の鈴木准教授も参加すると聞いて、著書を読んでみた。
とても興味深かったので、今日はその話を短めに。

ちなみにポリアモリーとはお互い合意の上で複数の人と同時に恋人的な関係を築く恋愛スタイル。対義語はモノアモリー(恋人は一人という価値観)。過去のシリーズはこちら

■トリセツはガラパゴス化した日本恋愛の象徴

恋愛に対する価値観の変遷をわかりやすくユニークな視点で紐解くこの本(オススメです)。その第8章「現代日本の恋愛」には、西野カナ『トリセツ』というパートがある。

筆者はヒット曲「トリセツ」について「フェミニストたちが全存在をかけて築き上げてきたものを、根底からバカにしてしまう歌詞」と記載している。

西野カナはそれを演じているだけ(西野カナを批判するつもりはない)としながら、自らをモノに例えて男性の理解を得ようという姿勢は男性中心主義に抗い、人間として、個人としての尊厳を求めてきた海外のフェミニストからは受け入れられないだろうという彼の説明はとても腑に落ちる。

僕はこのパートを読んで、あるツイートのことを思い出した。

■昇華させたNIKE、あきらめた西野カナ

先日、NIKEのCMに日本語訳をつけたこのツイートが話題になった。

男性に媚びることなく、圧倒的な結果を成し遂げて男性たちを黙らせてやろうという姿勢は西野カナのそれとは確かに違う。例によってパワポで表現するとこんな感じだろうか。

両者ともその根本にあるのは男性中心主義に対するフェミニズムだ。男性中心の社会の中で、女性たちは男性たちに理解や尊重を求めてきた。この潮流の中で真っ正面から抗うことをやめたという意味ではNIKEも西野カナも同じかもしれない。昇華させる方向を選択したのがNIKE、あきらめて別のアプローチをとったのが西野カナとも考えられる。

■西野カナをあきらめさせたのは誰?

西野カナのトリセツは再生数5,000万回を超え(もちろん全員ではないが)日本の女性たちから一定数の共感を得ている。つまり日本では一定数の女性たちがフェミニズムの流れを継続することはあきらめて「モノとして理解させた方が早い」という選択に共感したということだ。

そしてその選択をさせたのは、他ならない日本の男性たちだろう。
つまりトリセツとは日本の男性たちに対する

こいつら何度言っても理解しないし、説明するのもめんどくさくなってきた

という女性の気持ちから生まれた曲とも言える。

そう考えると、あきらめられたのは日本の男性たちなのかもしれない。

もし、トリセツを聴いて「女性をモノに例えた説明わかりやすい!」と感じていた男性たちがいるとしたら、ぜひこれまでの話を踏まえた上で、改めてトリセツを聴いてみてもらいたい。

※この記事に西野カナさんの人格を否定する意図は一切ありません。

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