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ポリアモリーが同時に複数を愛せる理由

僕がモノアモリー(恋人一人派)からポリアモリー(恋人複数派)にシフトしてから起こった変化を考えるこのシリーズ、今日は「シェア」について。

ポリアモリーとは複数の人と同時に恋人的な関係を築く恋愛スタイル。対義語はモノアモリー(恋人一人派)。過去のシリーズはこちら

まず、シェアと言ってもルームシェアなど「共有」ではなく、市場シェアなどの「比率」「割合」を示す方の意味のシェアだ。

というのも、ポリアモリーの説明をすると「複数と同時に付き合うってことは、愛情や関心を分散するってこと?」と聞かれることがある。

これに対して「100%の愛情や関心を複数に分けるのではなく、1人1人に100%」とするポリアモリーの説明は多い。

(なぜか)Excelで例えるなら「気持ちのシェアを1つのシートのセルで捉えるのがモノアモリーで、1シート1人でタブで捉えるのがポリアモリー」など余計わからなくなる説明も試みた(笑)

しかし、これらの説明に対して「そんな都合のいいことある?」とツッコむモノアモリー時代の自分もいた。

そこで今日はこのポリアモリーが複数と同時に付き合える理由について掘り下げてみた。

◾️ポリアモリーになって失ったもの

先ほどのツッコミに対して、「ポリアモリーの愛は分散しない。なぜなら、お金や時間は有限だが、愛は無限だからだ。」と、キレイな説明もできるが、僕はプランナーという職業柄もあって、もう少しだけロジックで考えてみたいと思った。

まず「何かを増やすには、何かを減らさないとつじつまが合わない」と捉えて、ポリアモリーになって失ったものについて考えてみる。

すると、1つの仮説にたどり着く。

確かにポリアモリーになって失った関心ごとがある。
それは「自分と会っていない時の恋人」に対する関心だ。

モノアモリーの頃は、自分と会っていない時に恋人が何をしているのか?誰と会って、何をしているのか?仕事仲間や家族にはどんな顔を見せているのか、つまり「自分に見えていない部分の恋人」が気になっていた。

それがポリアモリーになってからは「自分と見えていない時の恋人について考えても仕方がない。自分に見えている時の相手がすべて」と考えるようになった。
以前のnoteで「ポリアモリーになったら嫉妬がなくなった」と書いたが、おそらく連動する話だと思う。

ちなみにポリアモリーを公言している叶姉妹の叶京子さんも「自分と会っていない時の恋人のことはどうでもいい」と同様の発言をしているようだ。

では、これらの変化を構造で考えてみよう。

◾️無関心がポリアモリーを成立させる

まず、モノアモリー時代の恋人に対する関心は100%だが、そこには内訳があったと考えてみる。
例えば自分と会っている時、見えている部分の相手への関心は25%程度で、その他は「自分に見えていない部分の相手」に対する関心だとする。

「会えない時間に愛は育つ」という言葉があるが、これはモノアモリーだけの価値観なのかもしれない。

この「見えない相手」に対する無関心化がポリアモリーを可能にしているというのが今回の仮説だ。

つまりポリアモリーは、見えていない部分の相手に対する関心を捨てることで、複数の相手の見えている部分の関心に充てている、ということだ。

そういった意味でポリアモリーは「恋人が他の人と付き合っていることを許容している」というより、「自分が見えていない部分の恋人に関心を持つことをやめている(関心を持っても仕方ないと思っている)」と言った方がしっくりくる気がする。

この違いを別の角度からも考えてみる。

◾️現在主義とポリアモリー

突然だが先日、YouTubeで「時間は存在しない」という解説動画を見た。
その中で紹介されていた物理学者たちによる時間や時空に関する研究のひとつ「現在主義」が今回の話とリンクしている。

(ここから急に難しくなります。逆にわかりにくくしたらごめんなさい。)

現在主義とは「時間は人間の脳内にしか存在しない概念」という考え方をベースに「現在と現在にあるものだけが実在する」という捉え方だ。
「世界5分前仮説」(世界は過去の記憶と共に5分前に自分の中に生まれた、という考えを否定することは誰もできない)も近しい考え方だ。

これらは物理学の話だが、時間に関しては哲学的な問いも内包している領域と言われている。

先ほど僕がポリアモリーになって考えた「自分に見えている相手がすべてである」も、この捉え方の延長にある。
自分の脳内にある相手だけが実在する相手であり、自分に見ていない部分の相手のことを知ろうとすることはそもそも不可能である(だから考えても仕方がない)、という考え方だ。

もちろん、現在主義のことなんて知らずに考えているが、ポリアモリーもまた哲学的な問いの中に物理学的な問いを内包しているのかもしれない。

◾️感情の進化

先ほどの仮説が合っているかどうかはさておき、今回の愛や関心の分割について「愛は無限だ」で終わらせていたらここまで話が発展することはなかっただろう。

物理学が「時間」を絶対と捉えずに進化するように、モノアモリーやポリアモリーの議論もまた「愛」を絶対のものとして議論の盾にしない姿勢が必要だ。

理屈で説明できないものが感情や愛ではない。感情や愛を理屈で捉えようとする姿勢によって感情や愛もまた進化する、という姿勢でこれからも考えたい。

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